本記事は、ジョン・フィッチ氏とマックス・フレンゼル氏の著書『TIME OFF 働き方に“生産性”と“創造性”を取り戻す戦略的休息術』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。
人間はAIと共に栄ていく
今の時代は、多くの人がナレッジワーカーだと言える。
ナレッジワーカーは、肉体労働を通して価値を作り出すのではなく、考えることや作ることが求められる職業だ。ほとんどのナレッジワーカーはその分野の第一人者であることが多く、高等教育と現場での経験、またはその両方の深い知識をもっている。
しかし多くの場合、その知識のほんの一部しか役立てられない働き方をさせられている。
「専門家」らしいことは一切できず、事務作業や単純作業に追われ、情報を伝達するだけの役回りを任されるのである(Slackやメールの専門家だというのなら話は別だが)。
しかもこういった業務はとても気が散るし、ゆくゆくはAIや他の生産性向上ツールに任されるようになるだろう。もう準備は整いつつある。自身のキャリアを、なにかを作り出したりする人間らしい側面や、その専門性に向けられなければ、立場は危なくなる。
あなたの仕事内容は、ルールブックや指南書で説明可能だろうか。答えがイエスなら、あなたの仕事は機械か、安価な労働力によって取って代わられるだろう。その仕事が容易にできると言っているわけではなく、付加価値が下がると言っているのだ。
価値ある存在でいたいのであれば、AIには取得できないスキルを磨くことだ。AIの現時点での最高形態はディープラーニングだ。とても強力だが、その正体は大量のデータを統計学的に分析できる能力に優れているというだけだ。
専門家の間では、囲碁とチェスは「完璧な情報ゲーム」と呼ばれるが、その意図がすべてのプレイヤーに周知されていれば、AIはもっとも成功しそうなパターンを選び出して勝つことができる。
しかし、現実世界でそんなことはできない。とくに、創意工夫が欠かせないプロジェクトではありえない。AIには多くのことができるが、決まったパターンの外側から情報を見つけてくることは人間にしかできないのだ。
真にクリエイティブなアイデアは、いつも統計的な予測の外側で起こるものだ。仕事の価値を下げないためには、枠から外れた「異常値」を作るつもりで挑まなければならない。
そして僕たちは、一歩引いてうまくいかない原因を探り、状況を打開することができる。
僕たちには、学び直す能力があるのだ。昔のやり方ではうまくいかないとわかったら、新しいやり方を試せばいい。コンピューターサイエンスのパイオニアとして知られるアラン・ケイは、次のように述べる。
「ある意味、将来の可能性は我々がどう学ぶ(learn)かではなく、既知のものをどう捨て去る(unlearn)かにかかっているとも言えるでしょう」
人類はこれまでも何度も変化を経験したけれど、その変化の頻度が上がっている。既知の概念にとらわれないことで、変化を受け止め、新しいテクノロジー開発の波によって生み出されるチャンスやツールを逃さずキャッチすることができるのだ。
AIと共に栄えるには、ルールに従うことよりも「学び方」を学ぶことを重視しよう。明確な制限を取っ払ったらなにができるかを考え、自分なりのルールを持ち、参加しているゲームから知恵を借りたり、遠くにある点を繋いだりすることが必要だ。
不確かであることに慣れ、自分の創造性に舵取りを任せよう。どんな分野であろうと、クラシック音楽のような演奏を目指さず、ジャズの即興を目指してみよう。
追求するのは、究極の「人間らしさ」だ。産業革命により「流れ作業」の列に加わって以来、僕たちはずっと機械のように働かされてきた。でもこれからは、機械のとなりで、人間らしく栄えよう。忙しいだけの役回りは捨てて、人間にしかできないスキル、特性、才能を磨くのだ。それは、あなたの中からどんどんあふれだしてくるだろう。
人間は「でっかく」考えられる
AlphaGoに李世ドルが惨敗したとき、多くの棋士たちが意気消沈した。しかし、最初の衝撃が落ち着いたとき、そのカオスの中に前向きな動きが現れた。
最初の5局で李世ドルは、機械が人間のプレイヤーとはまったく違う戦い方をすることに気づいていた。実況していたコメンテーターたちも、AIが失敗しているのか、絶妙な手を繰り出しているのか、判断がつかなかった。全会一致だったのは、人間の巨匠はAIのような手は考えないということだった。
それからすぐに、人間がAlphaGoの対局スタイルを研究し、AIを強力な訓練相手として採用し始めた。李世ドルがAI相手に1勝したのは、誘導を軸に対局を進めたからだった(のちに観戦者が「神の一手」と呼んだ動きが決め手だった)。
李世ドルは、あの一手が可能だったのは、AlphaGoによって追い詰められ、自分を超える「超人的」ななにかを引き出せなければ勝てないともがいたからだと述べている。
対局からの数年間は、「人間らしくない」プレイスタイルが多くのプロ棋士たちにインスピレーションを与え、この新しい視点から、囲碁へのより深い理解が進んだ。
ナレッジ・ワークで重要なのは戦略だ。戦略を作り、アップデートするためには、発散的思考(広く全体を見渡したうえでアイデアをたくさん出すスキル)と、集中的思考(突き詰めて集中するスキル)が必要だ。
