本記事は、野田和裕氏の著書『人生を全力で生き抜くためのデスマインド』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

道
(画像=L.tom / stock.adobe.com)

デスマインドで人生を輝かせる生き方が叶う

皆さんがデスマインドの生き方を自らのものとし、その瞬間ごとに、自分らしく「全力で生きる」ヒントを見つけていただければと思っています。

それは、「超高齢社会」「人口減少」「国力衰退」「多死社会」といったさまざまな不安や困難を抱える現代の日本において、この現実の中で自分はどう生きるかを考え、行動していくことで、より豊かで充実した人生を築くことにもつながります。

ここで、「全力で生きる」と言うと、若くて身体も元気な人が、アクティブに生きる姿をイメージされるかもしれません。

でも、私が言う「全力で生きる」とは、アクティブとは少し違います。

私は、自分の「やりたい」という気持ちを大切にして、それを実行することが「全力で生きる」ことだと考えています。

例えば、「前から気になっていたあの本、この週末に読んでみよう」とか「この音楽、好きだな。ダウンロードできるか調べてみよう」といった小さなことでも、自分の「やりたい、やってみよう」という気持ちに素直になって実行することが、「全力で生きる」ことです。行動の大小ではなく、「やりたい」という気持ちを後回しにしないことが大切だと思うのです。

また、他の人から何かを頼まれたり、抜擢されたりしたときに、それが自分のやりたいことなのであれば、「いえいえ、私になんてとても務まりません」とむやみに謙遜して辞退するのではなく、自分の気持ちに従ってチャンスをつかみにいくことも、「全力で生きる」ことです。

失敗を恐れて手を出さないのではなく、「やってみたい」と思ったら手を伸ばしてみる。

一生懸命取り組んだ結果が、仮に失敗に終わってもいいのです。私たちは人間です。全知全能の存在ではないので、精一杯努力をしても、失敗することがあるのは当たり前です。

失敗は決して「ダメ」「負け」「無駄」ではありません。むしろ、失敗したからこそ得られる学びはたくさんあります。人類のこれまでの発展は、数知れないたくさんの失敗の上に成り立っています。「成功だけしかしたくない」というのでは、試行錯誤ができません。

時には失敗しながら、粘り強く果敢に挑戦をし続けることで、試行錯誤ができます。それらの経験を通して、少しずつでも望んでいた結果に近づけていく。これこそが、人間の知的な挑戦だと言えます。

そして、失敗を恐れずに挑戦し続けることも、「全力で生きる」ことです。

自分の「やりたい」という気持ちに蓋をしない。もしチャンスがあったら、迷わずつかみにいく。失敗を恐れない。人生はいつ終わるかわかりません。生きている今だからこそ、できることを精一杯楽しみ、「全力で生きる」。

これが、デスマインド思考から導き出される「人生を輝かせる生き方」なのです。

デスマインドで「生」への感謝が生まれる

それでは、今の時代を生きるあなたがデスマインドを持つと、人生で何が変わるのかをお伝えします。

デスマインドを持つと、先ほど述べたように「挑戦したい」「やりたいことに手を伸ばしたい」という、生きているからこそできることに積極的に取り組むように変わります。

それ以外にも、たくさんの変化があなたに起こります。

代表的なものとして、「生きている」ということそのものを喜ぶ心が目覚めます。

いずれ儚く消えていく命とは言え、今この瞬間、あなたは生きています。望めばいろいろなことができます。

もちろん年齢や健康状態によって、さまざまな制約がある人もたくさんいらっしゃるでしょう。それでも、室内に飾られた花の香りから「ああ、いい香りだ」と感じたり、その姿の美しさに見とれたりすることはできるでしょう。死んだらそれもできないのです。

また、誰かの話で心を揺さぶられたり、勇気づけられたり、自分の体験に相手が共感してくれて嬉しくなったりすることもあるでしょう。重い荷物を運んでいたら、通りすがりの人が思いがけず手伝ってくれたときには、心からの感謝が湧き上がるでしょう。

こういう心の交流も、生きているからこそできることです。

さらに、私たちの心臓も、胃も、脳も、私たちが何らかの努力をして働かせているわけではありません。身体の隅々まで血液が巡り、栄養が運ばれていくのも、私たちが何かを頑張ったからではありません。生きているからこそ、こうしたことが起きるのです。

「生きている」とは、素晴らしいことだと思いませんか?

次に、「与えられた命」の不思議と、ありがたさを感じられます。

与えられた命? 誰に? そんな記憶はないけれど? この謎を解くために、突然ですがここで質問をします。あなたは自ら望んで生まれてきましたか? 生まれてくるために努力をした記憶はありますか?

この質問には、ほぼ100%の人が「そんなことはしていない」と答えるでしょう。私も、生まれてくるために何らかの努力をした記憶はありません。気がついたら自分がいて世界が周りにあった、というのがほとんどの方の感覚だと思います。

こうして考えると、私たちの命は「自分で努力して獲得した」ものではないようです。だとしたらこの命は誰かによって「与えられた」ものだと考えられませんか? その誰か、とは誰でしょう? なぜ私たちに命を与えてくれたのでしょう?

