米国の長期金利が少し上昇した途端に米国のみならず、世界の株式市場が動揺した。買いの手が引っ込んで「ここらで一度ポジションを軽くしておこう」と考えた人が多かったということだ。すると市場周りからは「バブルが弾けた」という悲観論のオンパレードが始まり、メディアには「バブルだったので当然です。予想通り!」的な尤もらしいコメントまで飛び出す始末。

人間の心理は楽観的な話と悲観的な話、どちらに反応し易いかというと間違いなく悲観論に反応し易い。余談だが実はこれ、『現代投資理論(Modern Portfolio Theory)』の最も肝心なところの問題点を指摘している。お分かりだろうか?

『現代投資理論』の中では誰もがご承知の通り「リスク」が定量的に表されている。そう「リスク」とは「危険」とか「損失」という話では無く、単に「プラスにもマイナスにもブレる」ことであり、どちらにも均等な効用をもつものという前提に立っている。だからこそ単純に標準偏差で計算され、多くのモデルに利用されるが、実際に人間の心はそんな単純には出来ていない。人間の心は絶対額は同じだとしても、儲かったことによる喜びよりも、損した場合のダメージの方が普通は大きい。誰だって「100万円儲かった」という話より、「100万円損した」という方が精神的なインパクトは大きい筈だ。このあたりの修正を『現代投資理論』に行うのは行動経済学の範疇になるのだが、これによって具体的にはポートフォリオのアセット・アロケーションが違ってきたりするから面白い。理論は常に進化し続けている。

超富裕層がプライベートバンカーに求めるニーズとは?

プライベートバンク,日本
(画像=Yoshi / pixta, ZUU online)

さて、こうした時に最もプライベートバンカー(以下、バンカー)に求められるニーズは何か? 新型コロナ禍の外出自粛の最中だと言っても、テレビや新聞だけでなく、SNSやネットを通じても毎日山のような情報が見たくなくても目に入る時代、お客様にも当然多くの情報がインプットされている。超富裕層ともなればその情報ソースは更に多岐にわたり、内容も濃いものとなるのが普通だ。だがその中には間違いなく「似非」と呼べるものが残念ながらたくさん含まれている。例えば超富裕層の知人の中にどこかの大学の経済学部の教授が居たとしよう。その教授には決して悪意や特殊な意図は無かったとしても、門外漢から見れば「経済の専門家」であることは間違いなく、その人の話には一種の箔がつく。だが経済学部の教授が必ずしも資本市場に本当の土地勘があるかと言えば、必ずしもそうではない。医学の研究をされているお医者様と、実際の臨床の現場にいるお医者様とで見解の相違があるのと似たようなものだ。

このような前提を踏まえて、昨今のような市場環境になると優秀なバンカーに求められるもののハードルはより高いものとなる。それは決して「正しく当たる市場見通しが求められる」という意味では無い。勿論「正しく当たる」のならばそれに越したことは無いが、「絶対に正しく当たる未来予想」などは出来る筈も、ある筈もない。可能な限り研ぎ澄ますことは出来たとしても「想定外」の展開は当然のこととして起きるものだ。