
南山大学 法学部卒業後、1996年 日本システム開発株式会社に入社。
2015年代表取締役社長就任。
社長に就任後、研究開発投資を積極的に実施。
AI関連での製品開発や特許取得等、自ら会社の方向性を導く動きをかけている。
技術への探求はAIに留まらず、業界で今後必要となる技術については
関連部署に指示をして積極的に技術習得をさせている。
これまでの事業変遷
—— まずは、事業変遷についてお伺いしたいと思います。
日本システム開発株式会社 代表取締役社長・伊藤 健文氏(以下、社名・氏名略) はい、1985年に現会長の伊藤富雄がソフトウェア開発会社として会社を立ち上げました。40年前のことになります。
当時は「第3次オンライン」と呼ばれるシステム開発に対する大きな需要がありました。その需要に対応する形で会社を設立したと、会長から聞いています。会長は前職もIT関係で、様々な職業経験がありますが、会社を立ち上げる直前はオフィスコンピューターの販売を行う会社で営業職の役員を務めていました。その中で市場の変化を感じ、既存の製品では対応できないと判断して起業を決意したようです。
—— 1995年からの第1次変革期についてお聞きしたいのですが、この時期に、派遣ベースのビジネスから受託開発ベースへ移行が可能になったそうですが、受託開発にシフトしたことで、かなりの変化があったのではないでしょうか。
伊藤 ここはかなりの苦労があったと聞いています。社員の多くがメインフレームやオフコンの仕事をしている中で、1995年より前のWindows3.1の時代に、パソコンの勉強をみんなで始めようと、社員にパソコンを与えて勉強させていました。そして実際の需要が出てきたのはWindows95の時代で、この時にクライアントサーバーシステムの需要が大きくなり、社会的にもWindows95という使いやすいOSが登場したことで、パソコン系の開発依頼が増えました。派遣ベースからパソコンベースの受託開発へ移行が可能になり、社内で持ち帰りの仕事ができるようになったのが大きな変革でした。
—— Windows95の出た1995年に変革が進んだのですね。
伊藤 そうですね。実際に社内で持ち帰って仕事ができるようになったのは1995年以降ですが、その前の種まき期間も数年ありました。
—— そういった意味では、変革期の前にはそれぞれ仕込みの期間があったということですね。
伊藤 そうです。実需よりも前に社内で取り組みを行い、ニーズに応えられる体制を作って、新しい事業を展開していきました。
—— 次の2009年以降の第2次変革期についてもプロセスがあったのではないでしょうか。
伊藤 そうですね、この時期にエンタープライズ系の開発業務のみから、エンタープライズ系と組込み系開発体制を構築しました。この時期に製品開発・研究開発についての礎ができたと思います。
—— 第3次変革期のプロセスも教えてください。
伊藤 第3次変革期は、「拠点中心の案件獲得から日本全国から案件を獲得する」というチャレンジです。その実現方法として、大規模展示会に出展し、全国から仕事を取る形でビジネスを広げました。
—— 展示会への出展が大きな転機となったのですね。
伊藤 はい、展示会を通じて多くの会社と知り合い、15年以上継続して出展しています。ソフトウェア開発会社としての展示は難しいですが、特化したサービス形態を作り、サービスのラインナップを増やしました。中核は受託開発ではあるものの、派遣から受託開発、受託開発からサービス系ビジネスへの移行を進めました。
—— 強みを広げていかれたのですね。
伊藤 そうです。全国を相手にするには、地元の企業というアドバンテージを超えて、特徴を出す必要がありました。特に印象に残っているのが、2009年、リーマンショックの影響を受けて新規の企業と取引が難しい時期だったのが、弊社がいち早く取り組んでいたAndroidに対して展示会でPRをした所、新規の企業と多くの取引が開始出来ました。新しい技術にいち早く取り組むこと、その取り組みをいち早く展示会等で見える化することの重要性を感じた瞬間でした。
—— そして、その流れの中で第4次変革期である2014年に伊藤社長が就任されたのですね。
伊藤 この年は島根に事業所拡張した年でもあり、それまで事業所は名古屋と東京でしたが、そこではなかなか実現できなかった「産学官連携」事業が島根の地でできるようになりました。
自社事業の強みやケイパビリティ
—— 自社企業の強みやケイパビリティについてお伺いしたいのですが、現場に裁量権を持たせていると伺いました。各現場の人のレベルが相当高いものを求められると思いますが、育成や人材の強化について教えてください。
