本記事は、クレイトン・M・クリステンセン氏(著)、エフォサ・オジョモ氏(著)、カレン・ディロン氏(著)、依田光江氏(訳)の著書『繁栄のパラドクス 絶望を希望に変えるイノベーションの経済学』(ハーパーコリンズ・ ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています
繁栄のパラドクスとは
まじめに話しているときに人から笑われるのは気持ちのいいことじゃない。20年前、アフリカに電気通信網を構築したいと言ったら、みなに笑われた。成功するわけがないと、口々に理由を挙げて諭された。だから何度も考えてみた。たしかにリスクはあるし、むずかしい挑戦だということもわかる。でもなぜ、誰もこの大きなチャンスが見えないのだろう?──モ・イブラヒム
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通りには腹を空かせた子ども。清潔な水も下水処理もないスラム街。職にありつけそうもない大勢の若者。
世界銀行によると、いまも7億5000万人が極度の貧困にあり、1日1.90ドル以下で生き延びる生活を強いられている。貧しい国のこうした姿に私たちは胸を痛め、なんとか助けたいと思う。だが、飲み水など目に見える問題を解決しようと資金を投じ、貧困国を直接支援しようとする試みは、支援する側が期待したほどの成果は挙がっていない。長年にわたって巨額の資金が貧困問題に振り向けられてきたが、進展の歩みはのろく、方向がずれているのではないかという疑念が頭をもたげてくる。資金を投じればたしかに一時的には問題が緩和されたように見える。しかし根本的な解決ではない。
ちがうレンズで見てはどうだろう。目に見える貧困のサインを正そうとするのではなく、持続する繁栄を創出するほうに力を向けるのだ。これまでの経験や直観とは反する行動に映るかもしれないが、そこには思いがけないほど大きな機会が眠っている。
1990年代にモ・イブラヒムがアフリカに携帯電話会社をつくろうと思い立ったとき、正気の沙汰ではないと言われた。イブラヒムは振り返る。「多くの人に説得された。アフリカでまともなビジネスができるはずがない。独裁者がごろごろいるし、身の危険はあるし、しかも腐敗だらけだと」。彼のアイデアを文字どおり多くの人が嗤ったのだ。
かつてブリティッシュ・テレコム社で技術責任者を務め、当時自身のコンサルティング会社を経営していたモ・イブラヒムは、大半が電話を所有していないどころか、使ったことさえないサブサハラ(サハラ砂漠以南の)アフリカに、自らの手でゼロからモバイル通信網を構築したいと考えた。アフリカ大陸には54の国があり[数え方によっては56]、モロッコの市場から、ヨハネスブルグの多国籍企業に至るまで多彩な顔をもつ。アメリカの面積の3倍以上、約3000万平方キロメートルの大地に、10億を超える人が住んでいる。
ほとんどの地域には、有線電話のインフラも、携帯電話会社の運用に必要な基地局もない。当時、携帯電話は貧乏人とは無縁の高価な玩具だと思われていたし、そもそも必要ともされていなかった。アフリカのビジネスチャンスを分析しようとすると、イブラヒムのコンサルティング会社の顧客にしろ、かつて勤めていた大手通信企業の同僚にしろ、誰もが貧困の深刻さ、インフラの欠如、政情の不安定を挙げ、ビジネス以前に水や医療や教育がまったく足りていない現実を指摘するばかりだった。彼らの目に、新しいビジネスの肥沃な土壌は映っていなかった。
しかしイブラヒムはちがっていた。貧困ではなく機会を見た。「故郷から離れた場所に住んでいる人が母親に会って話そうと思ったら7日間かかる。いますぐ母親と話せる道具があったら、どれだけありがたいか。どれだけの金と時間の節約になるだろう」。イブラヒムが、「三度の食事が贅沢ですらある大勢のアフリカ人に携帯電話なんて買えるわけない」とか、「存在していない市場へのインフラ投資なんて正当性を説明できない」などと言わなかったことに注目してほしい。彼の関心は、地域の人たちが強いられている不便に向いていた。イブラヒムにとって、その不便こそが莫大な可能性だった。
不便は「無消費」の表れであることが多い。無消費とはすなわち、潜在的な消費者が生活のなかのある部分を進歩させたいと切望しながら、それに応えるプロダクトを買うだけの余裕がない、あるいは、存在を知らなかったり、入手する方法がなかったりする状況を指す。その場合、潜在的な消費者はそのプロダクトなしで我慢するか、間に合わせの代替策を編み出すことになり、生活はたいして進歩せず、不便は続く。この状態は、ビジネスチャンスを評価する指標には表れない。
