(本記事は、ジム・ロジャーズ氏の著書『日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く』の中から一部を抜粋・編集しています)
日本の株式をすべて手放した理由
私が日本株を買い始めたのは東日本大震災(2011年)の直前だった。その後、震災による株価の下落を受けさらに買い増した。
震災前の時点で、世界中から一様にどうしようもない状況に陥っていると見られていた日本の株式は、バブル期最高値から四分の一の水準に下がり、さらに下がることもあり得る状況だった。自殺率は史上最悪(2003年)になり、出生率は史上最低(2005年)。人々は経済的な不安から子どもをつくりたがらず、誰も彼もが不安で取り乱していたのだ。
そんなときに私が日本株にあえて投資をしたのは、中期的に見れば間もなく景気は回復すると見ていたからだ。民主党政権から自民党政権に変わり、日銀が資金供給を増やすという方針を明らかにしたことも、日本株への投資を後押しした。
政府がお金の印刷機を回すとき、お金が最初に向かう先は株式市場である。これは歴史が証明している事実だ。ほぼあらゆる投資家たちが、その真理に忠実に行動し、日本の株価は上がった。さらにNISA(少額投資非課税制度)などの税制優遇措置が始まったことも、株価の上昇をもたらす要因となった。
先ほど記したとおり日本の金融緩和政策は多くの問題をはらんでいるが、株価を押し上げる効果は期待できた。しかも当時は米ドルに比べ円のファンダメンタルズ(基礎的条件)が強かったため、ドルに対して円が上昇することもわかっていたから、株価の上昇と円高の相乗効果により私は利益を得られると見ていたのだ。そして実際にそうなった。
震災後にさらに日本株をたくさん買ったのは、日本が震災から必ず復興すると信じていたからだ。日本は地震が多い国だが、毎日地震があるわけではないし、日本の教育レベルは高く国民は勤勉で賢い。だから震災にともなう安い株価は一時的なものであり、いずれ元の状態に戻ると考えたのだ。冷静に考えれば、これは誰にでもわかるはずだ。
ただし、中国株と違い、日本株への投資はあくまでも短期から中期で考えていた。日本株は私が10年以上の長期にわたってお金を投資しておきたいところではない。理由はすでに記したとおり、少子化と国の長期債務といった問題を抱える日本は、長期的には衰退の道を辿たどると予想しているからだ。
日本株をすべて手放したのは、2018年秋のことだった。予想どおり私が日本株を買った当時よりも株価は値上がりし、利益を得ることができた。そして今は株であれ通貨であれ、日本に関連する資産は何も持っていないし、この先買う予定もない。
日本経済を破壊するアベノミクスが続き、人口減少の問題を解決できない限り、この判断を変えることはないだろう。
安倍首相が望むのは体制の維持
日本の今後を考えたときには暗あん澹たんたる気持ちにならざるを得ない。
アベノミクスの第一の矢である金融緩和は、日本の株価を押し上げるとともに、通貨の価値を円安に誘導した。このことにより日本企業が息を吹き返したように語られているが、こうした通貨切り下げ策が中長期的に一国の経済を成長させたことは一度としてない。これはすでに記したとおりだ。
実際、円安や株価の上昇によって、日本人の暮らしはよくなっているのだろうか。日本が輸入に頼る食品などの価格が上昇したことで、庶民の生活はむしろ苦しくなっているのではないか。企業も、建設コストや製造コストが上がったことで苦しんでいる。アベノミクスの恩恵を受けたのは一部のトレーダーや大企業だけだ。
アベノミクスの第二の矢、つまり財政出動もひどいものだった。これは私には「日本を破壊します」という宣言にしか聞こえなかった。先進国で最悪レベルの財政赤字を抱え、国の借金が増え続ける中で、さらに無駄な公共事業に公費を費やそうというのは正気の沙汰とは思えない。
安倍首相は素晴らしい人物には違いないと思うが、してきたことは、ほぼすべてが間違いだ。安倍首相が借金に目をつぶっているのは、最終的に借金を返さなくてはならない局面になったときには、自分がこの世にはいないからなのだろう。自分や、自らの体制を維持することが彼の行動原理であり、そのツケを払うのは日本の若者だ。
2014年2月に開催されたG20(財務大臣・中央銀行総裁会議)において、G20全体のGDPの水準を今後5年間で2%以上引き上げる目標が示された。このことを受け、麻生太郎財務相は「日本としても達成不可能とは思わない」と語ったが、私は「とうてい無理だ」と思っていた。
国際会合で語られるのは聞こえのいい夢物語ばかりで、それが実現することはめったにない。そんなあり得ない楽観シナリオを描くくらいであれば、より現実的な政策に注力すべきだ。
足し算と引き算ができる人間であれば、簡単に日本の未来を予測することができる。人口や借金がどのように変動するのかを統計から確認すればいい。そうすれば、日本人の誰もが前向きな気持ちではいられなくなるだろう。
現在の日本の立ち位置は、イギリスやポルトガル、スペインといった、〝凋落した覇権国〞と同じである。1918年当時のイギリスは世界一の覇権国だった。私が子どもの頃のイギリスはビートルズが大人気でまだ活力は残っていたが、衰退が止まることはなかった。多くのイギリス人が祖国を離れ、これからも衰退の一途をたどり続けるだろう。これはポルトガルやスペインも同じだ。
衰退を始めたイギリスは、それでも帝国主義時代の後ろ盾があり、人口も減少していなかったため、衰退のスピードは緩やかなものだった。ところが日本は違う。拠り所のない日本には、ヨーロッパのような緩やかな衰退ではなく、より激しい変化が待っているのだ。
そうした現実が白日の下にさらされるとき、安倍首相や、彼の体制を守る人々はこの世にいない。
東京オリンピックは日本の衰退を早める
日本では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向かって景気が上昇すると考える人もいる。たしかに、表向きにはオリンピックによる良い面もあるだろう。道路は改善され、真新しいスタジアムができあがる。こうした事業に関わった人たちは一定の恩恵を得られるかもしれない。政治家も、ポジティブな成果をアピールするだろう。
しかし、歴史を見れば、オリンピックが国家にとってお金儲けになった例しがないことがわかる。一部の人に短期的な収入をもたらすことはあっても、国全体を救うことにはならず、むしろ弊害をおよぼす。
結局のところ、オリンピックのせいで日本の借金はさらに膨らむのだ。これは一般の人々にとって悪い結果にしかならない。やがてオリンピックが2020年に東京で開かれたことを、ほんの一握りの人しか思い出せなくなった頃に、オリンピックがもたらした弊害が日本を蝕む。
もし私が日本の若者だったら、こうした現実を前に強い怒りと不安でいっぱいになることだろう。実際、不安を抱えている若者は少なくないようで、日本で就職活動をする若者を対象におこなわれた調査では、就きたい職業の第1位が公務員だったという。これは世界のほとんどの国では考えられない事態だ。
私の目に見える日本の未来はこのようなものだ。人口が減り、借金が膨れ上がり、衰退を続ける。そうして生活水準はますます低下し続ける。日本人がそうした未来を望むのであれば、それもいい。しかし、私はそのような国で暮らしたいとは思わない。
いかがだろうか。本章では、日本に起きている変化、それも破綻に向かう現実を綴った。ここで未来に不安を感じ、「何かを変えなくてはならない」と思ったのであれば、次章を読んでほしい。
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