仕事をまとめて一気に処理しようとする人は多いようですが、果たしてそれは今の時代に適切な方法なのでしょうか?仕事がたまるのは能力ではなく「心」の問題なのかもしれません。仕事をためてしまう「心」をどのようにコントロールすれば仕事の効率を飛躍させることができるのかを知りましょう。
(本記事は、佐々木 正悟氏の著書『仕事の渋滞は「心理学」で解決できる』=KADOKAWA、2017年12月22日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
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・(1) なぜ仕事はたまるのか? 『仕事の渋滞は「心理学」で解決できる』より
・(2) 仕事をキリの悪いところで強引に打ち切ったほうがいい理由
・(3) 挫折せずに仕事を毎日続けるコツ 仕事の渋滞を「心理学」で解決
人の「心」は仕事をためるようにできている
こう言うと少し厳しすぎるようですが、「仕事をためる最悪の元凶は、自分自身の心」なのです。
ただ、安心してください。というのも、人の心は一般的に「仕事をためるように働く傾向がある」からです。つまり、仕事をためるのは決してあなたがとくべつ怠惰だからでもだらしないからでもなく、ただ「人の心の持ち主」だからなのです。
たとえば、面倒くさい仕事を、ただ面倒だからというだけの理由で先送りするのは、一般的にはかなり「ダメなこと」とされがちですが、人間社会ではきわめてよくあることです。
そもそも「先送り」、英語でいえば「プロクラスティネーション(procrastination)」を研究している心理学者が大勢いるということひとつとっても、いかに人間が「先送り」を得意(?)としているかが分かるというものです。
大事な仕事、大変な仕事、気乗りのしない仕事を先送りにするのは、ほとんどみんながやっていると言っても決して言いすぎではないのです。
人間は自信過剰な生き物ではどういった「心理」から人間は、「大事だけれど面倒な仕事」を「先送り」にするのでしょう。
まず何よりも普遍的なのが「自信過剰」です。自分はそうでもないと思っている人が多いかもしれません。
しかし、世界中の心理学統計の結果によれば、平均よりもずっと多くの人々が「自分は平均以上の能力の持ち主だ」と信じているといいます。自分を本気で「平均以下だ」と思っている人は、ほとんどいないのです。
加えてこれも、心理学・経済学の実験で明らかになったことですが、人は締め切りまでの「余裕」を計り間違えます。どうも「心」はこの種の計算が苦手なようで、たとえば「締め切りまで3ヵ月ある」といった状況を「過大に評価する」傾向があるのです。もっと焦らなければならないときでも、余裕を持ってしまうのです。
自分の能力を過大に評価し、締め切りまでの日数を過大に評価したら、どうなるかは明らかでしょう。「あわてて今やる必要はない」と思うから、大変な仕事を先の日に回します。「もっと締め切りが近づいて」(時間の過大評価)も「俺の能力なら間に合わせられる」(能力の過大評価)というわけです。
まとめてやればOK?
