前回は「仕組債」の本当の素晴らしさや良さを語る前に字数制限に達してしまった。そもそも何故そんなに「仕組債」の良さをお伝えしたいかと言えば、金融商品本来の素性の良さとは違ったところで「仕組債なんて」と非難されていることが多いからだ。それは1990年代前半の頃に「投資信託」が置かれていた状況と酷似しているようにも思われる。

金融商品の素性を充分に理解するプロダクトの専門家の間では「仕組債」の商品評価は高いにもかかわらず、使われ方の実態を通じて世間一般の評価は必ずしも高いとは言えない。その一番の理由は、個々の「仕組債」の商品特性、言い換えると期待リターンと損失の発生確率を左右するのが「オプション取引」だからだ。以前にもお伝えしたことがあるが、「オプション取引」に関する日本の金融関係者の理解は驚くほど高くない。専門家が作る資料も「肝の部分」だけでも理解して貰おうとデフォルメすることが多いからか、かなり簡略化されたものが目立つ。そもそも英語や数学で使う記号が多いのも、その本質を非常に取っ付き難いものとしている。「ボラティリティ(volatility)」もオプション取引で使われる代表的な用語だが、実はこんなのは序の口だ。

なぜ、薄気味悪い飛び道具的な印象が定着したのか?

仕組債,トラブル
(画像=Lipik / pixta, ZUU online)

「仕組債」に限らず、こうしたオプション取引やオプション理論を絡めた金融商品が最初に隆盛を極めたのは1990年代だ。バブル崩壊により毎期々々の決算に頭を抱えていた農林水産系なども含む数多の金融機関、或いは事業法人が欧米の投資銀行が提案してくるデリバティブ系の金融商品にすがった。平たく言えば決算操作に近いのだが、コンサルを依頼されたことは1度や2度ではない。いつも思うことだが、欧米の投資銀行の提案は極めてスマートだ。洗練されたデザインの綺麗なプレゼンテーション資料を使って、PhD(博士号)を持つ外国人などが通訳を介して数式交じりでスキームを説明する。案の定、多くの人が黒船を初めて見た日本人さながらに圧倒された。だから結局筆者のコメントなど聞かれるまでもなく採用が決定してしまうことが多々あった。だが手品みたいな話が世の中ゴロゴロしている訳はなく、その期はうまく乗り切れても必ずつけは後刻回ってきた。そしてそれをまた取り戻さんとして深みに嵌まる例も多かった。そうしてオプションなどのデリバティブは薄気味悪い飛び道具的な印象が定着したように思う。

確かに「なるほど」と思えるスキームも多かったが、問題はどこにリスクがあって、どういう展開になればそれを最小化或いは発生回避できるかという説明がほとんどないことだった。「リスクとリターンはトレードオフ」という関係はオプション取引でも一緒、むしろ「何を諦める代わりに何を得るのか」ということが明確になるのがオプション取引の本来の魅力の一つだ。だが、それを活かし切れていないことが本当に多かった。

当時、こうした金融スキームの商品で投資銀行側にもたらされる利益はかなりなものだった。そうなると当然二番煎じ、三番煎じで二匹目のドジョウを狙う輩が出てくるもので、悪いことにそれらはマスリテールの世界へと展開されてしまった。「日経平均リンク債で元本がすっ飛んだ」、或いは「ブラジル・レアル債で8割損失になって元本は2割だけになった」などと言う話は確かに枚挙に暇がない。ただ残念ながら、プロダクト・サイドの者から見ると、それはなるべくしてなった結果と言えるものが多いのも事実。ひとつには金融機関が手数料を含めて取り過ぎているからだ。そしてクレームやトラブルの多くは「商品内容の説明不足」に起因するものがほとんどだ。