ビジネスのあり方は時代に応じて変化する。
これまでにない新しい「ビジネスのスタイル」が新たなマーケットを生み出す可能性だってある。あの三越だってその前身は越後谷呉服店なのだから。しかし、残念なのは、かつて日本人の商いのなかにあった「粋」が失われてしまったように感じることだ。働けど働けど幸せを実感できない社会。それは「粋」を捨ててしまった代償ではないだろうか。

落語『居残り佐平治』に思う

先日、立川談春の独演会で『居残り佐平治』を聴いた。お金を払って落語を聴きに行くのは初めてであったが、なかなか興味深い経験であった。

漫才やコント、ドラマ、映画の中には我々に笑うことを要求するものがある。しかし、今回聴いた落語からは「どうだ、面白いだろ!」と、こちらに積極的に訴えかけてくるものは感じられなかった。「分かる人だけ、分かってくれれば良いですよ」とまるでこちらが試されているような感覚だった。

『居残り佐平治』のストーリーは次のようなものだ。佐平治という男が「品川の遊郭に繰り出そう」と言い出した。遊郭で散々乱痴気騒ぎを楽しんだ後、佐平治は一人でここに残ると言い、3人の仲間を先に帰らせた。その後、遊郭の若い衆に「勘定はさっきの仲間が持ってくる」と、遊郭に居続ける。翌日も、その翌日も勘定を払わずに居続ける佐平治に、若い衆はついにしびれを切らす。ついに佐平治は「金は持っていないと」と開き直ったのだから、店の帳場は騒然。佐平治はみずから店の布団部屋で籠城するのだ。

夜が来れば店は忙しくなり、佐平治どころではなくなった。佐平治は頃合いを見計らい、勝手に客の座敷へと上がり込む。

「どうも、居残りです。醤油持ってきました」などと、自分から客をあしらい始め、謡や踊りで客の接待を始めた。それが玄人はだしであり、しかも若い衆よりも上手いものだから、客からは「居残りはまだか」と、指名が来る始末。これじゃ、若い衆の立場もない。しまいには「もはや勘定はいらない。居残りには出ていってもらおう」ということになった。

佐平治は店主に呼び出され「勘定はもういいから帰れ」と、追い出されてしまった。しかも店主から煙草や着物をせびり、小遣いまでせしめる始末。最後は心配で付いてきた若い衆に「てめえんとこの店主はいい奴だが馬鹿だ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを稼ぎにしている佐平治ってんだ」と、捨てゼリフを残して去って行った。

ビジネスの現場に欠けているもの

独演会の最後に立川談春から、こう問われた。「なぜ、私がいま、居残り佐平治を選んだのかを考えていただければ幸いです」と。

もちろん、立川談春はその答えを教えてはくれはしない。その問いかけに対し一体どれだけの人が、真剣に答えを探そうとしたのかも分からない。大勢の人にとってはそんな答えなどどうでも良いことに違いない。回答の数だけ正解はあるはずだ。

でも、私には、その問いかけに対する答えを探すことは「落語という芸を見せてもらった礼儀」であるように感じられた。

居残り佐平治のなかには何度もこんな言葉がでてくる。「裏を返さぬは江戸っ子の恥、馴染みをつけさせないのは花魁の恥」。一度、遊郭で遊んだなら、次も同じ遊女のもとへ通うというのが、暗黙の了解であり、男の遊び方の矜持であったそうだ。二回目に同じ遊女に会いに行くことを「裏を返す」という。そして、三回目で馴染みの客と呼ばれ、それまでとは打って変わって遊女の態度も打ち解けたものとなる。遊郭で遊ぶには、決まりを理解していなければ、無粋な客として見下されてしまう。

立川談春の問に対する私の答えはこれだ。落語の中の世界であろうが、ビジネスの現場であろうが「粋」ってものが失われてしまった世界はまるで面白みがない。

政府がどんなに「働き方改革」を声高に叫ぼうとも、我々はいっこうに幸せを感じることができない。

何かが足りない、何か大切なものが欠けている。私は日々の銀行業務に携わる中で、かねてよりそう感じていたのであるが、今回の落語を聴いて、その答えをようやく見つけることができた。昨今のビジネスの現場に欠けているもの、失われているもの、それは「粋」なのだ。

日本人の商売はいつから「無粋」になったのだろう?

たとえば、銀行のクレジットカードの初年度年会費無料キャンペーンがある。「お願いします。とりあえず、カードを作って頂いて、1年以内に解約してもらえば結構です」こうして契約を積み上げた銀行員はたくさんいるはずだ。果たして、こんな商売が本当に社会のため、そして顧客のためになるのだろうか。

まったく馬鹿げているとしか言いようがない。

新たな顧客層を開拓することの重要性を否定するつもりはない。新規顧客の開拓は上司にもアピールしやすいことは確かだ。成果主義を振り回されれば、馴染み客を大切にすることでは「成果をアピール」することは難しい。しかし、そうしたムードに流されて馴染みになってくれたお客様を大切にすることを忘れてしまってはいないだろうか。

顧客側にも問題がないわけではない。わずかな金利の差でいとも簡単に取引銀行を変えてしまう顧客。過剰なサービスを要求し続けるクレーマー。お金を払ったのだから、少なくともそれに値するだけのサービス、満足を得られて当然と開き直る顧客。どっちもどっちだ。

銀行も顧客も「粋」を忘れてしまっている。
こんなことを繰り返していては誰も幸せになれそうにない。(或る銀行員)

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