この記事は2023年5月22日に「第一生命経済研究所」で公開された「財政支出をうまく使って成長を図れ」を一部編集し、転載したものです。
(※)本稿は「週刊金融財政事情(5月2日号)」への寄稿を基に作成。
効果的な財政支出とは
これまで、我が国の経済政策は、伝統的な金融・財政政策よりも、相対的に政府の関与を狭める構造改革アプローチを志向してきた。しかし、この政策では十分な景気浮揚に繋がってこなかった。
こうした中で、海外における経済政策の新たなコンセンサスとなっているのが、成長戦略としての財政政策である。すなわち、気候変動対策や経済安保、格差是正等の将来の社会・経済課題解決に向けてカギとなる技術分野や戦略的な重要物資、規制・制度等に着目し、政府の関与を拡張するというものである。
実際、米国のイエレン財務長官が進めるバイデン民主党政権の成長戦略は「モダン・サプライサイド・エコノミクス=MSSE」と呼ばれ、人的資本の蓄積やインフラの整備、研究開発の促進、環境対策の推進などへの効果的な財政支出による成長戦略が、新たな経済・財政運営のルールとなることが示されている。
そしてイエレン氏は、1兆ドルのインフラ投資と1.75兆ドルの子育て・教育・温暖化対策をMSSEアプローチと位置付け、格差や気候変動に対処しつつ、労働供給や生産性を底上げすることで潜在成長率を中長期的に押し上げ、包摂的でグリーンな成長を目指すとしている。
以前からイエレン財務長官は、FRB議長だった 2016 年当時の講演「危機後のマクロ経済研究」で従来の供給側中心の成長理論を批判し、需要不足が低成長を恒久化させる恐れを指摘しており、長期の成長のためにはマクロ経済政策により総需要を拡大し、高圧経済にする必要があると主張してきた。
また、ハーバード大学のサマーズ教授も、2013年に先進国経済を「長期停滞」にあると診断し、積極財政が最も有効と主張してきた。そして、ファーマン元CEA委員長と共著の「低金利時代の財政政策の再考」(2020 年 11 月)では、金利変動で国債償還費も変動することからすれば、それを考慮しない「政府債務/GDP」はミスリードとし、政府は予算均衡よりも利払いを GDP 比で抑える運営が望ましく、今後十年間は償還費の急騰や GDP 比2%以上になるのを避けつつ、成長を促進する分野に焦点を当てた財政政策を行うべきとしている。
こうした中、ブランシャールMIT名誉教授は、2019 年5月に公表した「日本の財政政策の選択肢」で、日本は悪性の「長期停滞」にあると診断しており、需要不足で金融政策の限界にある日本では、プライマリーバランス赤字が長期にわたって必要になると主張している。
我が国においても、西村清彦・土居丈朗両氏が日本経済新聞に寄稿した「コロナ後の財政金融運営~マイルドなインフレ視野に~」(2021年3月)の中で財政政策の重要性を提言している。具体的には、日本経済はかねてから総需要の傾向的低迷から生じる低インフレ・低成長の問題を抱えており、コロナ禍はそれをさらに悪化させ、回復には他国よりも時間がかかる可能性を指摘している。そして、政府は真に効果的な需要喚起策で成長戦略を実現して、マイルドなインフレを目指すことを明確にする必要があり、そのために財政収支改善のペースを落としたほうが良い情勢なら、厳選して真に効果的な財政政策で総需要とインフレを後押しするものにすべきとしている。
効果的な財政支出を実現するための課題
しかし、日本の政府・国会や学会において今のところこの考えが主流にはなっていない。この理由として、政府債務が将来世代の負担という誤った認識が国民の間に蔓延ってしまっていることがある。
事実、政府債務が過大になれば、景気の過熱により金利が上昇して民間部門の資金調達がひっ迫するという現象が起きる。しかし、少なくとも長期停滞以降の日本でそうした現象は起きていない。背景には、民間の資金需要が異様に弱く、政府債務残高を大きく上回る民間の金融資産残高の存在がある。そして、将来世代に巨額な政府債務が引き継がれても、将来世代に便益を与える長期の投資が行えれば、そのような支出は先々リターンをもたらし、将来世代の生活を改善する。
こうした中で、財政の予算制約はインフレ率となろう。特に日本のマクロ安定化政策面では、90 年代後半以降、中央銀行の独立性が重視されるという特徴があった。しかし、アベノミクスをきっかけにインフレ目標2%達成に向け、政府と日銀の政策連携が強まって以降は、アベノミクス以前のマクロ安定化政策とは状況が異なる。
特に、最もアベノミクス以前のマクロ安定化政策と異なるのは、政府と日銀の政策連携である。サマーズの長期停滞論のように中立金利が大幅マイナスに陥り、金融政策のみでは緩和的な金融環境を作ることができない日本においては、政府債務の予算制約はインフレ率となり、その範囲内でいかに長期停滞が次世代に引き継がれることを是正することこそ、賢い財政支出に課された重要な使命の一つと言える。
諸外国を見ても、中国は「中国製造 2025」の中で、重要分野の7割国産化を目標としている。また、「国家集積回路産業投資基金」を設置し、半導体関連技術に計5兆円を超える大規模投資を実施している。これに対して、米国バイデン政権の成長戦略でも、超党派インフラ投資法で総額1兆ドルのインフラ投資に加え、半導体・科学技術法として国内半導体製造業へ5年間で527億ドルの資金援助、インフレ抑制法として4330億ドルの経済対策を打ち出している。