能力と時間を過大評価しがちな「人間」は、「仕事のたまった状態」を作り出す傾向にもあるようです。
能力があるわけですから、「ひとかたまりになってさえいれば、俺が本気を出せばすぐ終わる」と考える。このように考える人にとって「整理」とは「ひとかたまりにまとめておく」ことを意味するわけです。
さらに時間もあると思うわけですから、「かたまりが少々大きくなっても、まとまった時間にやっつければ大丈夫」となります。だから「仕事が散逸して、どこにあるか分からない」状態には不安を覚えるものの、「仕事がそこにまとまっている」という状態でありさえすれば、安心してしまう。メールの受信トレイや郵便受けの中が、どれほどの分量になっていようと、あまり焦りを覚えないということになりがちです。
つまり「まとめてあるんだろ?なら大丈夫!」という発想なのです。こうして考えてみると、仕事がたまってしまうのは、必ずしも「能力」の問題でもなく「時間不足」の問題でもなく、かなりの程度、「心の問題」であることが分かるでしょう。
さて、「仕事の渋滞」=「仕事がたまる」状態は、人の「心」の働きにとても強く関係していることを述べました。さらにここでは、仕事をためてしまいがちな人が抱いている「幻想」を壊していきましょう。
その幻想というのは簡単で、ありきたりなものです。つまり「仕事をためて、ヒマがあるときにイッキに片づけることができる」という幻想です。
たとえば、「メールの受信トレイに1000通の未読メールがたまっていたが、あるときそれをイッキにゼロにできた!」というような「成功体験」がある人は、「仕事は1ヵ所にためておけば、イッキに片づけられるのだ!」という間違った幻想を抱いてしまいます。
プライベートでも、「家族サービスはゴールデンウイークにまとめてやれば十分だろう!」というような発想を持つことで、かえって自分の首を絞めてしまうという人がたくさんいます。
毎週、1時間くらいでよいので、子どもをちょっとしたスポットに連れて行ってやればいいのに、それをサボってしまう。そのかわりに大型連休をまるまる渋滞の中ずっと車を運転し続けて、「イッキに」家族サービスをしなければならなくなるのです。
仕事を1ヵ所に固めておくことが、つまり計画を立てるということであり、それを時間があるときにイッキに片づけるのが、基本的な仕事のやり方だ、というのは、今のような時代にはとても無理がある発想なのです。
現代人の「心」を圧迫する「重労働」
ITが仕事場に持ち込まれるようになってから、私たちのまわりで劇的に変わったことがあります。それが「仕事の増え方」と、それに対する「防御の仕方」です。
今の時代、仕事はものすごい勢いで急激に増え続けます。しかもそのかなりの割合が、昔であれば「やってもやらなくてもいいような仕事」なのです。
これはたとえばメールという単純なツールのことを考えてみればすぐ分かります。IT時代の前には、メールというものはありませんでした。今やそのことを想像もできない世代が生まれてきていますが、たしかに当時は仕事を依頼するとなったら、電話もしくはFAXを使う必要があったのです。
電話をかけたり、FAXを送ったりするのは、間違いなく時間がかかるし面倒なものです。少なくともメールよりははるかに面倒です。それに一度に同時に受信できる数にも制約があります。
だから仕事は驚異的な速度で増え続けたりしなかったのです。電話のことを考えてみるとすぐ分かります。今でも電話で仕事を依頼するという人はあるでしょう。電話は、誰かが言葉で応対しなければなりません。
メールはそれとは違います。メールは受信トレイにたまります。ちゃんとした仕事の依頼だろうと、スパム同然のメールだろうと、どんどんたまっていくのです。送信する方もとても簡単に送れます。
未読メールをチェックするというただそれだけのことですら、1000件もあれば十分な「重労働」になってしまいます。また、未読のメールをチェックしたところで、それが本当にちゃんとした仕事かどうかは分かりません。このような「重労働」はITが登場する以前には、そもそも1秒も時間をかける必要のなかった「仕事」なのです。
ヒトは同じ作業に飽きる
「心的飽和」といって、人間は同じ作業を続けていると、飽きてしまいます。作業の質も低下するし、モチベーションがとにかく下がります。やがて同一の作業を継続できなくなるのです。
そうなったとしても、別の作業をやろうとしてみると再開できます。つまり飽きるのと疲れるのは違うということです。もちろん、6時間もメールチェックして送信していたら疲れるに決まっていますが、疲れる以上に飽きるのです。
