本記事は、坂上雅道氏の著書『世界最先端の研究が教える すごい脳科学』(総合法令出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

みかん
(画像=Es75/stock.adobe.com)

みかんの匂いを嗅ぎ分けられなくなったら要注意

「年を取るといろいろな匂いが嗅ぎ分けられない」

そんな話をどこかで聞いたことがあるかと思います。嗅覚障害の有病率は、年齢と共に増加することがわかっています。例えば、70歳から79歳では、およそ3割の人が嗅覚障害の症状を持っているといわれています。

80歳から97歳の年齢層では、62.5%の人が嗅覚障害の症状を持っているのです。

脳の構造上、匂いを嗅ぎ分ける嗅覚(嗅内皮質きゅうないひしつ)は、脳の中では記憶をつかさどっている海馬のすぐ近くにあります。このため、嗅覚と記憶は非常に関連性があるとされており、嗅覚障害は認知機能低下の1つの目印になっています。

海馬は私たち人間が外界を把握するために、必要な脳内地図を作っている場所でもあります。

この地図を作る能力は身体能力にも関連しているとされ、近年では、パーキンソン病の歩行能力の低下と嗅覚障害が関連しているという研究発表もあります。このように嗅覚の識別機能は認知症の発症率や死亡率、言語記憶、知覚速度、エピソード記憶に関わる指標として、近年、注目が集まっているのです。

世界最先端の研究が教える すごい脳科学
(画像=世界最先端の研究が教える すごい脳科学)

ところが、健康診断では嗅覚検査は行われていません。このため嗅覚機能と認知機能、脳の委縮との関連性はほとんど分かっていないというのが現状です。

そこで、福岡大学スポーツ科学部の古瀬裕次郎博士らの研究チームでは、福岡市の人工島であるアイランドシティの住民を対象とする疫学研究を実施しました。

研究対象者は、介護を要さず自立した生活を送っている63歳から85歳の地域住民44人(平均年齢72.4±5.7歳、男性14人)です。日本の生活で嗅ぐ機会の多い12種類の匂い(バラ、木材、みかん、練乳、カレー、使用後の靴下など)の試薬を用いて嗅覚検査を行いました。そして、その嗅覚検査の結果を認知機能、身体機能、脳MRI検査の結果と照らし合わせるとともに、高血圧、糖尿病、脂質異常症やうつレベルとの関連を調査しました。

なお、脳のMRI検査では、記憶や感情にかかわる海馬や扁桃体、嗅内皮質きゅうないひしつが含まれる内側の側頭葉そくとうようあたりと、脳全体の灰白質の萎縮の関係を調査しました。

12種類の個々の匂いを嗅いでもらうと、みかんの匂いが分らないことと、内側の側頭葉の萎縮の関連性が発見されました。実は柑橘類かんきつるいでもオレンジの匂いは以前から嗅覚機能を判断する指標として用いられてきました。平均70代の高齢者と平均20代の若い人で比べた研究の中には、49倍も若者のほうがオレンジの匂いに敏感であることがわかりました。

今回の研究では嗅覚障害が海馬や扁桃体、嗅内皮質きゅうないひしつが含まれる内側の側頭葉の萎縮によって引き起こされるということがわかりました。先行している研究で、嗅覚障害が身体能力低下につながるというというものがありましたが、今回、そのようなケースが見られなかったのは、調査対象にした実験協力者の年齢がやや若かったからではないかと考えられています。

いずれにしろ、みかんの匂いを嗅ぎ分けにくくなったら、認知機能が低下しているサインかもしれません。

脳が萎縮しても認知機能が正常な人とは?

脳が次第に小さくなっていく脳の萎縮は高齢者になってから発生するといわれていました。しかし、近年の脳研究によって、脳の容積は20代が最も大きく、その後は30代であっても、脳の容積は次第に小さくなっていくことがわかってきました。

では、なぜ加齢によって脳の容積が減ってしまうのでしょうか? その理由は年齢だけではありません。肥満や糖尿病などの生活習慣病を患っているかでも変化します。また、疲労度や食生活などでも脳の容積が減ることが研究で示されたのです。

しかし、脳の容積が減ったからといって、即、認知機能が低下する認知症になるというわけではないようです。

認知症は臨床の所見や認知機能テストの結果を医師が総合して判断します。現在は診断の客観性を高めるためにMRIやアミロイドPETといった脳画像を用いた診断が並行して行われています。しかし、こうした脳画像から認知症の診断を下すのは難しいとされています。認知症の中でも最も多いアルツハイマー病に罹患した患者の死後の脳解剖研究で、病理学的に脳は間違いなくアルツハイマー病の状態にもかかわらず、死の直前まで認知機能が正常だったケースが一定数存在しているからです。これと同じように、MRIで脳の容積減少が進行している、またはアミロイドPETでアミロイド沈着がみられても、認知症の兆候がない人がいるのです。

そこで京都大学の渡邉啓太博士と山川義徳特博士らの研究グループは、脳MRIドック受診者1,799人を対象に研究を行い、脳の萎縮で認知機能が保たれている人と、そうでない人の違いを調べました。

研究では、まず認知機能が保たれているグループと認知機能が低下しているグループに分け、それぞれ肥満の程度や糖尿病の有無、高血圧の有無、喫煙や運動、教育年数などの比較などを行いました。すると、加齢による脳の容積減少が進行していても、認知機能が保たれているグループは、大学や大学院卒業など教育年数が長いということがわかったのです。ただし、認知機能が保たれている原因については、若い頃によく勉強していたからか、大人になっても勉強する習慣を持っていたからなどの原因を特定するまでには至っていません。

また、この研究では認知機能と強く関連すると考えられている海馬の容積を測定するよりも、脳の灰白質かいはくしつの容積から算出したGM(Gray Matter)- BHQのほうが、認知機能と強く相関していることが明らかになっています。

脳の容積が減っていても、認知機能が保たれるというのは、もしかしたら、シナプス可塑性によって、ニューロンの配置がより効率的になったおかげかもしれません。詳細な科学的な根拠は今後も注目したいところですが、何かに興味を持って勉強をし続けるということは、高齢化の進む日本で重要なことなのかもしれません。

=世界最先端の研究が教える すごい脳科学
坂上雅道
玉川大学脳科学研究所教授。玉川井大学脳科学研究所所長。1985年東京大学文学部心理学科卒業。専門研究領域は思考と創造の神経メカニズムの解明。2000年順天堂大学医学部講師、2002年玉川大学学術研究所教授。2007年より玉川大学脳科学研究所教授。2021年同研究所所長に就任。

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