20数年間にわたって主として株式関連の運用ファンドマネージャーを生業としたあとで、プライベートバンクのインベストメント・ソリューション・チームを率いることになって最初に痛感した日本人の特徴のひとつは「金利好き」だ。もう少し前広に、そしてちょっと気取った感じを真似れば「インカム・ゲイン好き」である。株式の世界から来た者から見ると、それはあたかも半ば宗教観に近いようにも見えた。それは投資家だけではなく、いわゆる「セルサイド」の人達まで同様だったので、異様なものにも思えたほどだ。

言うまでもなく利子・配当収入の「インカム・ゲイン」の反対にあるのは売買損益である「キャピタル・ゲイン」だが、直近も「日経平均株価が31年ぶりの高値をつけた」と大騒ぎになるほど、この国は株価の値上がりに縁がない歴史が長く続いた。だから誰もが「キャピタル・ゲイン」よりも「インカム・ゲイン」のほうが、仮に多寡は少なくても儲けは安定的であり、「キャピタル・ゲイン」狙いは総じて「キャピタル・ロス」の源にしかならないという刷り込みが強いと実感したものだ。

確かに31年ぶりの高値ということは、現在50代半ばで経営階層になった金融関係者でさえ、ようやく新入社員の時に見た株価水準に回復したかしないかというレベルだ。従って、現場の営業マン達にしてみれば大切なお客様に「キャピタル・ゲイン」を狙いましょうという主旨のセールス・トークを繰り出すよりも、高い「インカム・ゲイン」を狙いましょうとセールスしたほうが心優しいのかも知れない。そう言えば筆者も「本当のバブルを知っている世代が羨ましいです」とよく言われたものだ。本当にその頃の体験が羨まれるようなものであったかどうかの議論は置いておいて、日本では「インカム・ゲイン」崇拝が販売側にも投資家側にも非常に根強いということは事実だ。

印象操作? 投資不適格債ではなく「ハイ・イールド債券」という呼び方

ハイイールド債,特徴
(画像=ufabizphoto / pixta, ZUU online)

そしてもうひとつ痛感したのが「横文字」への憧憬だ。かく言う筆者自身も人生一度は外資系企業で働いてみたいという想いが強かったからこそ、50歳の声を聴く段になってさえ、「早期黒字化達成の社長」という名誉ある肩書を放り出してまで外資系金融機関に転職したのだから、偉そうなことはひとつも言えない。ただ筆者に関して言えば、明確な目的があり、その結果には非常に満足している。勿論後悔の念など微塵もない。期待していた通りのグローバルでハイクオリティな経験ができたことで、普通に過ごせば落ち着き、安定を目指し、或いは定年へ向かってテンポの落ちる世界が、正に「Re-Born」(生まれ変わる、再生する)で大きく拡がったと思っている。そもそも単なる「横文字」への憧れではなかったからだろう。

「横文字」への憧憬は、古典的な言い方をすれば、開国以来の欧米列強に対する日本人のDNAに刷り込まれた半ば劣等感に近いものなのかなと思う時さえある。その典型が英語にしないでも充分に認識されている日本語があるにも関わらず、敢えて「英単語」にする文化だ。「ボラティリティ」のように適切な日本語がないものは寧ろそのまま英語を使ったほうが良いが、極端な話、「株」や「債券」までも「エクイティ(Equity)」とか「ボンド(Bond)」と言ってしまう場合がある。帰国子女とか、それこそ外資系企業に居るなら話は別だが、バリバリの日系証券の生え抜きの人が「株式担当です」と言わずに「エクイティ担当です」と言ったりするのがその好例だ。「なんでそこで英語?」という例は、特に金融業界では多いように思う。

この憧憬を逆手に取って狡猾ささえ感じるのが「ハイ・イールド債券」という呼び方だ。日本の超富裕層の多くは高齢者である。勿論厳格な「高齢者取引ルール」が日本の金融機関にはあるので「ハイ・イールド債券」の本質的な意味をきっちりと投資家が理解するまで説明されていると信じたいが、現実は眉毛に唾をつけながら「ご理解頂いていると思います」と言わざるを得ない実態があると思われる。なぜ日本語に直訳すると「高利回り債券」となる言い方に変えて、本来の「投資不適格債」という日本語を使わないのかということである。「ハイ・イールド債券」というのは、英語では本来「ジャンク・ボンド」である。だが「ハイ・イールド債券」という呼び方からは、日本語に直訳しても「ジャンク」や「投資不適格」というニュアンスは汲み取れない。