前編は漁業や林業などの一次産業が抱える問題を引き合いに、社会問題の現場で見えるものと、その問題が抱えている本質とにギャップがあることなどについて話し合った安部・為末両氏。後半は、為末氏がこれまで活躍してきたスポーツを例にとりながら、いま日本が、社会が抱えている問題へのアプローチ方法や、リディラバが作ろうとしているメディアがめざすものについて語ってもらった。

前編はこちらから 「現場ではかえって見えないもの」を見るためのメディアを作りたい リディラバ安部・為末大対談<前編>

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メダル獲得数を増やす方法はもう分かっている

為末 スポーツで起きてる大きな問題は、まさに個別最適が進んで全体最適が進んでないこと。たとえばオリンピックとかでメダルをとる方法って、勘のいい人は分かってる。それはメダルに経済的価値をつけること。陸上の100メートルとかすごく高いわけ。何百億円つっこんでも多分メダルは取れない。さらに言えば逆にサッカーに予算つっこんでも、十数人育てて、しかもレベル高い中に育てて、1個しか取れない。

ためすえ・だい 1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年3月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営している。主な著作に『走る哲学』(扶桑社新書)『諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない』(プレジデント)など。(写真=森口新太郎)
ためすえ・だい 1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年3月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営している。主な著作に『走る哲学』(扶桑社新書)『諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない』(プレジデント)など。(写真=森口新太郎)

安部 あっ、「国として1個だから」ってことですか?

為末 そう。もしメダル数を目標にするなら、1人が複数個取れる卓球や体操、水泳に予算をかけまくること。もっとマイナーな競技を選べば世界で見ても実質の競技人口が数千とか数百の世界だし。メダルを効率よく取れる場所分かってるんですよ。ただそれを本当にやるかという問題はある。

安部 それで国のスポーツ振興としていいのかって事ですね。

為末 だけどスポーツ庁はオリンピックに関してはメダル数の最大化を目標にしているから。各スポーツの協会でパワーバランスもあるから、本当にメダル数最大化という目的とはまた違うロジックから予算分配がされているけど。これはメダル数の最大化じゃない指標を入れることで解決すると思う。競技人口数で割るとか、世界的なインパクトとか、メディアに出るニュースの数で「感動指標」を入れるとか。

安部 オリンピック以外にも世界大会ってあるわけじゃないですか。ワールドカップとか。

為末 世界大会があるスポーツって実はそんなになくて。陸上、水泳、柔道、卓球とか。柔道も世界大会より日常のフランスで行なわれたりしてる試合のほうが重みがあるらしくて、(世界大会を)欠場する選手が出てきちゃったりするらしい。

スポーツ界のバランスを決めているのは、名誉とお金、そして名誉とちょっと近い概念なんだけど帰属意識だと思う。自分は何の代表なのかっていうこと。サッカーなんか特に複雑で、「お前はレアルマドリードなのか、それともスペイン人なのか」みたいな。そういう事が常に、立場によっていろいろ変わる。国籍も変わる選手も最近はいるよね。

名誉についていうと、マラソンでは最高の名誉はオリンピックだったけど、マラソン大会がメジャーになり商業的に成功してきたんで、「優勝したら1億円」というイベントもある。でもオリンピックはそんなに賞金を出せない。そうすると、オリンピックを回避する選手が出始めて、世界最高はオリンピックではなくなりつつある。

将来、日本がメダルを多く取れるようになるには、商業的にオリンピック以外のスポーツイベントが成功して、オリンピックのレベルが下がり、オリンピックにこだわりの強い日本は相対的に強くなって……という中かもしれない。

責任を本人に押し付けるやり方は社会問題になじまない

安部 僕が新しいメディア「リディラバジャーナル」でやりたいのは、主観のフレームワークを変えること。物事を過度に単純化して、シンプルに本人の責任に押しつけるみたいな主観のフレームワークって、社会問題にはなじまないんですよ。生活保護を受けてる女性がiPhoneを買ったからたたきまくるとか、何も意味ない。その人の背景にもう少し興味を持つべきで、社会問題の当事者を「自己責任」と叩く人のほとんどはその問題の裏に潜む社会構造を見てないんですよね。だから当事者にもキツくあたれる。そういう主観のフレームワークを変えたい。「1個1個の問題を解決するかしないか」「それは当事者の自己責任」ではなく、人々が「社会問題ってそういうもんだよね」って主観のフレームワークを持ってるほうが圧倒的に多くの問題を解決しやすいし、誰もが生きやすくなると思うんです。