メールチェックや送受信は、「ためてからイッキにやる」ことの事例として分かりやすいでしょう。黙っていても1ヵ所にちゃんとたまってくれますし、まとめて処理するということがイメージしやすいと思います。そういう作業についてすら、これです。わずか1週間分をまとめて処理するだけでも、まったく現実的でないのです。
メールチェックだけで1日が終わってしまったら
しかも、ほとんどのビジネスパーソンは、メールチェックだけやっているわけではないのです。
私の仕事は物書きですが、物書きであっても、物を書くだけで仕事が終わるわけではありません。1日中執筆だけしていたら、仕事にも生活にも間違いなく不具合が生じます。税金を払ったり、経費になるものの計算をしたり、パソコンのメンテナンスをしたりするのはどれもなかなか大事な仕事です。もちろん、担当編集者からメールや電話がくるので、それらに対応する必要もあります。
つまり、同じ仕事ばかりしていると、他の仕事がたまるのです。たまった仕事を片づけては、別の仕事をため、それをまた片づけているうちに、さらに他の仕事がたまる……。
このやり方はまったく合理的ではなく、非効率の極みなのです。また、まとめてしまうと、「旬」を逃すことになります。
メールを事例にしますが、メールを出したとき、1日(24時間)以内に返信が欲しいと思っている人は、実に86%以上だそうです。こういう人たちを最大で4日も待たせることになります。まとめてやるというのには、こういう不都合がいくらでもあります。
経費であれば、毎日記録を残すようにすれば、日付の整理などで余計な時間を使う必要がなくなります。レシートを家計簿につけるとき、日をまたがなければ、金額だけを入力すれば済みます。
1週間分まとめるから、日付を入力し直さなければならなくなるのです。
仕事をまとめるということは、手間とかける時間を増やし、関係者の心証を悪化させるということに他ならないのです。
仕事をためて、それでもイッキに片づけることができたなら、まだまだいい方です。
私の知人に、「あなたが50日かけて書くような分量の書籍原稿なら、土曜、日曜、ハッピーマンデーの3日で書き上げてしまう!」と豪語していたつわものがいます。
「すごい効率だ!私の約16.7倍か!」と感動すらしてしまいましたが、これは終わるからまだいいのです。終わったとたん「バッタリと倒れる」ということでしたが、それでも終わるならいいでしょう。本が3日で書き終わるのですから。しかしそれで終わらなかったら……。
締め切りがある、しかも3日間、おそらく缶詰め状態になって、他の一切の作業をしないのだろうに、終わらなかったら?
3日で原稿が書けてしまうなら、毎日の仕事量は激減するでしょう。でも、書けるということを前提にしておいて、書き上がらなかったとしたら?
イッキにやるのは、記憶の新鮮さを確保したいから?
仕事をイッキにやりたいという人は、ある種の不安を感じているのでしょう。
それは、イッキにやってしまわないと記憶の鮮度が落ちるという不安です。たとえば本を書くにあたって、気持ちの鮮度というものは大事です。
「その企画なら、面白そう!書きたい!」というモチベーションは非常に重要です。しかしそういう気持ちは、そんなに長くは続きません。
自分で目次を書いておいたのに、1ヵ月もたつと、「何で俺、このときこんなことを書きたいと思ったんだろう?」という感じになります。これはどんな仕事にでも起こることです。
それが怖いから、書くとなったら、気持ちが冷めないうちにイッキに書く。
書くことも、ネタも、頭の中にあってホットなうちに、イッキに書く。書き切るまで他のことを挟まない。そうしないと、何よりも「気持ち」を忘れるから。それが怖いのです。
しかし、そうまでして書き切れなかったら、どうなるでしょう?たぶん、残りの分については毎日少しずつ進める、などというわけにはいかないでしょう。
中途半端に片づけた書棚はますます散らかっていく
私の経験では、中途半端に片づけた書棚や書類は、ますますひどい状態になっていきます。
曲がりなりにも整理されていた棚を、いったん壊してから、もっと理想に近づけるべく整理を始めるわけですが、壊した途中でやめてしまうのですから、ろくな結果になりません。
しかも、途中でやめておいて、しばらく放置すると、イメージしていた「理想型」がどうであったのかを思い出せなくなります。これは悲惨です。
多くの人が、大掃除や、書棚整理などを「イッキにやりきってしまいたい」と思うのは、この種の記憶喪失体験があるからです。やる気も失い、理想のイメージも失い、それまで整理されていた状態まで失ってしまう。
仕事でこんな事態を引き起こしたいと思う人がいるでしょうか?
