この記事は2023年6月13日に「第一生命経済研究所」で公開された「骨太方針2023のポイント(構造的賃上げ編)」を一部編集し、転載したものです。
労働市場改革はリ・スキリング、ジョブ型、労働移動円滑化を軸に
2023 年の骨太方針では「構造的賃上げ」の実現を目指した労働市場改革が明記された。新しい資本主義実現会議から示された「三位一体労働市場改革の指針」に則ったものである。①「リ・スキリング」による能力向上支援、②「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」、③「成長分野への労働移動の円滑化」の3点を掲げている(*1)。
*1:なお、構造的賃上げの現状と課題については、以前もレポートしているのでそちらもご参照いただきたい。①コロナ前までも人手不足を通じて転職者賃金が改善していた点、②自己都合離職の失業給付の見直しに関する論点整理、③産業間労働移動と一国全体の労働生産性の関係などについて論じている。
①は職業教育の費用補助を担う教育訓練給付等の使い勝手向上や内容の充実である。個人への直接給付のシェアを高めるほか、デジタル分野など高賃金が見込まれる分野の給付拡充、講座数拡充等を行う。雇用調整助成金については、雇用調整の方法として休業、出向、教育訓練を選択できる仕組みとなっているが、助成率を見直す、30 日を超える場合には教育訓練を原則とする、などによって教育訓練が選ばれやすいようにする。
②のジョブ型雇用については、事例集の公表などを通じて導入を促す。③に関しては、労働者の転職の障壁を取り除くことが志向されている。雇用保険の自己都合退職の際の失業給付における待期について、リ・スキリング取り組みなどを条件に会社都合と同等にする。退職金税制において、勤続 20年超の勤続に対する所得控除額が大きくなっている点を見直し、長期勤続を優遇する仕組みを改める。
カギを握るのは人手不足とその企業の対応
今回の労働市場改革案のポイントは「労働者主導の労働移動」を促すことが明確になり、そのための制度改正が示された点だろう。自己都合離職の失業給付の改正や退職税制の改正がそれにあたる。解雇規制の緩和など企業主導の労働移動でない点が一つのポイントである。労働者がより良い待遇を求めて転職をする、という行動をとることが、企業に既存の労働者のつなぎ止めや中途採用の必要性を生じさせることで賃金を上昇させる。この労働市場の自然なメカニズムが長期勤続優遇型の日本型雇用慣行によって生じにくかったことが、日本でこれまで賃金上昇が生じにくかった大きな理由である。今回の改革案が転職しやすい制度整備に力点を置いた点について、前向きに評価したい。
もっとも、基本的にこうした雇用慣行は政府が制度を変えればすべて変わる類のものではない。今回の改革案ではジョブ型雇用の導入促進を掲げつつも、その内容は事例集を示す程度にとどまっており、インパクトがあるわけではない。失業給付や退職所得税制は転職の一つのハードルではあっても、多くの人にとってそれが転職をためらう決定的な要因になっているかというと微妙だろう。あくまで、今回の改革は労働移動を促すためのサポート役である。企業や労働者にこうした動きを加速させるものが人手不足の経済環境である。人手不足は好待遇の転職案件の増加などを通じて、良い形での労働移動を促す。双方が機能して企業の賃金分配を拡大させるプレッシャーになっていく。
さらに、賃上げが持続的になるための条件は労働生産性の改善を伴うことだ。マクロの実質賃金は労働生産性と労働分配率の掛け算であり、労働分配率に上限がある以上は、労働生産性の上昇がなければ実質賃金の上昇は継続しない。企業は「労働投入当たりの稼ぎ(労働生産性)」を引き上げることを迫られることになり、これが設備投資やビジネスの見直しを促す。ここにはリ・スキリングなどの「人への投資」も含まれよう。2010 年代に行われたコーポレート・ガバナンス改革などは、資本市場からのプレッシャーを通じて企業に資本あたりの稼ぎを高める圧力をかける政策であったと言える。賃金上昇は人件費の上昇を通じて労働投入当たりの稼ぎを高める必要を迫ることになる。その意味で「構造的賃上げ」は賃金上昇によって労働市場から企業に対して「稼ぐ」プレッシャーをかけることを企図している、ともいえるのかもしれない。企業が人手不足の問題を投資等による生産性改善で対応していけるかどうか、に構造的賃上げの成否はかかっているといえよう。
外国人労働者受け入れ政策とのバランスはもっと議論されるべき
「構造的賃上げ」を考えるうえで重要な政策の一つが外国人労働者の受け入れである。技能実習制度の廃止の議論や特定技能制度の対象拡大が進められており、骨太方針でもその内容が掲載されている。
賃金上昇の大きな要因が労働需給のひっ迫である以上、労働供給を拡大させる外国人労働者の受け入れ拡大はその勢いを削いでしまう可能性がある。もちろん、工場設備や IT への投資などによる生産性改善が実態にそぐわない職種もあると考えられ、外国人労働者に頼らざるを得ない部分もある。それが介護などのエッセンシャルワーカーであれば尚更だろう。一方で、人手不足を人で解決し続けていれば、生産性は高まっていかない。長期的にそのバランスをどうとっていくか、という点についての議論は必ずしも深まっていないように思われる。
先進国の多くが少子高齢化に直面する中で外国人労働者の獲得競争も激化しており、将来も安定的に外国人労働者が日本に来てくれる保証はない。官民で人手不足の問題を人以外の方法で解決するための研究開発等に積極的に投資を行っていくことが必要である。それは、外国人労働者を含めた日本の生産性・賃金水準を高め、外国人労働者にとっての日本の働き先としての魅力を高めることにもつながるのではないか。
- Economic Trends「転職者/非転職者の賃金格差は縮小したのか?~「構造的賃上げ」の現状と課題①~」
- Economic Trends「自己都合離職の失業給付はどうあるべきか?~「構造的賃上げ」の現状と課題②~」
- Economic Trends「「成長産業への労働移動」に対する重すぎる期待~「構造的賃上げ」の現状と課題③~」