伊藤 そうですね。事育成や人材の強化には非常に苦労していますが、特に社員のやる気を大事にしています。現場から「こういう領域の仕事をしたい」という熱意に応える形で進めています。
例えば、組み込み事業も現場からの提案で始まりました。会社はその熱意に応え、教育や営業投資を行って支援しています。今も組み込み開発の中でロボット系や自動車系、AI系など様々な分野に枝分かれしていますが、これも市場のニーズに応えつつ、現場の担当者が「これを仕事の軸にしたい」という思いを持っているからです。会社はそれを支援する側で、結果的にそれが成功していると考えています。
—— 従業員の皆さんの熱意が伝わってきますね。それに対してゴーサインを出される経営層の方々も素晴らしいと思います。雰囲気作りや風土作りには相当力を入れていらっしゃるのではないでしょうか。
伊藤 そうですね。やりたいことを仕事にしてほしいというのが、会社の創業精神や企業理念から来ています。やる気のある人にチャンスを与えたいという考えです。
一例をいいますと、自動車の制御の仕事をしている部隊で、「ロボットの仕事もできるようにしていきたい!」という明確な意思表示があり、自主的に勉強会を開いてくれたりしました。その行動に対して、会社としても投資しようという形で、自動車関連部署から一部チームを独立させて、社員が立ち上げたい仕事ができる体制を構築しました。最初は採算度外視でロボットの仕事を探していましたが、徐々に部員も増えて売上も増えていきました。
—— なるほど。
伊藤 このような弊社の動きは、経営理念や創業の精神が源流となっています。今は500人規模の会社になり、経営側から細かく指示するのはほぼ無理ですが、規模が大きくなったとしても、この理念が途絶えないように会社運営を行っていこうと思っています。
これまでぶつかってきた課題や変革秘話
—— これまでにぶつかってきた課題や変革秘話のところで、GoTech事業についてお話しいただけますか。
伊藤 はい。まず、GoTech事業の話に入る前から話をさせてください。私が社長になった年に島根に事業所を開設したのですが、先にも話しましたが、島根に事業所を開設した1つの理由として、大きい都市では実現しにくい「産学官連携」の研究開発を実施することでした。この目的は島根県の関係者の協力もあり、早期にこの体制を作ることが出来ました。
そこで研究テーマをAIを掲げて、島根大学と島根県産業技術センターの協力を得て、画像認識AI関連の製品開発が出来たことと、その技術については島根大学との共同特許取得もできました。ここで一旦の区切りを迎えるのですが、。この連携を解散するのはもったいないと感じ、中小企業庁のGoTech事業にトライしました。これは中小企業の製品開発を支援するもので、3年間で最大9750万円の補助金が出る事業です。我々の技術力がどれほど評価されるかを試すために挑戦しました。
—— その内容について詳しく教えてください。
伊藤 トライした内容は、車載ソフトウェア開発で多くのコストがかかっている、「設計書とソースコードのトレーサビリティを生成AI技術を使ってコスト削減・品質向上」を実現するツールを開発することです。
車載ソフトウェアでは、設計書とプログラムが一致しているかを確認するトレーサビリティが重要で、この作業の多くが「人」が作業しており、莫大なコストがかかります。
我々はAI技術でこれを自動的に判定できればと考えました。しかし、研究を開始した2022年当時は、まだChatGPTが登場していない時代で、実現性が確認できないということで申請を却下されました。
—— それが変わったのはいつ頃ですか。
伊藤 2022年の夏に却下された後、11月にChatGPTが登場し、状況が一変しました。弊社としてChatGPTを活用する訳ではありませんが、世の中の「自然言語処理」のレベルが高くなったことが一般にも認知されたため、翌年同じ内容でGoTech事業に再びチャレンジし、採択されることになりました。運良くChatGPTという風が吹いてきた形です。
—— そういった噛み合わせがあったわけですね。
伊藤 本当に幸運に恵まれ、ここまでやってこれたと思います。私も社長になって何年か経ちますが、運でしのいだ部分もあります。自分たちの力だけでは、こんなに成長できるとは全く思っていませんでした。
—— いえいえ。一度弾かれた後、社内的にはいろいろコメントがある中、社長の意思として継続されたと伺っています。とても深いものだと感じました。