イッキにやってやりきれば、やる気を覚えておいたり、理想のイメージを覚えておいたりする必要はなくなります。
しかしイッキにやってやりきれなければ、やる気を忘れる前に、理想のイメージを忘れる前に、もう一度振り出しに戻って、あらためてイッキにやりきる必要が出てきます。でなければその仕事が暗礁に乗り上げてしまいます。
締め切り間際にならないと、力が発揮できない
ある心理学者によると、こういう「危機好き」というタイプは一定数いるとのことで、仕事をためにため込んでしまうのも「性格」ならば仕方がない、と思われるかもしれません。
ただ、「性格」というのはしばしば、習慣の別名であったりもします。「何かといえば同僚や上司の悪口を言っている」というのは、悪い習慣でしょうか、それとも性格でしょうか。心 理学の専門家でもこの2つをきっちり分けられるわけではなく、考え方次第というところもあります。同じような行動を取るのが「癖(くせ)」になっているとも考えられるし、そういう性格だからそういう行動を繰り返してしまうのかもしれません。
しかしどちらにしても、好ましくない「悪習」を改善できるならそうしたほうがいいでしょうし、「性格だから仕方がない」といっても、変更ができるならそうしたほうが、本人にとってもメリットがあるはずです。
締め切り間際にならないと「本気が出せない」というのも、そういう性格なのかもしれません。しかし、もう少しましな計画を立てて、毎日少しずつ「本気を出す」習慣に切り替えることができないとも限らないのです。できるのならば、そうしたほうがいいのは言うまでもないはずです。
「危機を乗り切ったドラマ」の良い面と悪い面
危機好きタイプの人はつまり、強い危機感と、それを乗り切ったという強烈な成功体験だけが、仕事のモチベーションになっているタイプです。
夏休みも終わり間際になって、急激に不安に襲われて、3〜4日で膨大な宿題をイッキにこなした「成功体験」が忘れられないのかもしれません。ここには2つの心理があります。
まず、迫りくる締め切りが間際にならないと、あまりリアリティを感じないという感覚。あと「3日」くらいになって初めて締め切りにリアリティを感じて、急激に不安感が募るのですが、それまでは割と安穏としていられるわけです。そして、危機的状況を乗り切ったという成功体験の記憶。
これはヒロイックなストーリーで彩られているかもしれません。仕事をやる。宿題を終わらせるといっても、人それぞれの動機づけは違うでしょう。
「俺はたった3日であの膨大な仕事を終わらせたのだ!」という体験が、ポジティブなストーリーとして記憶に刻まれている人がいても不思議はありません。もちろんこれにはネガティブな側面もつきものです。
宿題にしても、雑な字でひたすら白紙を埋めただけかもしれませんし、仕事にしても、やらなくて良さそうだと判断したところはとことん手を抜いた、あるいは、やらなければいけないところも可能な限りごまかしたのかもしれません。
それでもやっと終わったというだけか、本当は終わってすらおらず、関係者に多大な迷惑をかけた末、何とか致命的な状況は避けられただけかもしれないのです。
おそらく危機好きなタイプというのは、この種の成功体験の良い面を拡大し、悪い面は忘れています。過去の危機を「忘れている」と言えば、言いすぎかもしれませんが、ものすごく過小評価している可能性が高いのです。
危機的な状況に格闘するのは、ドラマチックかもしれません。しかしそれは、意味のないドラマにすぎません。
何より、曲がりなりにも「成功」していれば良いでしょうが、本当に致命的な結末に至るリスクがあります。
突然ですが、平均台で逆立ちができますか?