もちろんあなたのご両親も、子どもが授かるように、そして授かった後は無事に生まれてくるように、食べ物に注意をしたり、身体に良いとされることに積極的に取り組んだりと、さまざまな努力をされたことでしょう。でもそのご両親でも、あなたが確実にこの世に生まれてこられるように、すべてを手配できたわけではありません。

妊娠から出産までの母体の変化は、あなたのお母さんが「さあ、子宮をもっと大きくしなきゃ」「出産に備えて関節を柔らかくしなきゃ」と意識的に頑張ったからできたのではありません。誰かの見えない手によって誘導されているかのように起きる変化なのです。これもまた「生きている」素晴らしさだと思います。

さて、「与えられた命」に話を戻しましょう。

この言葉は、時として「別に欲しくもなかったけれど、誰かが与えてくれたから、自分は今ここに生きている」という意味に捉えてしまう人もいます。けれども、この言葉にはもっと深い意味があります。それがわかると、これまでとは人生の景色の見え方がガラリと変わること、請け合いです。

21世紀の現代社会で人類の叡智を集めて研究をしても、未だに生命をゼロから誕生させることはできていません。すでにある細胞を増殖させたり、他の細胞に変化させたりすることはできます。けれどもゼロから細胞を作ることは、まだ人間にはできないのです。

ですから、あなたという人の生命は、あなたが作り出したものでも、ご両親が作り出したものでもありません。もちろん、偶然作り出されたにしては、確率が高すぎます。何か大いなるものの力が働いて作り出されたとしか考えられないのです。

クリスチャンは「命は神が与えてくださったもの」と考えています。そしてなぜ神が自分に命を与えたのか。それは神が自分の人生に何らかの意味や計画を託し、そのために自分をこの世に生まれさせたのだ、と考えています。私たちは神から託された何かをするために文字通り「与えられた命」を生きているのだと感じています。

つまり、あなたは偶然生まれて、生きているのではありません。何らかの意味があって「与えられた命」を生きているのです。この視点を得ると、自分が今ここに存在する価値を感じることができ、毎日を大切に過ごす理由を見出せるようになります。

しかし日本では、「私は生かされている」「人生には役割がある」という考え方は、あまり浸透していません。多くの人がただ「日々をこなす」ように生きがちです。そこにはもちろん、忙しすぎたりやることが多すぎたりする、という理由もあるでしょう。そのため、自分の存在価値や人生の目的を意識するチャンスを得られないまま、日々を過ごしているのかもしれません。

人生を与えられたものだと捉え、そこに何らかの意味があると考える。これは何も、信仰を持つことをすすめるものではありません。ただ、自分がこの世に存在する意味や目的を少しでも感じることで、日々の出来事の積み重ねや小さな選択の1つ1つが、新たな意味を持つようになる。そのことをお伝えしたいのです。

例えば、旅行先でとても美しい景色を見たときには「ここに来てよかった」と思うでしょう。それは、頑張って時間とお金を作った自分自身へのねぎらいです。さらに一歩進んで、「ここに来させてもらえてよかった」と思うと、家族をはじめとした周りの人々への感謝の気持ちを抱くでしょう。そして、神様かご先祖様か、何か大いなるものからチャンスを与えられたことへの感謝の気持ちもまた、湧き上がってくると思います。こうした感謝の心は、「よし、これからもまた頑張るぞ!」という気持ちの燃料となります。

私たちは全員が「与えられた人生」を生きています。だからこそ、毎瞬毎瞬を「全力で生きる」ことが求められているのではないでしょうか。

デスマインドを持つと、こうしたさまざまな気づきが起こり、私たちの人生が驚きと喜びに満ちたものに変わります。デスマインド、すなわち死を意識することは、「生」への不思議と感謝を呼び起こす、究極の気づきのスイッチなのです。

『人生を全力で生き抜くためのデスマインド』より引用
野田和裕(のだ・かずひろ)
葬儀終活実践アドバイザー/株式会社ライフワークス代表取締役

1974年福島県生まれ。東京基督教大学神学部卒業。祖父は、甲子園出場で有名な聖光学院高等学校の創設者。祖父の代よりキリスト教の精神に則った教育・福祉関連事業 (全国40事業所、従業員数1000人)を展開する実業家一族に育ち、幼少の頃からキリスト教精神を学ぶ。
2006年、31歳でキリスト教に特化した葬儀会社を創業。これまでに延べ4000人の葬儀をサポートし、創業20年目を迎える。現在、鎌倉・京都・大阪・東京の4オフィスまで事業を拡大し、日本最大のキリスト教葬儀社となっている。
セミナー実績は、日本全国のキリスト教系の団体500ヶ所で開催、延べ1万人が参加し、わかりやすい内容で定評がある。キリスト教系メディアでの取材も多く、クリスチャン経営者として国内で高い知名度を誇るひとりである。
著書に『ビジネスで勝ち抜くための聖書思考』(ぱる出版)がある。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます。
『人生を全力で生き抜くためのデスマインド』
  1. デスマインドで人生を輝かせる生き方とは
  2. 人生のタイムリミットを意識する
  3. 充実した人生とは、お金より思い出?
  4. 人に迷惑をかけない生き方よりも大切な生き方とは
  5. デスマインドを持つことで時間を大切にできる
ZUU online library
※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます。