幼児期から大人の階段まで

4 幼児期はルール作り

オンライン証券の幼児期は、そもそもインターネットどころか、日本にはまだパソコンすら十分に普及していない時期であった。

「パソコンで株を買う」という行為を、金融庁・財務局・証券取引等監視委員会などの検査の際には、オンライン証券各社は、いちから検査官に説明した。

システム障害時の、金融庁・東証・日証協など監督当局への報告事項・報告方法、顧客への対応方法なども、大きな障害が発生する都度、各社が考えていった。
システム監査についても、オンライン証券のシステム構成に最適化された手法を、監査法人・コンサルティング会社などと共同で考えていった。

2004年の本人確認法の施行前に、非対面取引の郵便での本人確認方法を、監督当局とまっさらから試行錯誤で考えていった。顧客の不公正な取引を発見する売買審査の手法も、オンライン取引ならではの発注方法の発見・対処などを、各社手探りで行ってきた。

上述のように、オンライン証券の幼児期(黎明期)には、各社は監督当局と協働しながら、また各社が共同して日本におけるオンライン証券のレギュレーションを作ってきた。

金融サービスは「目に見えない」サービスであり、「ルール」そのものがサービスであり、品質でもある。

新しい技術が出てきて新しい取引手法が可能になったとしても、「ルール」がないと、顧客が安心して取引を行うことができないし、事業者側も継続してサービスを提供することができない。技術と同様に、場合によっては技術以上に、「ルール」作りが大事なのである。

5 児童期はIPOバブル

ITバブル崩壊を乗り越え、2003年夏からマーケットは回復した。
そこへ登場したのが、真打ちホリエモン。東証の売買も史上空前の活況を迎え、システムトラブルによる05年11月の前場半休、同12月のジェイコムに対する誤発注など、大いに盛り上がりを見せた。
06年1月のライブドアへの強制捜査で株式市場はピークを過ぎたが、時代は06年のIPOバブルを迎える。

07年夏の、BNPパリバショック(ミューチュアル・ファンドの解約凍結)の際には、日本ではサブプライムローンの影響はあまり感じられなかったが、翌年とんでもないことになる。

6 反抗期はリーマンショック

そしてご存じリーマンショック(08年9月)がやってくる。

その前年、07年9月に金融商品取引法が施行され、各種金融商品に関連する法令が統合され、08年3月に従来の本人確認法が犯罪収益移転防止法に代わるなど各種法制度が変更されたが、もちろんリーマンショックに対抗する力などない。

これ以後、しばらく冬の時代が続き、ようやく日本経済が盛り返してきたかに思えた2011年3月には東日本大震災が発生し、さらに苦しい時期が続いた。

7 青年期は黒田バズーカ

苦しい反抗期のあとは、伸び盛りの青年期である。

アベノミクス(12年12月~)がやってきたと思ったら、黒田バズーカ(13年4月)の援護射撃が続いた。ほぼ7年ぶりのイケイケモードに、証券業界が沸き立った時期であった。
そしてこの頃、MoneyFoward、freee、ZUUなど、現在のFinTechの旗手達も、産声を上げていた。

8 大人への階段はFinTech

「三菱東京UFJ銀行、仮想通貨始めるってよ」
「LINE、上場するってよ」
「デジタル日銀券、出るかもってよ」
「JPX、ブロックチェーンやるかもってよ」
「おサイフケータイ、iPhoneで使えるかもってよ」

オンライン証券が大人になる頃に、FinTechがやってきた。

しかし、オンライン証券は元祖(本家?本舗?)FinTechである。新しい技術を、その時々の人々・社会の動向に合わせて必要であればルール作りをしながら取り入れ、適宜方向変更しながら進んでいくだけのことである。

今後も、新しい技術動向に新しい名前が付けられることはあるだろうが、我々は黙々と前に進んで行こう。

三根公博、マネックス証券執行役員 この筆者の記事一覧

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