問題って大体の場合、事象そのものよりその認識のほうが大事なんですよね。年収が1億なのか1000万円なのか、どっちが幸せなの?みたいな話も、要は認識の問題じゃないですか。最低限の生活に必要なラインは保障してほしいけど、そこからは価値観とか認識の問題。

為末 昔読んだ本で、内容は詳しくは覚えてないけど、「メディアはマッサージである」というタイトルがあって。今の話はちょっとそれに近い感じだね。本当に大事な意思決定をする前に、必要な地ならしをするために、主観のフレームワークを変えてもらっておくみたいな。

スポーツ自体が良いものか悪いものかという議論もあるけど、自分の考えだとスポーツ自体には善も悪もなくて、使おうと思えばナショナリズムもあおれるし、反対にもいける。良いほうに使うと、その主観のフレームワークをすごく身体的に、漫画的っていうか、いろんな背景がある人間が同じボールをけったら、急に関係性が変わっちゃうような。

その地ならしの、さらに地ならしができる。その後にメディアを読んで、主観フレームを変えてもらうかもしれないけど、その前に身体感覚的にね、そういえばあのギリシャ人とパス出し合ったなあとか、何かそういう事が体験として下にある中の上にそれがあるっていう。社会の中の、どう言えばいいんだろう、関係性を変える装置みたいなのがスポーツの使い方としては一番価値が高いんじゃないかと思ってね。

安部 すごい面白い考え方ですね。だとすると、僕がツアーをやるのも同じような話で、ツアーってやっぱりリアルな体験があって、「当事者と一緒に時間共有しちゃうと、他人事にできないよね」みたいな身体性のある感じがいいんですよね。そういう意味だとスポーツとか身体性の極みですもんね。

為末 人によってホントにスポーツ使い道いろいろ違うけど、一番面白いなと思うのは、我々のかなりの部分は、その無意識の領域でできてると。それらによって、そこで何が起きてるかは、自分に確実性的な知見がないから分からないけど、とにかく「相手と私はさほど変わらない」という体験をすることが、スポーツにおいてものすごく重要な点なんじゃないかということね。

安部 なるほどね。面白い。

スポーツの語源ハ「デ・ポルターレ」?言葉の変せんに垣間見える思想

安部 スポーツってやっぱり圧倒的な体験だし中毒性がある。中毒性の高いものであるがゆえに、目的志向がないと思うんですね。手段が目的化しやすいし。やってる事自体が楽しいから。

為末 演説に似てるかもしれないね。そういうアジテーション、得意でしょ(笑)。

安部 リディラバ作ったときからずっと宗教団体みたいってよく言われましたよ。その色を消そうと頑張ってきました。(笑)

為末 やっぱりスポーツはかつて、よく使われてきた。そもそも平和の祭典から始まって、ヒトラーも使ってたわけで。教化するには非常に便利なツールなんで、そっちに使っちゃうとまずいなと思うけど、比較的純粋性を保とうと思うと、目的がどんどんなくなって、「スポーツするそのものが目的である」みたいな感じになることはあるかもしれない。

スポーツ界においては、さっきの「客観的に見ましょう」っていうのはやっぱり、たしかに響きにくいんだよ。主観のフレームワークが強すぎてね。

でも逆に言うと、スポーツが変わると相当インパクトがある。自分のロールモデルは野茂秀雄さんと荻村伊智朗っていう、国際卓球協会の会長やった人。選手だった時代、現役時代の最後のほう、まだ日中の国交がない時代に中国の選手と試合したとき、倒れ込んだ中国選手を、身を挺して壁にぶつかるのを防いだ場面を見たんだよね。それが中国の新聞に載って、国民感情に影響を与えたと言われている。それがピンポン外交って言われたわけ。そのできごとがなくても日中国交正常化してたかもしれないけど、少なくとも中国世論は相当変わったって言われてるんだよね。何か狙ってやると、あざといけどね。

編集部 スポーツの話でいうと、スポーツ庁がスポーツ好きの子供を増やそうとしたら反論が巻き起こりました。

為末 僕が知ってるデータで、日本のではないんだけど、興味深いなと思うのは、たしか小学生から中学生までの間の運動を好ましいと思う感情が将来の運動体験とある程度相関してるっていうデータがある。それで何歳以上からの運動体験は、健康維持につながりそのまま医療費に反映されてた。

