格差拡大の背景

■経済思想の変化

国によって所得格差の水準や変化に大きな差があることは、それぞれの社会の格差に対する考え方の違いや政策が大きく影響していることを示唆している。1980年ころから先進諸国で格差が拡大してきた背景には、世の中の賃金や所得の分配に対する規範的な考え方が変わったことがあると考えられる。

この頃から先進諸国では所得税において、限界的な所得の増加に対する最高税率が大きく低下している。日本でも1970年ころは、所得税の最高税率が75%で、住民税を合わせると93%にも達していたが、1999年ころ以降は、所得税の最高税率は40%程度、住民税との合計で50%となっている。

1989年に東西対立の象徴だったベルリンの壁が崩されて、1991年にはソビエト連邦が崩壊した。実態はともかく私有財産を否定して平等な社会を標ぼうしてきた計画経済が市場主義経済の脅威ではなくなったことも、格差に対する考え方に影響を与えたのは間違いない。

1980年代以降の先進諸国では、サッチャリズムやレーガノミクスといった経済活動の自由度を高める政策が志向されるようになったが、格差が拡大しても経済成長率が高まる方が望ましいという考え方に移って行ったといえるだろう。

■「r>g」の衝撃

経済学者の間で激しい議論になっているのは、ピケティが提示した「r>g」という関係だ。マルクス主義では、資本収益率が低下していき資本主義が破綻すると予想されていた。現在の標準的な経済学では、経済の発展には資本蓄積だけでなく技術進歩が大きな役割を果たしているので、資本収益率の低下という問題は緩和されるとされている。

しかし通常は、それを考慮しても収益率は資本が蓄積されると低下すると考えられている。労働者にパソコンを与えて仕事をさせるときに、1台目は大きく生産性を向上させるから得られる利益も大きいが、一人に何台もパソコンがあれば、さらに一台パソコンを追加しても生産性の向上はわずかだから得られる利益も少ないからだ。

機械を増やすことで生産に必要な人員を減らすことができるが、経済学の授業では賃金と財産所得の配分は一定になるようなモデルが教えられることが多い。しかし、人間と機械の間にある代替関係次第で、労働者一人あたりの機械が増えていくときに、所得の中から支払われる賃金の割合は上昇することも、低下することもありうる。

ピケティの言うように収益率の低下速度が極めてゆっくりで、資本が増える速度に比べて収益率が低下する速度が遅ければ、国全体の所得の中から財産所得に分配される割合は高まっていく。ピケティの考えている社会のイメージは、おそらく機械が人間のやっている仕事を次々と奪ってしまい、資本の蓄積が進むことが賃金の低迷を招く世界ではないか。

コンピューターの能力が急速に人間に近づいて、生産工程だけでなくホワイトカラーの仕事をも処理するようになる中で、「機械との競争」に人間が敗れていく世界では、資本収益率があまり低下せず、資本への分配が高まっていってしまう可能性があるだろう。

ピケティが言うように、二度にわたる世界大戦で資産が破壊されたことが所得分配の平等化の原因だとすると、資本の蓄積で財産所得への配分率が高まることになり、先進国は昔のような所得分配が不平等な社会になってしまうはずだ。

経済成長の研究でノーベル経済学賞を受賞したソローは、アメリカ経済の資本への分配率は恐らく約30%の水準から約35%へと高まるだろうと述べている。資本と所得の比率βを決めるのは経済成長率gと貯蓄率Sで、β=S/gという関係があるので、経済成長率が低下すると資本への分配率が高まる。

しかし、人口を増やすことで経済成長率を高めて資本への分配を抑制しても、人口増加で一人当たりの賃金が抑えられるので不平等の改善になるかどうかは定かではない。