今回は「保険証券」の話をしてみたい。

保険法早わかり,責任開始
(画像=PIXTA)

前回の研究員の眼では、保険証券と保険契約成立について取り扱ったが、今回は「いつの時点から生命保険会社は責任を負うのか」について見てみることとする。

保険契約が締結されるまでの大まかな流れを確認すると、伝統的な実務では、保険契約者となる者(加入希望者)が申込書を提出し、第一回保険料相当額を支払う。その際、被保険者の告知書もあわせて提出し、あるいは日時を定めて被保険者が医師と面会の上、告知を行う。申込を受けた生命保険会社は、加入査定を行い、引受基準に従って承諾すべきときは承諾し、書面(いわゆる保険証券)を保険契約者に交付することで完結する。保険契約締結に当たって、保険契約者サイドが行うべきことは「申込」「第一回保険料相当額の支払」「告知」の三つである。

そして責任開始、すなわち生命保険会社が保障責任を負うこととなるタイミングは、一般実務および解説書によれば、保険契約者サイドが行うべきこと、すなわち「申込」「第一回保険料相当額の払込」「告知」が三つ揃ったときであり、この時点から生命保険会社は保障を開始する(図表1)(1)。

保険法早わかり,責任開始
(画像=ニッセイ基礎研究所)

このような責任開始の約款規定を「責任遡及条項」という。なぜ責任遡及条項と呼ぶかという理由であるが、本来は、生命保険会社が承諾することで契約が成立した後に契約を履行する義務(生命保険会社が、被保険者死亡が発生した場合に保険金を支払う義務)が生ずる。しかし、約款では生命保険会社が契約を承諾する日より前に、保障責任、つまり事故発生の場合の保険金の支払義務を遡及させているから責任遡及条項と呼ばれる。

責任遡及条項が置かれるのは、保険契約申込時には本来支払う必要のない第一回保険料相当額の支払まで保険契約者に求めていることから、仮に生命保険会社が承諾をする前に事故が発生した場合にも、保険金が支払われることへの期待が高く、このような期待は保護されなければならないためと説明されている(2)。

ところで近時は、キャッシュレスが進展してきたことを受け、いままで説明してきたところと異なる取扱をする生命保険会社が出てきている。たとえばクレジットカード払いでは、実際にクレジットの振替が行われる前、カード会社にカードの有効性の確認ができた時点で保障責任を負うことが行われる(3)3。すなわち、支払があったと同視できる場合であれば「申込」「告知」だけで保障責任を開始する会社がある。さらに、責任開始を第一回保険料相当額の支払とはまったく切り離し、カードの有効性確認とも関わりなく、単に申込と告知がともに完了した時点から保障責任を開始するとする会社も現れている(図表2)(4)。

保険法早わかり,責任開始
(画像=ニッセイ基礎研究所)

このような取扱の場合、第一回保険料相当額を事前に支払うという責任遡及条項が設けられた本来の事情から逸脱するものの、保険契約者有利の対応となっており特段の問題はないと考える。

さて、責任遡及条項と旧商法・保険法との関係を説明する。旧商法・保険法は遡及保険について定めている。責任遡及条項には遡及保険の規律が適用される(5)。

旧商法では遡及保険が有効になる場合として、契約締結時点(=保険会社が契約を承諾した時点)で両当事者がいずれも事故発生を知らなかった、という条件を付していた。しかし保険契約者申込後、保険会社の承諾前に被保険者が死亡した場合には、保険契約者がそのことを容易に知りうるから、責任遡及条項は通常、無効になるのではないか、という疑問が旧商法下ではあった(図表3)。結論としては、責任遡及条項はこのような場合でも無効にならないと考えられていた。

保険法早わかり,責任開始
(画像=ニッセイ基礎研究所)

保険法ではこのような疑問が出ないように規律を変更することになった。具体的には、保険法は保険契約者が保険契約の申込時に既に保険事故 (被保険者死亡)発生を知っていた場合を無効とするにとどめることによって、責任遡及条項が無効となる余地をなくした(保険法39条1項)(6)。すなわち、被保険者が申し込み時点で亡くなっていて、それを知っていたのに保険契約者が申込を行った場合のみを無効とした(図表4)(7)。