だから(スポーツ好きの子を増やす方針は)僕は医療費対策だと思ってます。50~60年先までに、生涯にわたって運動してる日本人を作っておかないと、日本が破綻しちゃうっていう。だから運動をやりましょうということで、むしろ厚生労働省がやるべき話かもしれない。

面白いなと思うのは、スポーツが苦手という人が大人になって始めたランニングは好きっていうんですよ。自由に自分の好きな時間に走っていい、いつやめてもいいランニングはスポーツと考えていないわけ。本来スポーツはすべてが自発的なもので、強制されるのは違うっていうのが俺の認識なんだけど。

スポーツの語源って面白くて、「デポルターレ」ってラテン語なんだけど、憂さを晴らすとか、日常から離れるっていう意味合いなんだよね。非日常を体験するみたいな感じ。

安部 ああ、デ・ポルターレって事ですかね。

為末 そうそう。ポルトがたぶん港のポートだと思うんだけど、それが何か日常みたいな意味があって。

安部 なるほどね。港を離れるというような意味かな。

為末 それがフランスに行って「デスポルテ」ってなって、フランスらしく「自由」みたいな概念がくっついて。ギリスに行ってスポーツ、スポルトになった。ここら辺から競争とか規律が入ってきた。イギリスはでもサッカーやラグビーで良き指揮官を育てる目的が強かったみたいで。だからラグビーは監督が現場には入れないのね。それぞれが自立的に判断をして、全体として調和を持つっていうのが重要だとされたから。

サッカーで活躍する選手が次々と生まれるのは、単に「人気だから」じゃない

あべ・としき 1987年京都府生まれ。2006年東京大学入学。大学在学中の2009年に『リディラバ』を設立、2012年に法人化。KDDI∞ラボ最優秀賞など、ビジネスコンテスト受賞歴多数。現在は、東京大学で、大学1~2年生向けの「社会起業」をテーマとした講義を持つ。また、東京大学大学院博士課程(専門領域は複雑系)に所属し、研究活動にも従事している。著書に『いつかリーダーになる君たちへ』(日経BP社)がある。(写真=森口新太郎)
あべ・としき 1987年京都府生まれ。2006年東京大学入学。大学在学中の2009年に『リディラバ』を設立、2012年に法人化。KDDI∞ラボ最優秀賞など、ビジネスコンテスト受賞歴多数。現在は、東京大学で、大学1~2年生向けの「社会起業」をテーマとした講義を持つ。また、東京大学大学院博士課程(専門領域は複雑系)に所属し、研究活動にも従事している。著書に『いつかリーダーになる君たちへ』(日経BP社)がある。(写真=森口新太郎)

安部 まあ、集団競技と個人競技でもかなり違いますよね。集団競技って、だってもう社会なんですよね。だからお互いのコミュニケーションとかもあるし、規律も要る。個と集団のバランスが難しい。

私が監督している地域の小学生のソフトボールチームに自閉症の子がいるんですね。自閉症の子にディスカッションさせるよりは、スポーツのほうが圧倒的に差が少ないと思っていて。たしかに難しさはあるんです。試合中にベースから離れないとか、興味がわかないとボールは追わないとかね。でもやっぱり「ボールを捕る」とか「投げる」とかって普通にできるんです。すると下級生の子が、「意外にやるじゃん」って見直すわけ。そういう身体性を共にすることによる、何か特殊な連帯感が生まれる。差別を薄め合うみたいな側面というかね。もしかしすると別の差別を強めちゃう事もあるのかもしれないけど。

為末 そういう意味でスポーツってツールは、どんな願いを込めるのか、どんな目的を持つかっていうことを加速、増幅させちゃうんだろうね。だけど今のスポーツ界は残念ながらその、ある種の目的が……。

安部 ないですよね。ソフトボールって、昔はチームも大会もいっぱいあったんですけど、15年くらいでチームが半減ぐらいしてるんです。地域コミュニティの崩壊でもあるんだけど、そこには地域スポーツの管理、運営側の能力のノウハウのなさも関係しているんですよ。ガバナンスの不在です。野球とサッカーの違いとかすごいあると思う。サッカーはすごいですよ。うまい選手を育つ環境を作るという、そういう環境設計を何十年という単位でやっている。サッカーのガバナンスは野球とかほかのスポートと全然違いますもん。

