先日、久し振りに出張で新幹線を利用した時のこと。車内のポスターを見て、筆者の中で「心のアラーム」が点灯した。「心のアラーム」とは特に意識的に見たり、聞いたりして頭の中に入れた情報ではないのに「これは注意が必要だよ」と潜在意識の中、すなわち心の中で何かしらアラームが鳴ることだ。皆さんも経験がないだろうか。例えば歩いている時に目に入った何かが気になって、急に立ち止まって三歩下がって辺りを見回して再確認するようなことだ。

その車内ポスターは「プライベートバンク」を謳う日系金融機関のサービスを紹介するものだった。何か豪奢な感じの専用サロンなどを紹介しているような内容だったが、筆者が感じたのは「また業界が間違った方向へ向かい始めたな」ということだった。

「プライベートバンク」のイメージが独り歩きしている?

富裕層,資産運用
(画像=eugenesergeev / pixta, ZUU online)

筆者が知り得る限りにおいて「プライベートバンク」という言葉に明確な定義はない。だからだろう、何となくそれは人々の間で醸成されたイメージが独り歩きしているようなところがある。多分100人に「プライベートバンクとは何ですか?」と質問すれば100通りの答えがあり、そこに共通項があるとすれば「お金持ち専用」とか、「秘密主義」とか、「スイスの銀行」とか、そんなバズワードではないだろうか。そもそも昨今は「プライベートバンク」という単語さえ、一種のバズワードになってしまっている感すらある。ただ、これが金融機関のマーケティング的には大変好都合なのだ。

「プライベートバンク」に関わる原稿を書いている身としてあらためてここで断言させて頂くが、本来の「プライベートバンク」のサービスとは、決してクレジットカードの「ゴールドカード」「プラチナカード」或いは「ブラックカード」といった色違いのカードを所持できるか否かの判断基準となるような次元に線引きがある金融サービスではない。そもそも国際線のファーストクラス・ラウンジでさえも必要としないような人たちだけをお客様としているのが本来の「プライベートバンク」であり、もし「欲しい」と言われればどんなステータスのクレジットカードだって即座にお届けするだろう。だがそんなプラスチック・マネーを必要とするのかさえ本来疑問だ。ご本人たちはお店の人たちにただ一言「美味しかったわ、ご馳走様」とか、「ありがとう」とだけ告げればよく、あとは誰かが別途支払処理は済ませてくれる。決して接待とかそういう下衆な話では無く、単に「会計」という事務をご本人以外が済ませるという意味だ。

映画のシーンなどを思い出して貰えれば分かると思うが、リムジンを横付けにしてイブニングドレスの女性とタキシードの男性が降りてくる。当然、女性はお財布を入れているハンドバッグなどは持っていない。男性のタキシードの内胸ポケットやパンツの後ろポケットもお財布などで膨らんでいるなんてことも有り得ない。入っているとしてもチップのためのビル・クリップだけ、つまりレストランの支払いなど自ら行う必要はないのだ。「そんなお金持ちの上流階級が日本に存在するのだろうか」との声も聞こえてきそうだが、誤解無きよう再確認の意味で説明すると、プライベートバンク発祥の地は欧州である。欧州の貴族の金庫番としての役割から始まった。だからこそ「Stewardship」なる単語がポリシーの中に含まれてくる。「Steward」とは「執事」という意味だ。

新幹線の「車内ポスター」の強烈な違和感