(本記事は、クレイトン・M・クリステンセンの著書『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています)

ユニリーバの幹部陣さえとりつかれてしまう「イノベーションの固定観念」

社長,経営者
(画像=PIXTA)

マーガリンのレジュメ

「顧客が片づけようとしているジョブ」というレンズを通してイノベーションをとらえ直すことは、私にとって壁が打ち破られた瞬間だった。このレンズがあれば、破壊理論ではなしえなかった、顧客が彼らの生活になんらかのプロダクト/サービスを取りこもうとする原因は何なのかを理解することができる。

ジョブという観点は、非常に筋が通っていて、直観的に理解できたため、私はイノベーションで苦闘している他の企業にも試してみたくなった。その機会はすぐに、予期しない形でやってきた。マーガリンだ。業界では〝黄色い脂肪〟と呼ばれるマーガリンが機会をくれた。ミルクシェイクのジレンマを経験した直後のころ、ユニリーバの経営幹部がHBSの私のクラスを訪問することになった。その週のクラスの大きなテーマは、数十億ドル規模のビジネスに発展していたマーガリンというカテゴリのなかでイノベーションを論じることだった。ユニリーバは北米の市場のパーセントほどを支配していた。これほど大きな市場シェアをもち、すでに多彩なマーガリン関連商品を送り出している状況では、さらに成長するための手がかりを見つけるのは容易ではない。しかし私は楽観的だった。ジョブ理論をつうじて、ユニリーバの成長の可能性を見つけられると考えていた。だがそうはならなかった。このときの経験があったから、つまりユニリーバのジレンマを間近で見たからこそ、イノベーションの重要な原則──何が顧客にその行動を選ばせるのか──がほとんどの組織で素通りされる現実を理解するのに役立った。

それはこんなふうに始まった。ミルクシェイクの考察から知見を得た私は、娘のアンといっしょに台所に座り、マーガリンを雇用してどんなジョブを実行させたいかを考えていた。わが家では、塩と絡みやすくなるようポップコーンを湿らせる目的でよくマーガリンを雇用していた。しかし、バターほどの風味のよさはない。そこで、地元のスーパーに向かい、なぜ客がバターの代わりにマーガリンを買うのかを実地で確認することにした。着いてすぐ、関連商品の多さに驚いた。本家バターの隣りにざっと数えて21種類のブランドがあった。それまで私たちはマーガリンの基本的な長所を理解しているつもりだった。低脂肪なうえ、当時はバターよりヘルシーだと考えられていた。それに、バターより安かった。たしかに21種類の選択肢は少しずつちがってはいたものの、そうしたちがいは、脂肪の含有率など、もともとマーガリンがもつ特性をよりよくすることに注力した結果のように見えた。だがそれは私たちがマーガリンを雇用して片づけたいジョブには関係なかった。いくら観察しても、顧客がなぜ、ほかのどれでもなくその商品を選択するのかよくわからなかった。買い物客の人口統計学的データと選択のあいだにはっきりとした相関は見られない。ミルクシェイクのときと同じだ。

商品を選ぶ買い物客を娘と観察しながら、こう自問してみた。「いま見ているジョブはなんなのだろう?」。観察の時間が長くなるほど、買い物客の決断はマーガリン対バターという単純な図式ではないことが明確になっていった。私は冷蔵ケースの通路の脇に立っていては、マーガリンと競っているライバルすべてが視界に入るわけではないことに気づいた。マーガリンが雇用されるのは、「飲みこみやすいようにパンの耳や皮を湿らせる何かがほしい」というジョブのためだった。マーガリンやバターのほとんどは冷蔵庫で固くなり、そのまま塗るとパンに穴を開けてしまう。もともと食べやすい、やわらかい中心部に脂肪の塊が残り、湿らせたい周辺部にはうまくのばして塗ることができない。このジョブの競争相手にはバターだけではなく、クリームチーズ、オリーブオイル、マヨネーズなども考えられる。ただしこれらは全部それ自体にたいして味があるとは思えない。一方、マーガリンを雇用するジョブには、まったくの別物もあった──調理中に食材を焦がさないようにすることだ。このジョブの場合、マーガリンのライバルには、テフロン加工の調理器具、焦げつきにくくするスプレー式料理油などが想定されるが、離れた売り場にあるため、冷蔵食品コーナーからはどれも目に入らない。