為末 そういうのがまさにボディーブローみたいにじわじわ効いてくるんだよね。

安部 本質的なアプローチをずーっと地道にやり続けている。だから「サッカーが人気だから野球に人が来ない」みたいな言葉で野球の指導者が片付けるのはおかしい。(人気が落ちてるのは)ただの経営努力の不在、怠慢でしかないのに。

為末 (個別の)組織が強すぎるっていうのもあるんだよね。陸上はちなみに、最初に始まったのが各地域からで、選手は各地域の陸協所属であって日本陸連所属ではなかった。その後、「同時に日本陸連にも所属」という理屈になったんだけど。少なくとも、どこかの地域の陸協に所属するかを選ぶのね。でも地域陸協でルールが違うんですよ。チームとしての登録しかできなくて、10人ぐらい集めなきゃいけないとか。ウチも84歳になる祖母まで入れましたからね(笑)。居住地じゃないとダメとか、あとは実業団でも、基本終身雇用を想定してたので、どこかに移籍、つまり会社を変えるってことが想定されてなくて、1~2年間は試合に出れない期間とかを設けなきゃいけなかった。あと「円満退部届」っていうのを書いて……。

安部 「円満退部届」って名前なんですか?(笑)

為末 円満にやめたから安心していいですよって書類じゃないかな、見たことないからわからないけど。スポーツ界のさまざまなモデルが、昭和のある時代に最適化されちゃったまま。たとえば選手登録がネットでできない段多居もあるんだけど、平成になってすぐにできたトライアスロンでは可能なんですよ(注:公益社団法人 日本トライアスロン連合は93年、平成5年設立)。

日本人はスクラップアンドビルドが苦手

安部 日本はスクラップアンドビルドが苦手ですからね。

為末 よく感じる。何でだろうね。「もったいない」感覚かな?個別の部分をちょっと変えて、なんとかしようとしちゃう感じ。モデル自体が古いから丸ごと捨てて新しくしようではなく、パーツだけ変えるとか。

安部 パッチワークが好きなんですよね。穴が空いたらパッチをあてるんです。私の勝手な解釈ですけど、たとえば高齢者施設の問題と、保育園の問題って成り立ちがほぼ一緒だと思っていて。特別養護老人ホームって、昔「養老院」って言われてて、差別用語でもあったわけです。おじいちゃんおばあちゃんの面倒を見れない家庭に対応する施設なんですね。まず貧困家庭がそうなるわけです。保育園だって、親が働かなきゃいけない、忙しいからとにかく預かってくれる時間が長い施設をもともと幼稚園とは別に作ろうということから始まってて。昔は共働きの時代じゃないから、主に貧困層を想定して作った。

どちらもスタートはパッチワーク、貧困層向けの特例として作った制度なんですよね。だけど当時から「核家族化が進んでるから、高齢者の面倒は家では見られない」「共働き、女性の社会参画が進んでるから、幼稚園みたいに夕方までに預けるのが終わる施設では足りない」って分かってて。どの家庭にも対応できるようにしなきゃいけないのに、パッチワークで対応しちゃうんですよ。

新しくつくるメディアのポリシーを決めた

編集部 今回、メディアづくりをめざしてクラウドファウンディングされているわけですが、そもそもお話をする相手に為末さんを指名されたのはどうしてでしょうか?

安部 為末さんってスポーツ選手というより哲学者に近いと思うんです。たとえば、以前ウチのカンファレンスで、「なぜ分断は起こるのか」っていうののモデレーターやってもらって、スマートニュースの鈴木健さん(代表取締役会長共同CEO)、障害者施設を運営している方、性風俗嬢のサポートしてる方とかと一緒にやってもらって、みな違った問題の現場にいる方なんだけど、いろんなところで起きてる分断とか断絶ってどうして起こるのかみたいな話をモデレートしてもらったら、最後は「人間はどうして分断が心地いいのか」みたいな話に近づいてて。その議論を聞いていてすごいなって思った。物事を事象から抽象化して、それをシステム論的とか本質論的に議論するのが、多分好きなんですよね。

