この記事は2023年5月26日に「第一生命経済研究所」で公開された「著名経済学者から金融政策への警鐘」を一部編集し、転載したものです。
(※)本稿は、ロイター通信に寄稿したものを、加筆・修正した内容である。
刺激的な発言
5月15日の経済財政諮問会議では、清滝教授が、「インフレ率が1~2%程度に定着すれば、量的・質的緩和は解除するのが望ましい」と語った。この発言は、同席している植田総裁に向けられたものである。日銀は安定的に2%と宣言しており、実質的には2%を割り込まないインフレ率を目指しているから、清滝教授はそれを意識して「インフレ率は1~2%の方がよい」と主張したのである。早期解除論とも受け取れる。続けて清滝教授は「1%以下の金利でなければ採算が取れないような投資をいくらしても、経済は成長しない」とさらに刺激的な発言をする。この発言は、さすがに筆者でさえ、目が点になった。空気を読まない発言とはこのことだ。清滝教授は学問的な強い信念と、勇気がある人物なのだと感じた。近頃、筆者は、経済学者が昔のように勇気ある発言をしなくなったことを寂しく思っていた。多くの場合、持論をオブラートにくるんでバランスを重視する。だからこそ清滝教授の発言には、新鮮さとともに良い意味で学者らしさを感じた。
この清滝教授は、存命中の日本人の中で、まだ日本人の受賞者がいないノーベル経済学賞の最有力候補者である。1997年に発表された清滝・ムーア・モデルという業績が有名である。日本の検索エンジンで「清滝信宏」と入力すると4,600件のヒット件数しか出ないが、海外サイトでアルファベットの名前を入力すると約4.9万件がヒットする。国内と海外で知名度に差があると感じられる。
清滝教授の発言内容
15日の経済財政諮問会議の発言をわかりやすく並べ替えて紹介しておこう。
- 日本でも、円安と輸入物価の急騰から、目標値を超えるインフレが続いている。
- インフレ率が1~2%程度に定着すれば、量的・質的緩和は解除するのが望ましい。
- 量的・質的金融緩和の問題点。長短金利差やリスクプレミアムが小さくなりすぎる。
- 長期金利を低く抑える政策も長く続けると、一方的な投機にさらされて国が損をする。
- 不動産等の資産価値が高くなりすぎる。
- 金融政策の判断は日銀が責任を持つべきだが、1990年代末以降のデフレのトラウマのために、政策判断が遅れてはいけない。
以上の発言は、清滝教授が話した部分の半分である。これらの内容を聞けば、それが日銀総裁である植田総裁に宛てたメッセージだとすぐに直感できる。まず、安定的に2%という目標値は疑ってかかれと言っている。この2%の目標では、金融緩和の長期化によって歪みが生じてしまう。植田総裁は、一貫して低金利を維持しつつ、副作用を是正していく方針を示している。それに対して、清滝教授はすでに不動産価格の高騰などの歪みがあるではないかと迫っている。あまりにバランスを重視して、緩和修正のタイミングが遅れるのは良くないと、植田総裁のハト派姿勢にも苦言を呈している。
清滝教授の清滝・ムーア・モデルと言えば、不動産価格の変動が金融機関の行動を通じて、生産性に影響を与える研究である。日本の90年代不況がまさにこの事例だったので、私たちにはお馴染みとも言える。米国で現在進行形で進んでいる金融から実体への引き締め作用も、このモデルで描かれていることだと考えてよい。こうした研究をしてきた清滝教授だから、日本の不動産価格が実勢よりも高くなっていることに対して警鐘を鳴らすのだ。つまり、見えにくいかたちでの緩和の行き過ぎがすでに起こっており、それが中長期的にみて日本の経済成長率を押し下げていると伝えたいのだろう。
少し解説すると、清滝教授は金融政策の役割とは何かという世界観が、一般的なものとは異なる。まず、金融政策そのものが、採算性の高い事業プロジェクトを生み出すことはできないとする。できるのは、金利水準を低くして、限界的に採算性がより低いプロジェクトを実行できるような環境を生み出すことだ。不動産価格が上がり、借り入れ企業の融資担保の制約が緩くなって、今まで採算が取りにくかった案件でも実行されやすくなる。過剰な緩和圧力が生じる。
元来、金融政策では、実勢(中立金利)よりも、政策金利を下げると、採算性の低い事業案件を実勢させ過ぎてしまう。さらに長期金利コントロールや質的緩和をすると、一段と採算性が低い案件まで実行される。これは需要面ではよいことに思えるが、供給サイドで考えると、決して採算性が高くない脆弱な事業を増やしてしまうことになりかねない。人為的な低金利をあまりに長く行うと、脆弱な事業が増えて、「デフレになりやすくなる」というマイナスがある。だから、超低金利は長くは続けられない政策(一時的に有効)になる。清滝教授はニューケインジアンというマクロ経済学者の立場から、低金利が長期化すると、実体経済に歪みが生じてくると考えているのだろう。清滝教授の「1%以下の金利でなければ採算が取れないような投資をいくらしても、経済は成長しない」という見解はそうした考え方から出てくる。弱者は退出せよなどという安直なことを言っているのではない。低金利は生産性の低い投資案件を実行させて、企業の収益体質を脆弱化させる。これは、今の日銀の政策が中長期的にみて、デフレに陥りやすい素地をつくっているのではないかと、緩和の長期化に批判の矛先を向けている。
日銀は、「時間軸効果」という言葉で期待形成についても、低金利が当面続くという観測を強めることに積極的な意味を持たせている。しかし、インフレ率が大きく高まるときは、実質金利が低下し過ぎたり、資産価格が必要以上に上がるという負の側面が強まってしまう。そうした観点は、「時間軸効果」を積極評価する植田総裁とは異なる。清滝教授は、そうした問題点は副作用として看過できないのではないかと批判しているのだろう。