消費者の心のなかで、マーガリンは実際に何と競合しているのだろうか。その観点からマーガリンの市場を考えると、成長のための道筋が開けてくる。顧客があの商品ではなくこの商品を買おうと決断するとき、顧客は各商品の「概要書」を思い描いて比較している。実際に、各商品のレジュメをまとめてみよう。当初、マーガリンの最大のライバルだと考えたバターは、食べ物の風味を増すために雇用されることが多い。しかし、マーガリンのライバルはいつもバターというわけではない。レジュメはテフロン加工の調理器具にもオリーブオイルにもマヨネーズにも書ける。顧客はそれぞれの生活のなかで同じ商品を異なるタイミングで異なるジョブのために雇用することがある。そう、ミルクシェイクのように。ユニリーバはマーケターが〝イエローファットビジネス〟と呼ぶ分野で大きな市場シェアを獲得したかもしれないが、では顧客は店に入って「イエローファットの商品をなんでもいいので何かください」と言うだろうか?店に来る顧客には、具体的な片づけるべきジョブがあるはずだ。

その日、地元のスーパーでマーガリンと競合する他の商品すべてを正確に特定できたわけではなかったが、ひとつ明確になったことがある。片づけるべきジョブのレンズを通すと、マーガリンの市場は潜在的に、ユニリーバが事前に計算していた数字よりも大きいだろうということだ。

この発見に確信があったので、HBSのエグゼクティブ・エデュケーション・プログラムに参加したユニリーバの経営幹部たちに披露した。もし、顧客がマーガリンを雇用して片づけたいジョブをすべて判別できれば、あなたがたのビジネスの成長のさせ方がちがってくるだろうと助言した。

残念ながら、このときの話はうまくかみ合わなかった。当時は、考えを説明するための正しい語彙を私がもたなかったせいもあり、部屋にいたユニリーバの幹部たちの気持ちを動かすことができなかった。私は早々に小休止を入れ、別のトピックに移ることにした。片づけるべきジョブについての話には戻らなかった。

その日、部屋にいたユニリーバの幹部陣が教養豊かな熟練のリーダーだったことは疑いようもない。

しかし彼らの反応の薄さを見るうちに、どれだけ多くの企業が、イノベーションの固定観念にとりつかれて、いったん後戻りしたり、正しい質問をしているかどうかを見直したりすることがむずかしい状況にいるのだろうと私は心配になった。幹部陣のまわりには自社製品のデータが氾濫している。市場シェアの細かい数字も、市場ごとに売れ行きがどうちがうかも、何百種類もの項目ごとの利益率もよく把握している。しかしこうしたデータは、顧客と商品そのものにフォーカスしていて、その商品が顧客のジョブをどんなふうに解決しているかについては教えてくれない。自社製品に対する顧客満足度も、顧客のジョブをよりうまく片づける方法についての手がかりは与えてくれない。それなのに、多くの企業が顧客満足度をつうじて、成功を追跡し測定しようとする。

ユニリーバの経営幹部がハーバードを訪れてからの数年間は、イエローファット・ビジネス(このごろは〝スプレッド〟と呼ばれるようになってきた)は、あまり順調ではなかった。部外者の私が部外者として見るかぎり、ユニリーバは、程度の差は多少あるものの、1997年のマーガリン戦略とほぼ同じ戦略のままでマーガリンの差別化を図ろうとしていた。2000年代半ばには、アメリカの家庭ではバターの消費量がマーガリンをうわまわったが、要因のひとつは、マーガリンに含まれるトランス脂肪酸への健康上の懸念が高まったからだ。マーガリンはそのダメージから立ち直れていない。2013年には、あるアナリストが、ユニリーバは同社のスプレッドカテゴリの切り捨てを考えるべきだと助言するほどになった。「失望しかないこのカテゴリとの決別を考えなければならない段階に近づいているのではないか」。パンミャ・ゴードン社で生活必需品市場の株式調査を担当するグラハム・ジョーンズ上級ディレクターの弁だ。2014年末、ユニリーバは、ビジネスの安定化のため、マーガリンの消費者離れが深刻で会社全体の成長の足枷となっていたスプレッド部門を別会社に切り離す計画を発表した。2016年はじめ、ユニリーバのマーガリン事業部のトップは首がすげ替えられ、マーガリン事業に向けたユニリーバの将来予測も一新された。

対照的に、世界のオリーブオイル市場は、食品業界のなかできわめて成長速度の速い分野として注目されている。ユニリーバはこの年、たくさんのことを的確に処理してきた、世界でも指折りの企業である。だが、競争というものをちがうレンズで見ていたら、ユニリーバの道は変わっていたのではないかと思わずにはいられない。

ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム
クレイトン・M・クリステンセン(Clayton M. Christensen)
ハーバード・ビジネス・スクールのキム・B・クラーク記念講座教授。9冊の書籍を執筆し、ハーバード・ビジネス・レビュー誌の年間最優秀記事に贈られるマッキンゼー賞を5回受賞。イノベーションに特化した経営コンサルタント会社イノサイトを含む、4つの会社の共同創業者でもある。「最も影響力のある経営思想家トップ50」(Thinkers50、隔年選出)の2011年と2013年の1位に選出。

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