だからそういう人との議論は面白い。ただ、工夫はもっとしたいなと思うんですけど、こういう議論って伝え方が難しいじゃないですか。メディアづくりの話をすると、「結局このメディアは何を扱うんですか?テーマは何なんですか?」ってなる。それも大事なんだけど、背景にフィロソフィーがあって、そういうところまで議論できるのが楽しい。

為末 安部ちゃん、ちょっと誤解されやすいよね。僕も経験があるからよく分かるから、そういう意味ではメディアはいいと思うな。続けていくと、だんだん本当の姿が浮かび上がって、理解される気がする。心の奥が分かってもらうには、何回も繰り返しいろんなものを見てもらって、情報が読み手・受け手の頭の中で統合されて、安部ちゃんの人格ができてくると、「どうもこの人は本当の事を言ってそうだ」みたいになると思う。

編集部 リディラバはこれまでメディアで取り上げられる側の立場でしたが、今度は自分がメディアの側になる。編集長として、「いや、これ自分の考えとちょっと違うな」みたいなものも出てくる。それを許容するかという。

安部 いやもう、今の悩みそのままです。メディアって何かと何かをつなぐものですよね。僕らの場合、読み手と、社会問題の現場の当事者や支援者ですよね。どちらに寄り添うかを考えたとき、基本的には多くのメディアは「読者に寄り添う」なんですよね。ただ、我々は、何とか当事者とか取材先とか、社会問題の裏に潜む背景に真摯であるメディアであり続けたい。その意味では読者に対しては妥協してもらうわけになるのかもしれないけど、それをポリシーとして決めたんです。もちろん読者に可能な限りわかりやすく、は原則ではあるんですが。

たとえば私が「フードロスの問題がJAの囲い込みの問題になる」って話をしたとき、為末さんみたいにパッと理解して納得して、考えて、自分の意見を言ってくれる人も居れば、「何かもう言ってる事、途中でもう分かんなくなったわ。難しい事言いやがって」って人も居るわけです。

そこで、メディアを作る前にどういうポリシーでやるか、やっているかを理解してもらえば、最初の読み手の人たちには届きやすいだろうなと思って、初めてクラウドファウンディングに挑戦したんです。

これはリディラバを作って、ツアーを始めた時と似てるなと思って。当時はいろいろ整理しなきゃいけない事がいっぱいあるなかで、「イシュー(社会問題)とフィールド(現場)を分ける」っていうことを決めたんです。

最初は一緒にやってるメンバーもよく分かってくれなかったんですが、やりながら言語化していって、納得してもらって、それでイシューとフィールドを分ける前提を守れるマネジャーが育ってきて、その人が責任を持ってやってくれると私の手を離れるということだと思ってるんですね。メディアもそれと一緒かなと思うんですよね。それを明確にしない限りはなかなかその、こっちもわがままが言いづらいですよね。で、全部チェックするのも大きくなったら大変でしょうし。

為末 上手に分散すりゃいいよね。一極集中のメディアって、ある種のプロパガンダだから。最後の責任は安部ちゃんがとるとしても、ブラックボックスじゃないけど、ある期間の議論によって方針が決まってますみたいな見せ方はしたほうがいいかもしれない。ボード会議ってそれだと思うんだよね。ただでさえ安部ちゃんは誤解されやすいから(笑)。あとは、メディアで完全に非営利は無理だと思うけど、広告は載せるの?

安部 広告依存はしたくないので、どちらかって言うと、月額でお金もらって応援してもらう形がいいなって思っています。

為末 メディアのマネタイズってすごく難しいところがある。だから、そういうときにも、「これは会社の方針で」「これは私の考えで」っていうのが上手に使い分けられていくほうがいいよ。ステルスマーケティングとか問題になって、あれ個人のブログやSNSで問題になってるけど、ある意味メディアってそういう側面から逃れられなくて。

安部 広告モデルをとる限り絶対そうですよね。

為末 完全に個人課金でいくといっても、依存をどこかにしすぎないという話でしかない。どの程度オープンにしてやるか、常にパワーバランスを微妙に取りながらやるしかない。そういう意味で、現場でも「あるといいよね」って思うんじゃないかな。

安部 ブラックボックスが、ですね。まずは7日までのクラウドファンディングを成功させられたらって思います。今日はありがとうございました。

まずは知ることから!リディラバ・大人のための学校を実現する!(Ready forサイトに飛びます)

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