本記事は、長田英知氏の著書『「論理的思考だけでは出せない答え」を導く あたらしい問題解決』(日本実業出版社)の中から一部を抜粋・編集しています
問題を発見するための「センス」
●私たちは普段、どんなふうに 「センス」という言葉を使っているのか
前章では、ビジネスにおいて問題解決をするために重要な「3つのS」について紹介しました。この「3つのS」のうち、最初に取り上げるのが「センス」です。
問題解決においては「センス」を身につけることが最も重要である一方、「センス」という言葉はとても曖昧で、分かりにくいと感じる方も多くいらっしゃいます。そこで、まず問題解決における「センス」とは何かについて考えていきましょう。
ところで、「センス」という言葉を皆さんはどのようなときに使うでしょうか。まず、「センス」という言葉が使われる状況としてイメージされるのは、「あの人は洋服のセンスがいいね」とか「この部屋はインテリアのセンスがいいね」といったモノの選び方や組み合わせのうまさを評価するときです。また、「ゴルフのセンスがあるね」とか「お金儲けのセンスがあるね」といった、何かを実行するときのコツをつかむうまさに対する評価としてもよく使われます。
「センス」という言葉のこれらの使用方法から考えると、「センス」とは、モノを選んだり組み合わせたり、あるいは何かを行うときの良い塩梅、すなわち「物事の適切なバランスを感じ取り、最適化する能力」だと言えるのではないでしょうか。
この「センス」の定義に従うと、「センスが悪い」ということは物事が適切なバランスとなっておらず、何かが崩れているか、あるいは最適化されていない状態だと言えます。
「洋服のセンスが悪い」と言われる人は、色や柄、あるいはシルエットのバランスが崩れた格好をしています。たとえば幅広のパンツを履いたとき、上半身も緩いシルエットの服を着るとダボっとしてだらしなく見えるでしょう。また、チェック柄のスーツ、シャツ、ネクタイは単品ではお洒落かもしれませんが、それらをすべて一度に合わせて着ると派手過ぎて合わせるのが難しいでしょう。
「センスの正体はバランス感覚である」と、私が最初に理解したのは政治家時代でした。市議会議員選挙に出馬する際、私は政治家に必要とされるジバン(地盤)、カンバン(看板=肩書き)、カバン(鞄=金)をいずれも持っていませんでした。そのなかで私が採った戦略は、その地域の政治的なバランスの危うい部分を直感的に把握し、その危うい部分を崩す活動を行って支持を広げるというものでした。
どんなに人気のある政治家でも、アンチは必ずいるものです。アンチとなっている人々をうまく味方につけつつ、主流派にも顔を売っておくことで、積極的に支持はしてもらえなくても攻撃対象にはならない、といった選挙区内でのバランスをとりながら活動を進めました。その結果、市議会議員のときには約4ヵ月の活動で、23人中8位で当選することができたのです。
また、衆議院総選挙でも現職の大臣を相手に万票を超える票を獲得し、あと6000票ほどで復活当選するところまでいくことができました。そして、この政治家としての「センス=バランス感覚」が、コンサルタントに転身後も大きな価値を発揮したのです。
●なぜ、「センス」という概念はつかみどころがないのか?
さて、「センス」という概念についてイメージをつかんでいただいたと思いますが、これを身につけることに、なぜ多くの人は難しさを感じるのでしょうか。
まず、「センス」はその良し悪しに関する数値化が難しい点が挙げられます。テレビ番組でファッション雑誌の専門家が巷の人のコーディネートに点数をつけるような企画をよく見かけます。しかし、ある日に着ていた洋服のコーディネートについて点数をつけることができたとしても、それはあくまでその日のコーディネートに対してであって、その人自身の洋服の「センス」を総合的に数値化したものとは言えません。
また、「センス」は将来のポテンシャルを織り込んで判断されることも多くあります。たとえば初心者ゴルファーの初ラウンドのスコアがあまり良くなくても、それはその人のゴルフの「センス」を必ずしも反映するものではありません。こうしたことも「センス」の数値化を難しくする一因となります。
最後に、「良いセンス」は一部の人だけが生まれ持って身につけている天性の能力で、一般人には備わっていないものだと考えられがちです。けれども実際には、「センス」は後天的な学習で身につけられ、磨くことができます。「センス」の本質は「バランス感覚」であり、正しいバランスの状態を理解していれば、センスを磨くことができるのです。
「センスがない」と感じるとき、それは私たちの中に「センス」が欠如しているのではなくて、正しく機能していないだけなのです。
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