オリンピックの体操の競技などをテレビ中継で見るにつけ、いったいああいうことができる人というのは、どういう体のつくりになっていて、どういうものを食べているんだろう、と思わずにはいられません。
そもそも、人間はどうしてああいったことが「できる」と思ったり「やりたい」と感じたりするのでしょうか。
私は、後ろに壁がなければ、畳の上でだって逆立ちなんかする気にはなりませんから、あれができるというイメージがまったくわかないのです。が、よく考えてみると、イメージがまるでわかないことができるようになっているという事実が誰にだってあるはずです。
たとえば私は、泳げるようになるというイメージなど、子どもの頃はもっていませんでした。でも小学校に上がる頃には、泳げるようになっていました。
それに、中学1年で授業が始まったばかりの頃には、英語というのは一生自分には向かないと思っていましたが、30代の初めには、アメリカの大学で英語でスピーチをさせられていました。
つまり、人間というのは不思議にも、絶対にできそうにないことでも、きちんとした手順を踏んで毎日のように繰り返し練習すれば、「達人並み」にできるようになるのです。本当に達人になれるかは別にしても、箸にも棒にもかからなかった自分自身を振り返れば、そう感じられるはずです。
私はこれを可能にする人間の機能を「ロボット」と名づけ、あちらこちらでこの話をしています。人は「ロボット」を内部に備えているから、一定の年月をかければ何にだってなれるといっても過言ではないのです。
このことを、直感的には多くの人が知っているからこそ、いろいろな「スクール」や「教習所」が繁栄しているのです。
どんなことでも「ロボット」は育つ
どんな「ロボット」でも育てられます。それは運動技術のようなものばかりではなくて、たとえば「オペラを理解するロボット」のようなものもあります。
私など「楽典」を理解したり、音楽の歴史を勉強したりしたわけではなく、ピアノひとつ満足に弾けはしませんが、モーツァルトの「魔笛」をただ30回くらい繰り返し聴いていただけで、それなしで仕事を進められないくらい熱烈なファンになりました。
ある意味ではただ繰り返し接するだけです。スマートフォンでもマイクロソフトのオフィスのようなサービスにでも、とにかく繰り返し、一定時間、毎日、同じように接していればそれ専用の「ロボット」を自分の中で発展させられます。
それも驚異的なスピードであり得ないくらい発達します。それがどれほどすごいのかといえば、教習所に通いながら路上教習していた頃とくらべて、運転免許証を取得後に毎日運転するとどれほど運転がうまくなるか、ちょっと考えれば十分でしょう。
私はメールチェックからメールに返信を書くまでのような仕事も、「ロボット化」するようにします。毎日、同じ時間帯に、メールを開いてから「流れるように」読み進めて、半分目をつむっていても返事が返せるように、ただただ繰り返すだけです。
わけが分からなくてもオペラをただ黙って聴き続けるようなものです。そんなときに「右耳」だけで聴くだの、作曲家の伝記を読むだのするのは余計です。とにかく何でもいいからただ聴き続ける。するとある日突然「ロボット」のスイッチが入って、何もかもが分かるようになって、すごく楽しい経験になる。
そういうことがメール返信でもかならず起こります。ある日突然、メールチェックから返信までが、自分比では「神業」としか思えない域に達し、途中で手が止まることがなくなるのです。
以前だったら、「これ、どう返事したものか……」と悩んでしまうはずの内容でも、頭が悩んでいる間にも手がどんどん返事を書いてくれて、返信ボタンをクリックすればいいようにしてくれます。
「ロボット」的に考えれば、仕事を「ためる」というのはとても損なことなのです。それは「繰り返す機会」を減らすことにしかならないからです。
佐々木 正悟(ささき・しょうご)
心理学ジャーナリスト。「ハック」ブームの仕掛け人の一人。専門は認知心理学。1973年北海道旭川市生まれ。97年獨協大学卒業後、ドコモサービスで働く。2001年アヴィラ大学心理学科に留学。同大学卒業後、04年ネバダ州立大学リノ校・実験心理科博士課程に移籍。2005年に帰国。帰国後は「効率化」と「心理学」を掛け合わせた「ライフハック心理学」を探求。執筆や講演を行う。