(本記事は、横川正紀の著書『食卓の経営塾 DEAN & DELUCA 心に響くビジネスの育て方』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています)
認知度0.1パーセント以下からの出発
クラッシュドアイスに並べられた鮮魚に色とりどりの野菜や肉、あらゆる種類のチーズにスパイスに、瓶詰めされたジャムやオリーブオイル、焼きたてのパンからペストリーまで多種多彩な食材が並ぶその店に初めて足を踏み入れた時の興奮は、今でも忘れられません。ニューヨークのトレンドの中心地・ソーホーに構えるディーン&デルーカの旗艦店は、食の感度が高い人々を中心に愛され、長らくニューヨーカーの食文化に大きな影響を与えてきました。
「こんな店があるんだ」強烈な印象を残したその店をのちに日本で手がけることになるとは、90年代前半当時の僕には知るよしもありませんでした。
それから20年少したった2020年の4月。アメリカのディーン&デルーカが経営不振に陥り、破産申請した──そんなニュースが日本にも駆けめぐり、僕のところにも心配する声が相次いで届きました。
ニューヨーク発の「食のセレクトショップ」として年以上にわたり人気を博してきたディーン&デルーカが日本に上陸したのは2003年。以来、日本のディーン&デルーカの経営に携わってきた僕らを気遣う声は、当然といえば当然だったかもしれません。
だから、僕が「日本での運営には一切、影響なし」と言うと、驚いたような反応が返ってくることが少なくありませんでした。
実は、日本のディーン&デルーカについては、僕が代表をつとめる「株式会社ウェルカム」が2016年に日本国内におけるライセンスの永久使用権を取得し、完全に独立した事業として運営を行っています。
さらに、日本のディーン&デルーカが商品企画やカフェ、ケータリングやオンラインショップの他に、アメリカにはない事業を多数展開し、独自の発展を遂げてきたこと、その結果、いまや本国以上の成功を収めていることも意外と知られていなかったのです。
現在、日本のディーン&デルーカは、マーケットストアとカフェを合わせて全国に50店舗を超えるまでに成長しています。世界中のおいしい食べ物を集めた「食のセレクトショップ」というコンセプトもすっかり定着し、いまでは、「DEAN&DELUCA」のロゴがプリントされたトートバッグを街で見かけたことのあるという方も少なくないのではないでしょうか。
もっとも、日本での展開がスタートした2003年当時は、東京でもまだまだニッチな存在。山手線に乗っている20、30代の男女にリサーチをかけても、認知度はなんと0.1パーセント以下というありさまでした。 実際、ここに至るまでの道のりは順風満帆からはほど遠く、それこそ「危機」と「失敗」の連続でした。
人生を変えた、「人」と「店」との出会い
ディーン&デルーカを手がけることになるまで、もともと僕はインテリアやデザインの業界で仕事をしていました。
インテリアからなぜグローサリー(食材店)へ参入することになったのかそこには転機となった、いくつかの大切な「人」と「店」との出会いがありました。
大学時代は建築を学び、都市計画に関わる仕事をしたいと考えていたものの、折しも時代はバブルが崩壊した直後。スケールの大きな仕事などそうそうなく、建築で身を立てるのは難しい状況のなか、僕が惹きつけられたのが、より生活に近いインテリアの分野です。
バブル期の日本では、ファッションや外食産業などが大きく成長しました。「ハレとケ」で言うところの「ハレ(非日常)」のカルチャーに対しては、人がものすごくお金を使い、意識もどんどん高くなった。それはとても素敵なことだけれど、その半面、「ケ(日常)」の豊かさがおざなりになっているのではないだろうか......そんな思いから、これからはより「日常」や「家の中」の豊かさが求められる時代になっていくのではないかと感じ、大学を卒業したあと北米のインテリアブランドを日本で展開する会社に就職したのです。
ちょうど入社したときに1号店がオープンし、順調に拡大しているように見えたのですが、米国市場向けの商品は日本では受け入れられず売上は低迷。わずか3年で経営は行き詰まり、その立て直しに僕も関わることになります。
ビジネススクールで事業再生のイロハを学んだりコンサルタントに相談したりする方法もあるのでしょうが、僕が学びを求めた先は「圧倒的に魅力的な個人店」でした。具体的には、学生時代に好きで通っていた「ジョージズファニチュア」というインテリアショップのオーナーにアドバイザーを依頼することにしたのです。
インテリア業界で特別有名な存在だったわけでもなければ日本一の売り上げを記録していたわけでもないけれど、ただその店が一軒あるだけで街の顔そのものを変えてしまうような、そんな不思議な力を持ったお店でした。
そうした、「大手チェーンにはありそうでない力」を持つ店をつくりたいという思いは、今も僕の原点になっていますし、「ライバルは個人店」というウェルカム・グループのモットーにもつながっています。
この立て直しの中で、彼と意気投合し、今でいうMBOの形でその店と従業員を受け継ぎ、株式会社ジョージズファニチュア(現ウェルカム)を立ち上げることになりました。僕が27歳のときのことです。
デザインを通して家で過ごすことを考えるうちに、自宅でごはんを食べることが大事に思えてきます。自分の好きなインテリアや空間に囲まれていたら、自分の家で料理したくなるし、自分じゃつくれないときは、おいしい惣菜があったらうれしい。
逆に言うなら、インテリアや雑貨はどこまで行っても「器」でしかありません。花器には花が欠かせないように、器の中に「食べ物」が入らなければ、生活は完結しない。お皿やグラスや鍋を扱っていても、「それで何をつくるの?」「どう食べるの?」という具体的なシーンを提案できないことには、生活のイメージが広がらない──日を追うごとに、そんな思いが強くなっていきました。
そこで浮上したのが「カフェをつくる」というアイデア。インテリアショップにカフェを併設し、僕たちが扱っているテーブルや椅子、器などを使って食事や空間を楽しんでもらう体験を通じ、お客さまに「スタイルのあるくらし」を日常的にイメージしてもらおうと思ったのです。
このとき、店づくりの相談に乗ってもらったのは、またしても「圧倒的に魅力的な個人店」のオーナーでした。
世田谷区の駒沢にあったその人のカフェは、駅の近くでもない住宅街の中にあるのに夜中でも行列ができるような、知る人ぞ知る店。なぜこんなに人が集まってくるのか、気になってたまらない存在でした。
自分たちでカフェを作りたいと思ったとき、真っ先に浮かんだのがそのお店だったのです。
そして、この出会いがのちに、思わぬ展開を引き寄せることになります。