この記事は2023年2月10日に「第一生命経済研究所」で公開された「賃上げは実現できるか?」を一部編集し、転載したものです。


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目次

  1. 賃上げ期待は大きい
  2. 賃上げの影響力は低下
  3. 物価から賃金へのパス
  4. 賃上げの考え方

賃上げ期待は大きい

3月半ばの春闘集中回答日を前にして、「今年こそ大幅な賃上げができそうだ」という期待感が高まっている。正直に言えば、筆者はまだ半信半疑だ。例年、事前に期待感を膨らませても、ずっと期待を上回ることがなかったからだ。だから、期待先行を戒める気持ちがある。例えば、消費税が上がった2014年は、消費者物価・総合が暦年の前年比で2.7%も上がった。当時の安倍政権も、賃上げに対する働きかけを増税以前から強めていた。結果は、2.3%の賃上げ率(含む定期昇給)しか上がっていない(厚生労働省調べ)。毎月勤労統計では、一般労働者の現金給与は前年比1.0%である。

2014年の物価上昇は、増税が原因だから外生的要因となる。2022年は、海外経済の要因を受けつつ、前年比2.5%まで上がる内生的要因の物価上昇である。その違いを考えると、2023年はもっと上がってもよいと感じる。

実は、過去、消費者物価・総合と現金給与総額の伸び率はかなり相性が良かった(図表1)。2010~2022年のデータは、割と連動している。これは、賃上げによって、家計の購買力が高まり、物価上昇が促されるという関係と、物価上昇に反応して賃上げが促されるという双方向の関係が作用している。2023年を考えると、今のところ「物価上昇を受けて賃上げが促される」関係が強まるとみられている。仮に、2023暦年の消費者物価・総合が前年比2.0%になるとすれば、賃上げ率はどのくらいになるのだろうか。日本経済研究センターのESPフォーキャスト調査(2月)では、2023年度の前年比1.87%である。そのデータを基礎にして暦年を計算すると、2023年の消費者物価は2.0%になってもおかしくはない。しかし、2010~2022年の推計式を作って計算すると、賃上げ率は2023年は2.2%と期待外れのものになる。これは、過去の経験則をなぞって導かれた数字である。2023年の政治・経済環境を受けた構造変化を織り込んでいない。

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賃上げの影響力は低下

民間予測機関の賃上げ予想は、2.85%である。ESPフォーキャスト調査(1月)では、定期昇給1.78%、ベースアップ1.08%という構成で、平均の賃上げ率が2.85%となっている。この数字が、世の中全体の賃上げ促進のムードを反映しているのならば、少し意訳して「ベースアップ率1%以上、賃上げ3%以上」が求められるのだろう。

この数字の評価としては、最近の政治・経済環境の変化を反映していて、先に筆者が求めた過去の経験則による推計値よりも上振れした値になっている。民間予測の2.85%は、筆者が求めた2010~2022年の推計式よりも、+0.65%ほど上方修正されている。もしかすると、春闘における賃上げ率が2.85%になることで、事後的に2023暦年の消費者物価も2.65%前後まで上方修正されるかもしれないという見方もできる。これは、「賃上げにより家計の購買力が高まり、物価上昇が促される」というフィードバック作用が働くからだ。

ところで、春闘が現金給与全体にはどのくらい影響力を持つのだろうか。調べると、その影響は決定的に大きくはない。例えば、2022年の現金給与総額の構成は、一般労働者が90.1%で、パート労働者9.9%である(毎月勤労統計、図表2)。さらに、所定内給与は全体の66.9%、所定外給与は5.5%、ボーナス・手当など特別給与は17.7%である。

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さらに、定期昇給は50歳の手前で停止される。従業員の中で50歳未満の人件費は66.4%を占める。60歳以上のシニアは、定期昇給やベースアップの恩恵を受けにくい。従って、賃上げの効果はさらに薄まる。人件費に占める賃上げの影響力は44.4%程度である。これとは別に、一般労働者のシニア従業員の給与が企業側の裁量によって決まっている。多くの大企業・経営者は、今後、シニア雇用の義務化が70歳にまで延長されることを強く警戒している。その警戒心は、なるべく60歳以上の給与を低くしておきたいという作用を生み出している。その点を考えると、継続雇用が行われていなかった時代に比べて、現在の方が春闘の影響力は落ちていると考えられる。

物価から賃金へのパス

データ分析をすると、春闘の賃上げによって所定内給与が増えていく関係性は強かった(図表3)。現金給与総額が所定内給与から受けている影響力は、1994~2022年と2010~2022年を比べてみると、最近の方が低下していた。近年は、非正規雇用者の給与や特別給与の方が相対的に強まっているということだ。ならば、非正規雇用者の待遇改善や正社員の賞与拡大はどうすれば促されるのか。

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その答えは、企業収益の拡大を通じた波及効果があるということであろう。物価と企業収益の関係は、マクロでみると割に大きい。物価上昇→名目GDPの変化率→企業収益(経常利益)の変化率という経路があるからだろう。ミクロの視点に立つと、企業の価格転嫁が進めば、企業収益が増える。同時に、その価格転嫁は、物価指標を押し上げる。従って、物価上昇→企業収益増加という関係をつくるのだろう。

ただし、問題はその価格転嫁に時間を要することだ。非正規雇用者の給与が増えるとき、そのコスト増が製品価格にすぐに上乗せされるだろうか。非正規雇用者の時給がコストの中で高いウエイトを占めているサービス業では、人件費分の増加をサービス価格に上乗せしにくいのではなかろうか。春闘の賃上げが所定内給与を上げる反応に対して、非正規雇用の時給やボーナス・手当のような特別給与の方が時間差が生じる可能性がある。

賃上げの考え方

まとめとして、賃上げによる現金給与全体の働きかけをどう考えるかを説明しておきたい。

①今年の春闘は過去の経験則を上回るような賃上げが期待されている。

②春闘の賃上げで、現金給与全体が決まる訳ではなく、非正規雇用者の給与増や、ボーナス・手当の増加も追いついて来なくてはいけない。

③人件費増を含めた価格転嫁が、より幅広く進んでいけば、非正規雇用者の給与などへの波及も時間差を置いて生じてくる。

筆者は決して春闘の賃上げ率が低くてよいなどとは思わないが、賃上げだけでは不十分だから、時間をかけて企業の価格転嫁が促進されるのを待つ必要があるという理解だ。その価格転嫁を促す要因を考えると、やはり賃上げができるところが率先して賃上げをして、消費者の購買力を高めることが側面支援として有効になる。経済活動は、雁行形態のように、後から価格転嫁の促進が後押しになって、さらに価格上昇を促すことになるだろう。2023年の春闘は、今までのデフレ構造を打ち破る最初の一撃(初動作用)として重要なことに代わりはない。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生