この記事は2022年10月19日に「第一生命経済研究所」で公開された「利益増でも変わらない硬直賃金」を一部編集し、転載したものです。


インフレ,インフレーション,INFLATION
(画像=Superzoom/stock.adobe.com)

目次

  1. 企業の増益は続く
  2. インフレの利益
  3. 増える業種と増えない業種
  4. 賃金の強烈な硬直性
    1. <仮説1:岩盤>
    2. <仮説2:利益の質>
  5. 賃上げのために

企業の増益は続く

賃上げできない理由は、企業に余裕がないからだと思っている人が多い。「仕入れ価格が上がり、利益が圧迫されて困っている」という認識である。しかし、経済データをみると、それは必ずしも正しくないと思えてくる。

財務省「法人企業統計」は、2022年4~6月が直近である。直近の4四半期を累計して、季節変動を均すと、経常利益の傾向がわかってくる。全産業の経常利益は、コロナ前の年度ベースでのピーク時(2018年度)に比べて、直近4四半期の経常利益(2021年7~9月から2022年4~6月)は、1.13倍に増えている。

特に、製造業は、その変化幅が1.36倍と大きい(図表1)。最近は、円安と価格転嫁が急激に進んでいることもあり、製造業の経常利益は着実に増えている。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

それとは全く別に、人件費は完全に横ばいである。人件費はコロナ禍でも減らず、その代わりに利益が増えても、増減しない。極めて硬直的であるのが特徴だ。

インフレの利益

最近の経常利益の増加について少し詳しく考えてみた。どんな業種がより大きく利益を増やしているのか。法人企業統計の業種別データを調べて、その中で2018年度に比べて大きく増えている業種の順にランキングをつくった(図表2)。

特異な変化をしているものを除外したランキングでは、首位は石油・石炭製品が4.47倍と突出し、2位は紙パの2.65倍、3位は鉄鋼の2.58倍、4位は非鉄金属の2.20倍が続く。これらは、資源インフレで製品価格の値上げを行った業種である。仕入れ価格が上がったことはよく知られているが、同時に製品価格も引き上げているので、利益率も改善したと考えられる。コスト高で収益が圧迫されていると思っていたが、意外に全体の集計値では増益幅を拡大できていた。まさしくインフレの恩恵である。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

製造業の集計値は、前述の通り、1.36倍である。自動車(1.2%増)や生産用機械(▲8.0%)のように、値上げの恩恵を受けにくい製造業の業種もある。こちらは円安の恩恵もあっても、半導体不足などで低調だ。

業種別の経常利益では、インフレの利益以外の要因で大きく押し上げられている業種もある。情報通信機械(2.16倍)や電気機械(33.7%増)は、コロナ禍での半導体需要の高まりで利益を得ている。

増える業種と増えない業種

個別の業種で経常利益が増えた企業は、人件費を増やしているだろうか(図表3)。石油・石炭製品は、人件費が2018年度に比べて3.7%増えていた。紙パは▲6.9%減っていた。利益が2倍に増えた上位10業種では、3業種が人件費を減らしている。上位20業種では、9業種が減らしている。たとえ人件費を増やした企業でも、人件費の伸び率は、経常利益の伸びに比べて小幅だ。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

企業がインフレによって潤っている反面、その利益が賃金に反映させにくいことは、実質賃金の低下につながる。例えば、消費者物価が3%増えて、経常利益が10%増えたとしよう。人件費が1%しか増えず、賃金も1%だったとすると、実質賃金は▲2%とマイナスになる理屈だ。労働分配の適正化は、経済の好循環を実現するために不可欠な構造調整となる。

賃金の強烈な硬直性

賃金の硬直性は、2000年頃からほぼ一貫して続いている(図表4)。デフレの犯人のひとつだ。

なぜ、利益が増えているのに、このように人件費が増えにくいのだろうか。最近は、物価上昇もあって、かつてないほどに賃上げをするべきだという圧力が働いていると思う。それを跳ね返して、賃金を増やそうとしない原理は何なのだろうか。

<仮説1:岩盤>

敢えて理由を考えると、コロナ禍で賃金を下げなかったから、その穴埋めに当分は賃金を据え置くという考え方だ。しかし、業種ごとにみると、十分に穴埋めはできて、利益の上積みが進んでいる業種もある。

むしろ、そうした業種が人件費を据え置くのは、企業内の収益管理をする部門が相当に頑なに人件費を抑えにかかっていて、労働組合の要求を跳ね返しているのかもしれない。企業の内部に「見えない岩盤」があるという見方だ。

<仮説2:利益の質>

別の理屈を考えると、資源インフレで企業の利益が増えたとしても、それは従業員の成果として認められない。資源インフレで増えるのは、変動利益である。人件費は、固定費である。企業の固定費は、販売数量が増えるときに軽くなる。

1人当たりの生産数量(販売数量)が増えることは、物的生産性の上昇になる。変動利益が増えても、販売数量が増えなければ、企業は物的生産性が上がったとみなさず、賃金を上げない。変動利益の増加は、従業員のものとはみなさないので、賃金分配が増えない。利益の質によって分配が行われにくいという仮説は成り立つ。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

賃上げのために

肝心のことは、どうすれば硬直化している賃金を増やせるのかという点だろう。2023年の春闘に向けて、労働団体は、5%程度という野心的な賃上げ率を掲げている。岸田政権も、きっと賃上げを後押ししたいと考えているだろう。

すでに、有識者は様々な提言を行っているので、あまり語られない方策を考えてみた。筆者は、賃上げが進まない理由について、企業に対する外側からの賃上げ圧力の弱さがあるとみる。企業自身が利益の中から独自に賃金を決めようとするのは、内側の力だ。企業の内部では、経営者側が賃上げ率を抑制しようとする圧力が強い。そうした内圧は、1990年代以降に強まり、逆に「他社も上げないから自社も上げない」というかたちで外側の力が弱まった。

また、労働運動が穏健になったこともある。欧米では、物価上昇でストライキが頻発しているのに、日本は静かなものだ。

ひとつの対案は、メディアや情報サービス業が賃上げする企業がどこかという情報をもっと積極的に紹介し、賃上げに熱心な企業ほど優秀な人材を集めやすくすることだ。日本企業の中には、業界他社の動向に影響を受けやすい企業もまだ多い。「あの会社は賃上げしている」という視点で、個々の企業が注目されることは、外部からの力を強めることになる。

今後、政府は賃金の硬直性をより柔軟化するために、環境づくり・制度見直しに知恵を絞っていく必要があるだろう。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生