EU でも、2020年5月に電池や半導体といった戦略的な重要物資のチョークポイントを分析し、特定国への依存を低減させ自立化を図る「2020産業戦略アップデート」を公表する一方で、2019年7月に打ち出された「EU 復興パッケージ」では、イノベーション支援やグリーン・デジタルへの移行などのために、合計で約 1.8 兆ユーロの予算を計上している。
このため、この機会に海外の成長戦略としての財政政策の検証を行いつつ、時代の大きな変化に合わせて「新しい資本主義」を確立し、実行していくことが、岸田政権には求められる。しかし、この取り組みがうまくいくには、財政健全化目標の柔軟化が必要であることの認識が必要であろう。岸田政権には、グローバルスタンダードとなった成長戦略としての財政政策を速やかに決断・実行に移していくことが求められる。
効果的な財政支出を実現するための方策
こうした中、日本政府はこれまで財政健全化目標として2025年プライマリーバランス(以下、PB)の黒字化と債務残高対GDP比の安定的引き下げを掲げてきた。しかし、コロナショック前までは財政リスクが最も高いイタリアがPB黒字だったことや、海外の主流派経済学者や米財務省が財政健全性を図る指標の重要性を『政府債務残高/GDP』から『政府純利払い費/GDP』にシフトしつつあること等からすれば、日本の財政健全化目標も国際標準に近づけていくことが必要だろう。
事実、G7諸国の『政府純利払い費/GDP』を比較すると、OECDの2022年見通しベースで日本はカナダ、ドイツに次ぐ三番目に低い水準であり、一方の英国はイタリアに次いで2番目に高い水準にある。
ただ、単純に財政健全化目標をなくすことで国債の格下げが起きれば、影響は無視できない。その観点からすると、財政健全化目標の完全撤廃は行き過ぎだろう。しかしながら、財政健全化目標が行きすぎることによって、財政金融政策や経済の正常化を進める上での支障となってはならない。
実は、PBとGDPギャップの連動性は高く、経済が正常化すれば自ずと財政も健全化するといった関係がある。実際、1990年代後半以降のPBと内閣府版GDPギャップの関係を見ると、非常に連動性が高いことがわかる。そして、PBにおける2010~2013年の下方乖離は民主党政権によるアンチビジネス政策、2015~2019年の上方乖離はアベノミクスによるプロビジネス政策が影響していると推察されるが、考え方次第ではGDPギャップ対比で財政を引き締めすぎた可能性も示唆される。
このため、当面はGDPギャップをプラスにすることを最優先して、財政健全化目標を柔軟化することも検討に値しよう。そして、財政目標は景気動向を配慮したPBにした方が適当と思われる。
国際標準的な考え方に基づけば、需給バランスを考慮した構造的なPB赤字をなくすことを目標にすることが一般的なため、需要不足の状況の際にはPB赤字が許容され、需要不足解消時に赤字が残っていれば、構造的な赤字を解消する必要があると考える。
そして、構造的PBはGDPギャップを用いて景気動向を調整するのが一般的だが、デフレギャップが存在する中で無理に財政を緊縮気味に運営しても却ってPB赤字を悪化させることにもなりかねない。
多くの海外主流派経済学者が指摘しているとおり、2010年欧州債務危機を受けて財政健全化が実施されたが、この健全化は規制を理由に行われたものであり、強力すぎたためにEUの回復を遅らせた。いくら財政健全化を強力に進めても需要が減ってしまえば税収が減ってしまうためである。
このため、GDPギャップのプラスが達成できれば循環的PBは黒字化するため、「(GDPギャップがプラスになってから)数年以内に構造的PBの黒字化を目指す」といった財政健全化目標にしてもいいのではないか。GDPギャップが需要超過となる局面を迎えれば、財政はまず歳出削減、それでも足りなければ増税し、健全化に向かってもいいだろう。そうなれば自然と金融政策も出口が見えてくるだろう。
【参考文献】
Summers, Lawrence H. 2015. Have We Entered an Age of Secular Stagnation? IMF Economic Review 63: 277–328.
Blanchard, Olivier. 2019. Public Debt and Low Interest Rates.American Economic Review 109, no. 4: 1197–1229.
Jason Furman and Lawrence Summers.2020.“A Reconsideration of Fiscal Policy in the Era of Low Interest “
オリヴィエ・ブランシャール 田代毅『日本の財政政策の選択肢』PIIE(2019年5月)
西村清彦・土居丈朗『コロナ後の財政金融運営 マイルドなインフレ 視野に』日本経済新聞(2021年3月12日)
経済産業省『経済産業政策の新機軸~新たな産業政策への挑戦~』(2021年6月)
経済産業省『経済産業政策の重点について』(2021年4月)