(本記事は、野口悠紀雄氏の著書『「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ』KADOKAWA、2018年6月9日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
【『「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ』シリーズ】
(1)超独学法 フランクリン、リンカーン、カーネギー…彼らが「独学」で成功したポイント
(2)エジソン、ライト兄弟、フォードーー独学で成功した彼らの原動力となったものとは?
(3)ハーバードやスタンフォードが行う「無料の講義」の中身とは?
(4)本は2割だけ読めば良い 「野口悠紀雄流」読書術とは
独学の発明家
発明家には独学者が多い。
最も有名なのは、アメリカの発明家・起業家トーマス・エジソン(1847年─1931年)だろう。
生涯に2332件もの特許を取得した。蓄音機、電気鉄道、鉱石分離装置、白熱電球、活動写真等々。
小学校に入学したが、教師と騒動を起こして、3ヵ月で中退してしまった。
このため正規の教育を受けられず、図書館などで独学した。新聞の売り子として働いて得たわずかな金を貯め、自分の実験室を作った。
16歳の頃には電信技士として働くようになり、さまざまな科学雑誌を読んで学び続けた。
その原動力となったのは、「知りたい」という欲求だった。
22歳のときに株式相場表示機を発明して特許を取得し、巨額の金を儲けた。1877年に蓄音機の実用化に成功し、ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立した。
1889年にエジソン・ゼネラル・エレクトリック会社を設立した。この会社は、その後ゼネラル・エレクトリック社となり、「電気の時代」を切り開いた。
現在でもアメリカの主要企業の1つである。
電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベル(1847年─1922年)はスコットランドの生まれ。父は大学教授であり、彼の一族は長年、弁論術の教育にかかわってきた。
幼少期には、自宅で父から教育を受けた。エディンバラのロイヤルハイスクールに入学したのだが、15歳で退学した。エディンバラ大学に入学、その後、カナダに移住。
彼は兄とともに、人間の声を真似てしゃべる機械オートマタを作ろうとした。
そして、音叉を使って、共鳴など音響伝達について研究するようになった。後に大学で助手や講師の職を得たが、空いた時間で最小限の実験器具を使って、自分だけで電話についての実験を続けた。
生涯を通じて、科学振興と聾者教育に尽力した。
動力飛行機の発明者ライト兄弟(ウィルバー・ライト:1867年─1912年、オーヴィル・ライト:1871年─1948年)も、高等教育は受けておらず、独学で航空力学と飛行技術を学んだ。
自転車店を営むかたわら、得意の工作技術を駆使して、グライダーや飛行機を自作していった。1901年には、風洞実験装置を開発している。
これを用いて実験を行い、さまざまな形の翼に働く力を計測した。そして、航空力学の新たな計算式を導き出し、翼の形状を最適化することに成功した。
1909年に兄弟はライト社を創業した。その後、同社はグレン・L・マーティン社と合併し、現在のロッキード・マーティンとなった。
ヘンリー・フォード(1863年1947年)は、「自動車の父」と呼ばれる。
自動車は、それまではごく一部の人しか買えなかったが、アメリカの中流家庭が購入できるT型フォードを開発・生産し、自動車交通に革命をもたらした。
彼も大学教育は受けておらず、独学で機械工学を学んだ。
ミシガン州の農家に生まれ、1879年に高校を中退し、デトロイトで機械工となった。1891年にエジソン電気会社の技術者となり、1893年には主任技師となった。
そこで自分の時間を使うことができるようになったので、内燃機関の実験を進め、1896年に第1号車の製作に成功した。
1903年にフォード・モーター・カンパニーを設立した。その後、ライン生産方式による自動車の大量生産を始め、1913年にはベルトコンベアによるライン生産方式を導入し、生産能力を大幅に強化して低価格化を実現した。
野口悠紀雄
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業。64年大蔵省入省。72年イェール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て、2017年9月より早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。ベストセラー多数。ツイッター:https://twitter.com/yukionoguchi10