経済成長についての苦言
清滝教授の話の半分は、金融政策に対してであり、もう半分は経済成長に対する見解である。こちらは、少しわかりづらい内容である。だから、オリジナルの発言録に解説を加えて紹介してみたい。
- 過去30年間、日本の労働生産性の伸び率は諸外国に劣った。
- そのため、(日本は)先進国から中進国の方向に逆戻りした。
- バラッサ・サムエルソン効果により、(日本の)実質賃金や非貿易財価格の上昇率が外国より低くなった。
- 東京は、1990年頃、世界で最も物価の高い街のひとつだったが、今はそうではない。そのため、日本はデフレになりやすい傾向がある。
- 今後、デフレになりにくくするためにも、労働生産性の上昇率を諸外国並みに高めることが必要。そのためには、無形資産の蓄積と技術進歩が最も効果的と思う。
この文脈の中では、特に「バラッサ・サムエルソン効果」のところがわかりにくい。一般的な解説では、日本の円高を説明するときに用いられるロジックである。かつて、日本の製造業(貿易財産業)は生産性・競争力が高かった。それによって貿易黒字が生み出された。貿易黒字は円高を招き、サービス価格(非貿易財価格)を割高にしてしまう。円が高くなることは、例えば1万円で購入できる輸入食品の数量を多くさせることを意味する。労働集約的なサービス業で働いて日本人が稼いだ1万円で購入できる食品の数量は、円高期は増えていた。プラザ合意後の円高は、その後1980年代後半の内需拡大を生み出した。サービス価格が割高になることは、日本人の購買力を高めることにもなったのだ。そうした理解を背景に、1990年頃の東京が世界で最も物価が高いと感じられたのは、円高の所産だったと考えるのだろう。貿易財の競争力で円高になり、相対的に生産性が低い非貿易財(サービス)の価格まで割高になった。その原因は、貿易財産業と非貿易財産業の生産性ギャップから来るのだ。これが、バラッサ・サムエルソン効果である。
ここで清滝教授が今使っているバラッサ・サムエルソン効果とは、一般的な解説とは反対の意味になる。すなわち、製造業の競争力が低下して貿易赤字になった日本では、日銀の低金利政策も手伝って、円安が生じた。そうなると、国内サービス価格は今度は割高ではなく、割安になる。いわゆる「安い日本」である。サービス産業で働いて稼いだ1万円で、購入できる輸入食品の数量は減ってしまっている。最近の東京は、先進国どころか、アジアの主要都市よりも物価が安いとされる。バラッサ・サムエルソン効果のことを従来とは逆方向に使っているところが、清滝教授の説明のわかりにくさの背景にある。
清滝教授の話の核心はこの先にある。日銀による円安促進は、デフレ脱却のために行われていると広く信じられている。しかし、清滝教授は逆ではないかと挑戦的な意見を述べる。円安は輸入物価上昇を通じて、見かけ上のインフレ率を高めるが、生産性は上がらない。経済成長を考えるとき、金融緩和だけではその後の継続的な物価上昇・経済成長にスイッチできる保証はない。大切なのは、金融政策を離れて、実体としてある採算性の高いプロジェクトを生み出すことだ。金融政策の力だけでは、生成AIは発明できない。研究開発によって知的ストック(無形資産)を大きくし、基礎研究を実用化するイノべーションが不可欠だ。金融政策だけでは、日本型デフレからは抜け出せない。
清滝教授は、過去10年間の量的・質的緩和がデフレを止めて1~2%程度のインフレ達成に効果があったと認めている。ただし、それはデフレを止めるための非常手段であると述べている。資産価格が下落するとき、信用収縮が起こり、実体経済の成長が脅かされることは、清滝・ムーア・モデルからもわかることだ。危機に際して黒田緩和やゼロ金利導入が阻止したことは評価できる。しかし、経済・物価が平時に戻っているのに、量的・質的金融緩和を続けるのは弊害が大きく、経済の脆弱化を促すと訴えている。円安によって、インフレ促進を後押しすることも、健全な経済成長を前提にした「デフレに後戻りしない」状況を作ることに貢献しない。
筆者もそうだが、清滝教授も円安は悪くて、円高が良いという片方に偏った見方はしていない。実勢より円高過ぎても円安過ぎてもよくない。政策金利も、高過ぎても低過ぎてもよくない。中立的な為替・金利が一番良いと考えている。極論は言っていない。
一方、植田総裁は、実際のインフレ率が3~4%に高止まることにはあまり気を留めずに、今後2%を割り込まないことに注意を払っている。この方針が危ういのは、2%を割り込まない状況が金融政策によって必ずしも生み出せる訳ではない点だ。賃上げ率にしても、金融政策が操作できるものではない。これは植田総裁も認めている。2%を割り込まないことを気長に待つだけの姿勢は、そこで潜在成長率を高める努力が金融政策の範囲外で行われなくては意味がない。
清滝教授は、返す刀で岸田首相にもメッセージを送る。経済成長に重要なのは、「無形資産の蓄積と技術進歩である」という発言を行っている。企業が労働生産性を上げて、自然利子率(潜在成長率)を高めることが本筋なのだという主張である。インフレを貨幣的に高めることが可能せあったとしても、それがデフレになりにくい経済体質づくりには貢献しにくいという論理矛盾を清滝教授は突いている。
筆者は、4月に植田総裁が登場して、これだけ正面切って厳しい反論を浴びせた人はいないと思う。世界的な水準の経済学者とメディアに騒がれた植田総裁は、もう一方の世界的な経済学者からの反論を受けている。さて、植田総裁は、空気を読まない批判に対してどう受けて立つのだろうか。