保険法早わかり,責任開始
(画像=ニッセイ基礎研究所)

ところで、責任遡及条項について問題となるのは、責任が遡及する前提として「生命保険会社が申込を承諾した場合」とされていることである。すなわち、被保険者が死亡したことを生命保険会社が承諾前に知った場合において、生命保険会社が承諾義務を負うのか、という点が論点となる。これは生命保険会社が被保険者の死亡事実を知った場合、その事実のみをもって生命保険会社が引受拒絶するのではないかとの疑問がもたれるためである。この点については、学説上、保険適格体であれば生命保険会社は信義則上承諾義務を負うなどの説明がなされることがある(8)が、実務上は道徳的危険も含め、社内引受基準に則り、引き受けが行われる場合には、承諾するのが通例である。

さらに、保険会社において被保険者の健康状態に照らして特別保険料の徴収など条件付決定がなされた場合において承諾すべき義務を負うかどうかという論点もある。条件付決定の通知は承諾ではなく、条件を変更した内容での保険会社からの新たな申込とされる(民法第528条)ことなどから、裁判例では特別条件付決定の場合の承諾義務、ひいては責任遡及を否定するものがある(東京高判平成22年6月30日)(9)。

責任遡及条項は保険契約者の期待保護のために設けられているが、保険事故発生に際してこれをどう適用するのかについては、たぶんに技巧的であり、そのため、これまでもさまざまな議論が行われてきた。現在は一部保険会社におけるキャッシュレスに伴う責任遡及条項の取扱変更が行われてきているが、こうした実務取扱の変更の考え方が承諾義務等に関わる議論に影響を及ぼすかもしれない。今後の検討に期待したい。

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(1)日本生命保険 生命保険研究会「生命保険の法務と実務(第3版)」(金融財政事情研究会2016年)p128参照。なお、承諾後に保険料を徴収した場合は承諾時に保険責任を負うこととされている。
(2)山下友信「保険法」(有斐閣2005年)p215参照
(3)オリックス生命のHP参照。https://www.orisei.com/nagare/index.html
(4)日本生命「みらいのカタチ」ご契約のしおり https://www.nissay.co.jp/kojin/shohin/seiho/mirainokatachi/shiori/01.pdf p6参照(「みらいのカタチ」契約基本約款第2条第1項)。なお、責任遡及条項の適用により保険金が支払われる場合においては、初回の保険料について保険期間を勘案して過不足を計算し、支払い保険金から精算がなされる(「みらいのカタチ」保険料クレジットカード扱特約第2条第2項)
(5) 「責任遡及条項」と「遡及保険」との厳密な関係であるが、「遡及保険」とは「責任開始日」が「契約日」より遡るものを指す。しかし、約款では、保険契約が締結された場合に「責任開始日」と「契約日」とを同一日とみなしてしまうので、「遡及保険」には形式上、該当しないともみうる。ただ、実質的に見れば責任遡及条項と遡及保険は同じものであり、遡及保険の規律を免れない(前掲注2、山下p213参照)。
(6)保険法第39条はそのほか実務上考えにくいケースも規律しているが、説明は省略する。
(7)なお、民法第525条(2020年改正民法においては第526条)との関係で保険契約者(申込者)=被保険者の場合の申込後死亡のときの申込の効力が問題となる(前掲注2山下p214参照)が、ここでは問題指摘のみにとどめる。
(8)前掲注2,山下p216参照。山下教授は保険会社が信義則により承諾義務を負うとするのは、信義則の効果としては強すぎるとして、生命保険会社が自ら承諾義務を負ったものと解すべきと述べる。
(9)学説は分かれている。本判決への批評と学説の状況については潘阿憲「承諾前死亡-特別条件付決定後の場合」(保険事例研究会レポート237号)および山下典孝「特別条件決定後における承諾前死亡」(保険事例研究会レポート253号)参照。

松澤登 (まつざわ のぼる)
ニッセイ基礎研究所 保険研究部 取締役 研究理事・ジェロントロジー推進室兼任

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