人生を豊かにするCLUB Panasonicオリジナルイベント
22歳で起業し、一代で世界的企業へと成長させた、パナソニックの創業者・松下幸之助。「CLUB Panasonic」限定のイベントで、PHP理念経営研究センター代表で松下研究の大委任者である渡邊祐介による講演が行なわれ、その起業という決断の背景にあった理由などについても言及。会場の様子をリポートする。(取材・構成=森末祐二、写真撮影=清水茂)
登録オーナーに「有意義な時間」を提供
所有するパナソニック商品を「ご愛用者登録」することで、多彩なサービスが利用できる「CLUB Panasonic」というシステムがある。 登録オーナーは、パナソニック商品に関する手厚いサポートが受けられるとともに、様々な学びが得られるセミナーや体験イベントに参加できる。
去る2020年1月25日(土)には、登録オーナーへのサービスの一環として、大阪府門真市のパナソニックミュージアムで参加費無料のセミナーが開催された。今回のテーマは「松下幸之助と“起業”」。株式会社PHP研究所内に組織されたPHP理念経営研究センター代表の渡邊祐介が講師を務めた。 定員15名のところ、起業や松下幸之助に関心のある登録オーナー約200名の申し込みがあった。その中から当選された参加者が、松下幸之助研究の第一人者である渡邊の講義に熱心に耳を傾けた。
「起業家」松下幸之助の歩みとその思想
参加者にはレジメが配付され、松下幸之助の生前のインタビュー映像を映写したりしながら、話が進められた。
パナソニック創業者の松下幸之助は、小学校を4年で中退して、大阪に丁稚奉公に出されることとなる。約5年間、五代自転車商会で丁稚奉公として過ごしたあと、街でチンチン電車を見たことから「電気」に魅了され、大阪電燈(現在の関西電力)に職工として入社する。やがて1917年(大正6年)に幸之助は22歳で「起業」することになるが、それには4つの理由があったということだ。
(1)自分が考案した「ソケット」が会社に採用されず、悔しい思いをした。
(2)数年で職工から検査員に出世して、職工時代よりも仕事が楽になった分、かえっておもしろくなくなった。
(3)若い頃の幸之助は体が弱く、仕事を休みがちで、当時の日当制では収入が安定せず、自分で商売をしたほうがいいと考えた。
(4)父親から「お前は商売で身を立てよ」といわれた。
起業直後は資金繰りに苦労したが、業績が徐々に伸び始めてからは、常に社員たちに理想を訴え、ガラス張り経営を徹底するなどして、一代で世界的大企業を育て上げた。