しかしイブラヒムは、無消費のなかに市場を「創造する」チャンスを見た。資金援助はきわめて少なく、従業員も5人しかいなかったが、とにかく彼はアフリカ全土のモバイル通信網の構築を目指してセルテル社を創設した。
山のように障害があった。携帯電話のインフラを構築することは、気の遠くなる事業だった。行政府にも銀行にも頼れない。資金調達は困難をきわめ、しかも、ビジネスモデルの成功が見えはじめて数百万ドル分のキャッシュフローが現実味を帯びたあとも、銀行は融資を拒んだ。イブラヒムはセルテルの資金を全額、エクイティファイナンス(新株発行による自己資本調達)で賄うしかなかった。
「うちの会社程度の規模でそれだけのエクイティを実施したのは電気通信業界で初めてだった」とイブラヒムは振り返る。だがそうした困難の数々にも彼はひるまなかった。電力のないところには自力で電力を引いた。物流を自力で整備し、従業員の教育と医療も自力で整備した。道路のないところには仮設道路を敷くかヘリコプターを使った。イブラヒムは、知り合いと楽に連絡できるようになれば億万人のアフリカ人がどれほど楽になるかを励みに努力を続け、そして成功した。
セルテルはわずか6年で、ウガンダ、マラウイ、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、ガボン、シエラレオネなどアフリカの13ヵ国で業務を展開し、520万人の利用者を獲得する。店舗の開業日には、待ちきれない客が数百人単位で列をなすことも珍しくなかった。2004年には売上が6億1400万ドル、純利益が1億4700万ドルに達する。2005年、イブラヒムは34億ドルという高値でセルテルを売却した。短期間のうちにセルテルは、世界で最も貧しい国々に眠っていた数十億ドルを引き出したのだ。
セルテルの例は氷山の一角にすぎない。アフリカはいまや、グローバコムやマロック・テレコム、サファリコム、MTN、ボーダコム、テルコムなど、最先端のモバイル通信産業の拠点であり、9億6500万台以上の携帯電話を結んでいる。こうした通信会社は、融資を受けたり新株を発行したりして数十億ドルを集めることができ、2020年には450万人分の雇用、205億ドルの納税、アフリカ経済への2140億ドルの貢献が見込まれている。携帯電話は他の産業の価値も新たに引き出している。たとえば金融テクノロジーの分野では、電話の使用履歴を指標として用い、それまで信用の対象でなかった大勢の人に信用度を付与した。
いまなら、携帯電話がアフリカにも世界中にも行きわたっている現状をあたりまえに思うかもしれないが、20年前の時点では、モ・イブラヒム以外の人にとってあたりまえではなかった。
逆風のなかでイブラヒムのつくった市場は、われわれが「繁栄のパラドクス」と呼ぶ問題への解決策を表している。意外に感じるかもしれないが、貧困の解決と長期的な繁栄はつながらないのだ。繁栄をもたらすのは新しい市場を創造するイノベーションである。教育や医療、行政機構、インフラなど、繁栄との関連が強く示唆される指標を改善するための資源を貧困国にいくら注ぎ込んでも、持続性のある真の繁栄が創出されるわけではない。国が繁栄しはじめるのは、特定のタイプのイノベーション、すなわち市場創造型イノベーションに投資したときだ。市場創造型イノベーションは、持続可能な経済発展にとって触媒の役割を果たす。
モ・イブラヒムがセルテル社をつくったときのやり方と、エフォサが非営利組織「ポバティ・ストップ・ヒア」で井戸をつくったときのやり方を比べてみよう。ポバティ・ストップ・ヒアのほうは、規模は圧倒的に小さいが、現代の貧しい国を救いたいという大勢の人たちの善意や労力を象徴している。
ODAのうち、経済インフラの整備に向けられる資金は18.2%しかなく、ほとんどは、教育、医療、社会インフラ、その他の従来型開発プロジェクトに使われている。途上国支援の大部分を担うOECD加盟国からの支援そのものと、その支出パターンも、篤志家の寄付やプロジェクトの資金提供の行き先に大きな影響を及ぼす。エフォサのプロジェクトも根底には、困窮した地域に資源を直接注ぎ込めば貧困をなくせるという彼の信念があった。
だが、従来型開発プロジェクトではなく、イノベーションと市場を中心にしたプロジェクトに重きを置いたとしたら、どうなるだろうか。つまり、エフォサ型のプロジェクトへの資金を減らし、モ・イブラヒム型のプロジェクトへの資金を増やすとしたら、どうなるだろうか?エフォサは貧困を解決するためにもっと多くの井戸を掘ろうとした。イブラヒムは、価値のあるものになら金を払う意思のある人たちをターゲットにした市場をつくり、問題を解決しようとした。このふたつは同じではない。そして、長期的には大きなちがいをもたらす。
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