伊藤 そうですね。反対派の人間も結構いました。先ほどお話ししたように、弊社では現場でのやる気を尊重していて、そのための支援を経営が行うということで、現状では10以上の部署があります。その中で研究開発を行っている部署は一部の部署に限られるため、研究開発を行っていない部署にとっては、会社の利益をなぜ多額の投資に使うのか。うまくいかなかった場合、会社全体の給与や賞与に影響が出るのではないかという懸念がありました。
投資に対して非常に保守的な人間が多かったんです。しかし、私は単に受託開発を続ける会社で終わりたくないと思っていましたので、会社として投資すると決めました。営業外収益から研究開発の原資をだしているんだと説明し、現場の社員には迷惑をかけていないということを説得材料として使いました。
—— お金の話まで開示されると、現場としては具の音も出ないですね。
伊藤 あとは市場のニーズがどういうものかを理解した上で判断しています。トレーサビリティというニーズは間違いなく存在します。車載ソフトウェアの構造が複雑になってくる中で、人間が全てチェックするのは限界が来ています。この技術を使えば市場のニーズに応えることができると考えました。ニーズがあってこその投資判断ですから、単に作りたいから作るのではなく、世の中のニーズに応える製品だからこそゴーサインを出しました。
今後の事業展開や投資領域
—— 今後の事業展開や投資領域について、開発のところをお伺いしたいのですが、どのような開発を進めているのでしょうか。
伊藤 今進めているのは、ものづくりの世界で重要なトレースアビリティの話です。プログラムが一定の企画に則って書かれているかどうかをチェックするツールはありますが、その指摘を直すのは人間です。そこに莫大なコストがかかっています。例えば自動車や家電系など、同じルールなので、AIの力でそれを修正する製品を開発中です。AIモデルを活用し、コストを削減し、社会貢献と利益を両立する事業を進めています。
—— 社会貢献に対する意識が高いようですが、会社全体で意識が高いのでしょうか。
伊藤 経営理念にも「ITで社会に貢献しよう」とうたっています。損得勘定ではなく、社員がやりたい領域や社会的に課題となっているテーマがあれば、収益が大きくなくてもやる価値はあります。会社は社員のために存在しますが、最終的には社会のために存在しています。大きな利益を出さなくても、回り回って得られるものはあります。ボランティアではありませんが、予算の範囲でニーズに応え、社員のやる気を大事にしています。
2025年3月にプライベートAIとコード検索機能を持つプラットフォーム「Krugle」の開発および販売を行うクリューグル株式会社に資本参加し、販売代理店契約も行いました。
日本の製造業では生成AIの力を使って業務効率化をしたいという思いは持っていてもセキュリティの概念または外部のサービスの継続性について疑問視をしている企業は多くいるため、その問題解決としてプライベート環境で動作する「Krugle」は最適なプラットフォームと判断しました。
今後も世の中のニーズに対して弊社が答えられるものは弊社単独で、弊社単独では答えられないものは外との連携で実現することで、これからも日本のITを支える企業として存続したいと考えています。
メディアユーザーへ一言
—— メディアユーザーの皆さんに何か一言いただけますか?
伊藤 当社はまだまだ発展途上ですが、ここまでやってこれたのは、社会の追い風や社員の頑張りがあってこそです。今、人的資本経営という言葉が普通に使われるようになっていますが、これからの時代、社員のやる気をいかに引き出すかが非常に重要なテーマになってきます。会社は利益を追求するだけでなく、社員が働きたいと思う魅力あふれる会社を作ることが大切です。
—— ありがとうございます。運を呼び込むという点についてもお話しいただけますか?
伊藤 宝くじは買わなきゃ当たらないという考えです。世の中の潮流として、チャレンジすべきものにはちゃんとチャレンジすることが大切です。昔は一強の時代がありましたが、今は我々のような規模の企業でもチャレンジすれば対等に勝負できる時代になっています。
下請け企業も発注側のお客様に対して、どんどん提案していくことが求められる時代です。当社もAIを活用して市場のニーズに応えていきたいと考えています。この記事を読まれている皆さんも、それぞれの業界で変化やニーズに対して真摯に答えていくことが、会社を成長させることにつながると思います。
- 氏名
- 伊藤 健文(いとう・たけふみ)
- 社名
- 日本システム開発株式会社
- 役職
- 代表取締役社長