この記事は2022年8月22日に「ニッセイ基礎研究所」で公開された「「データ次第」の金融政策」を一部編集し、転載したものです。
新型コロナ禍を端に発した供給制約や人手不足、また資源価格の高騰を受けて、多くの国でインフレが高進、高インフレが長期化している。
こうした状況を受けて、主要国の中央銀行は積極的な利上げを通じてインフレの鎮静化を目指している。筆者は今年の後半からインフレ圧力が低下していくことを想定していたが(*1)、足もとでもインフレ圧力は根強く、明確な減速には至っていない。ロシアによるウクライナ侵攻は、ロシア産資源への供給不安を惹起、インフレ圧力を助長した。
FRB、ECB、BOEといった欧米の主要中銀は、中銀の責務である物価の安定(高インフレの抑制)に努めるという姿勢を強く示し、インフレ抑制のためには、多少は景気に下押し圧力が生じることはやむを得ない、という意図も示している。
一方、積極利上げを開始し、足もとで政策金利が中立金利に迫る、あるいはそれを上回る状況に達すると想定されるなかで(*2)、今後の政策金利経路は「データ次第」としている。政策当局者の間でも適正な政策金利に関する見方がばらついており、また経済をめぐる不確実性が大きいことが背景にあると見られる。
このコラムでは、こうした適正な政策金利水準や利上げ速度の判断が難しいと言える要因について少し考えていきたい。
まず、ひとつの要因として、コロナ禍期間中の行動制限などで貯蓄が積みあがったため、高インフレや高金利に対する需要の反応が読み切れない点が挙げられるだろう。
マクロ経済の教科書的な理論では、供給要因による高インフレは消費者の購買力を低下させ需要減少に直結する(供給曲線の上方シフト)。また、インフレ抑制のための高金利政策は住宅や設備投資意欲の低下や消費の先送りに寄与し、これも需要を減少させる(需要曲線の下方シフト)。
ただし、足もとでは高インフレで景況感が悪いにも関わらず、需要は比較的底堅い。景況感は悪化しており、住宅市場にも減速感が見られるが、(現時点では)全体的な需要はそれほど落ち込んでいないように思われるし、労働市場はまだまだ人手不足感が強く、失業率も低い状況にある。
この理由として、コロナ禍期間中に積みあがった貯蓄を取り崩すことで需要を維持できていることが挙げられるだろう。高インフレを主導する品目がエネルギーや食料品といった生活必需品であるために、多少価格が高くても需要を急激に減らすことが難しいという側面もあるかもしれない。あるいは、コロナ禍からのリベンジ消費(ペントアップ需要)が顕在化しており、対面サービス消費が活性化している可能性もある。
需要が底堅ければ、高インフレや利上げによって需要が落ち込み、インフレ率が減速していくという効果は限定的になり、金融政策の効果が顕在化するまでに時間がかかる。物価高に対して、補助金や給付金で価格を抑制すると、景気の下支えにはなるが需要が減らずにインフレが助長されるリスクがある。コロナ禍期間中の積みあがった貯蓄は、こうした補助金や給付金と同じような効果を生んでいるとも言える。
他の要因として、政策金利と実質金利の関係が必ずしも安定的でないという点が挙げられるだろう。
これも教科書的な説明になるが、利上げによるインフレ抑制は、政策金利水準それ自体ではなく、短期の名目金利上昇(や短期金利が上昇するという予想)に誘導される形で中長期の実質金利が上昇することで生じる効果と言える。
実質金利は名目金利から(期待)インフレ率を引き算することで求められるので、名目金利と実質金利は密接な関係にはあるものの、足もとでは現実のインフレ率が上昇してしまっており、またこの高インフレに引きずられる形で期待インフレ率にも上昇圧力が生じていることから、名目金利よりも実質金利が上がりにくくなっている。これも金融引き締め効果を限定的にしてしまう。
さらに言えば、期待インフレ率の上昇圧力自体がインフレ圧力を強めるように働くという効果もあって、高インフレが持続しやすくなる可能性がある(供給曲線であるフィリップス曲線の上方シフト)。
以上の要因は、いずれも金融引き締めの効果が限定的になるケースと言えるが、コロナ禍で積みあがった貯蓄の取り崩しが進まずに需要が想定以上に減少したり、そのために期待インフレ率も下振れしたりすれば、むしろインフレ抑制効果が相乗的に強まるといった可能性もある。
いずれにしても、このような要因から、どの程度政策金利を上げれば、インフレ率が低下していくのか評価が難しく、中銀のタカ派(インフレ抑制重視)やハト派(景気配慮)といった明確な姿勢を打ち出しにくい状況と言えるだろう。
また、現在のような状況は市場にとって見ると、自身の予想が裏切られやすい状況になっているようにも思う。
例えば、市場が中銀のタカ派姿勢を予想した場合、想定される政策金利経路が高めになるため、長期金利は上がりやすい(長期金利は先々の短期金利(≒政策金利)の予想経路とリスクプレミアムを足し算することで求められる)。加えて、タカ派姿勢への予想から期待インフレ率が下がりやすくなっているとすれば、実質金利にはさらに上昇圧力が生じる。これは景気減速効果やインフレ抑制化効果を強める(株価も下落しやすくなる)。したがって、市場の予想とは逆に、中銀はむしろハト派姿勢に転じるインセンティブが強くなる可能性がある。
逆に、市場が中銀のハト派な姿勢を予想した場合、将来の利下げを織り込むなど長期金利が下がりやすくなる。またインフレより景気を重視する姿勢により、期待インフレ率が上振れすればインフレ抑制効果が薄くなってしまう(株価は底堅くなりやすい)。この場合、中銀はむしろタカ派姿勢を強める必要が生じるだろう。
いずれも中銀の姿勢への予想自体が、インフレ率に影響を及ぼしていると言える。金融緩和局面(ディスインフレ局面)では中銀が明確なハト派姿勢(緩和姿勢)を示すこと自体がインフレ率を押し上げるという効果が期待されてきた(いわゆる「『期待』に働きかける金融政策」)が、金融引き締め局面(高インフレ局面)においては、インフレ抑制効果が、景気後退に直結するために、できるだけ景気への影響も小さくしようとすれば、明確なタカ派姿勢(緊縮姿勢)が取りにくく、中銀側に立てば、「期待」に働きかけすぎることも避けたいという状況なのかもしれない。
いずれにしても、足もとではインフレ率が明確に減速せず、特に目標である2%から大きく乖離している状況が続いている。中銀の行動、景気への影響、そしてインフレ率の動向は、しばらく注目度の高いテーマになるだろう。
*1:例えば、高山武士(2021)「長期化するインフレ懸念」『ニッセイ基礎研レター』2021-11-15を参照。当時のインフレ懸念の背景も考察している。
*2:中立金利については例えば、高山武士(2022)「利上げサイクル再考-政策金利ピークとターミナルレート」『ニッセイ基礎研レポート』2022-05-09を参照。
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高山 武士(たかやま たけし)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 准主任研究員
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