現在のAIアプリやシステムは集中型の仕事に向いている。専門家はこの種類のAIを「特化型AI(Narrow AI)」と呼ぶ。ひとつのことに集中する能力はずば抜けているが、設定やタスクがちょっとでもズレると知識を適用できない。狭い領域であればすべての点繋ぎができるが、発散的思考と俯瞰的視点で戦略を立て、遠くの点をも繋ぐことができるのは人間の方なのだ。
特化型AIはこれから数年の間に大きな発展を遂げるだろうが、汎用型AI(General AI)がそうなるには、もうしばらくかかると専門家は予測している。
だから僕たちには、守備範囲の広い思考が求められている。特化的ツールの新しい使用方法に焦点を当て、集めたデータを基に僕たちの「神の一手」を繰り出すのだ。
AIツールの新たな可能性を想定し、それを進化させ、統合し、新しい文脈に変換する方法を戦略的に考えられる人だけが成功を収めるだろう。そしてその成功のいくつかを、すでに僕たちは目撃している。
ディープマインド・テクノロジーズはAlphaGoや他プロジェクトにより習得した専門性を現実的な問題解決に役立てている。たとえば目の病気の診断速度を上げたり、グーグルのデータセンターの冷却を最適化してエネルギー消費量を30パーセント抑えたり、人体にたんぱく質がどのように保たれるかについての理解を助けたりしている。
現代のAIは、可視化や後方支援の役割だ。戦略を立てることも、領域をまたぐことも、不公平な状況を工夫して切り抜けることも、俯瞰して状況を判断することもできない。
だけど、僕たちにはそれができる。強力なツールとしてAIを使いこなし、やり遂げることができる。人間らしい仕事を、これまでよりうまくやっていけるはずだ。
人間は「気持ち」がわかる
落ち込んでいるとき、AlexaやSiriに同情してもらっていると感じたことがあるだろうか。おそらくないだろう。
心情を理解してもらうことや、気持ちを共有できることは、人間のやりとりや関係作りに欠かせない。友人に心をこめて忠告をしたり、同僚との連帯を感じたりといったエンパシー(共感)は、人類の進化の根底にある。機械はこれがすこぶる苦手である。
人の数ほど、状況や感情には種類がある。AIシステムが嬉しい顔や悲しい顔を認知できるのはすごいことだが、感情を理解していることにはならない。視覚的なヒントやたくさんのデータから、パターンに当てはめているだけだ。
しかし、人間の感情はとても複雑だ。嬉しくて泣くときもあるし、悔しいのに笑うときもある。限られた情報しかないなかで、直感に頼るときもある。
人間関係やコミュニケーションは、かなり混沌としていて、チェスや囲碁のような完璧な情報戦とはほど遠い。自分の気持ちさえ理解できないこともあるのに、他人の気持ちを理解するなんて難しすぎる。
さらに、感情に名前を付けることと、その文脈や意味を理解し、適切に応えることはまったく違う。この力、つまりエンパシーを感じる能力は機械には備わっていない。
統計によると、ビッグデータは人間が共感する能力と対等にはなれないらしい。人間は直感的に感情を察知することで、AIには理解できないものにも、思いやりを持つことができる。一方で、エンパシーの力を向上させるために、AIを役立てることはできる。
退屈な仕事は新しいテクノロジーに任せて、僕たちは独自スキルを伸ばしていこう。
マックスは昔、AIプロダクト開発を任されていた。このプロダクトを使うと、証券アナリストは大量のニュース情報から洞察を得ることができ、投資先を決めるまでの情報収集時間を9割削減できた。
単調で機械的な仕事をしなくてよくなったので、その時間で自分のスキルやクリエイティビティ、人との繋がりを活かせる業務に取り組むようになった。AIを敵視せず、味方につけることで仕事のレベルを押し上げたのだ。
医療や法律のプロを思い浮かべてほしい。「専門家」という言葉から思い浮かべる典型的なイメージを持つ職業だ。この人たちは、事務的で単調な仕事にどのくらいの時間を費やしているのだろう? 患者と向き合う時間は取れているだろうか? ちゃんと集中してそれぞれのケースに取り組めているだろうか?
現代の病院は、工場と似ているところがある。患者はまるでベルトコンベヤーに乗せられているかのように、標準化された過程をたどらされる。どのカテゴリーに当てはまるかを手早く判断され、次のセクションへと送られるのだ。
もしAIによって医師の事務仕事が9割削減されたらどうなるだろう?
余った時間を患者としっかり向き合うために使うことも可能になる(あるいは週30時間残業をやめてきちんと睡眠時間が取れる)だろう。機械が機械でもできる仕事を請け負い、人間が人間らしい仕事をもっとできるようになったら、ケアの質は向上するのではないだろうか。
「アスペン研究所」による2020年の人工知能についての会議で、報告書は「人工的な親密さ」と名付けられた。その中では、Siriの共同開発者である前CTOのトム・グルーバーの「AIの新たな役割は、僕たちが集合体としてもっと良くなれるように補佐することだ」という言葉が引用されている。
既知の概念を手放し、無知を認める重要さについての報告もある。マサチューセッツ工科大学教授のシェリー・タークルは、エンパシーは「『あなたの気持ちがわかるよ』から始まるわけではない。あなたの気持ちがわからないと気づくことから始まるのだ」と述べる。
内省と思いやりに根差したこの気づきこそ、人としてのスキルでしか到達できないものだ。しかし、AIの力を借りて、そのスキルを高めることはできるかもしれない。