(本記事は、西村隆男氏の著書『経済的自由への道は、世界のお金の授業が教えてくれる──人生の選択肢が広がるパーソナルファイナンスの教科書』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)
あなたの行動は会社の思うツボ?──インセンティブ
●ポイントカードの巧みな戦略
タイムセール、割引セール、賞品、おまけ、ポイント、マイレージなど、商店や企業の巧みなしかけに乗せられて、ついついお金を使い過ぎてしまうこともあるでしょう。商品を買うという本来の目的をすでに果たしているにもかかわらず、賞品目当てに、あるいはポイントを貯めることに夢中になって、不要なものまで買ってしまった。あなたにもそんな経験があるかもしれません。
また、通勤時間帯の有料道路の混雑を解消するために、ある時間帯にだけ道路税を課したり、有料道路利用料金を日中の時間帯に比べて高めに設定したりすることは、とくに海外ではよくあります。交通機関の回数券は、頻繁にその交通機関を利用する人にとってはメリットが大きく、通常は割引されない運賃が1割でも安くなるのはありがたいものです。このように、経済的な利益を実現するために消費者を誘導するしかけを、インセンティブ(誘因)と呼びます。
利用者が4000万人ともいわれるTポイントカードは、提携店舗での支払額100円ないしは200円につき1ポイントが付与され、貯まったポイントを1ポイント=1円として現金と同じように利用することができます。Tポイントは、レンタル店から始まって次第に提携店舗数を増やし、コンビニエンスストアやドラッグストア、大型電気店、コーヒーショップほか多くの業種にまたがって利用できるポイントカードとして定着しています。
一方で、Tポイントカードのデータベースを管理するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)により公表されている会員規約には、氏名・性別・生年月日・住所・電話番号・メールアドレスのほか、提携先の利用履歴(購入した商品名・金額・日時・場所)といった個人情報が取得されることが明記されています。
ポイントを貯めることは、金銭面だけ見ればかしこい消費者行動と言えるでしょうが、そのかわりに個人情報を提供していることを心に留めておく必要があります。
インセンティブは、消費者の購買を促すためにメーカーや販売店によって、さまざまなかたちで私たちの日常に組み込まれています。1着2万円のスーツが2着で2万8000円として販売されているとき、あなたならどうしますか?本来なら2着で4万円するものが3割引の値段で買えるのでお得だと考える人もいるでしょうし、購入を考えていたのは1着だけなので余分な8000円を追加してまで2着目を手に入れようとは思わない人もいるでしょう。一概にどちらが得とは言えませんが、後者の選択なら8000円を別の買い物に使うこともできますね。
●ボーナスは成果しだい
成果主義の報酬の考え方は、インセンティブの好例として知られています。成果をあげた従業員にはボーナスや報奨金を出すなど、インセンティブが従業員のモチベーションを上げることもあります。成果に関係なく一律の報酬が支払われるとなれば、従業員は努力しなくなるかもしれません。成果主義を導入することで従業員がやる気になって成果が上がるのであれば、従業員にとっても雇用主にとってもよいことであると考えられます。
しかし一方で、弊害があることも事実です。報酬金額に格差が生まれることで、思うように成果を出せない従業員の不満がつのり、業務全体が停滞することだってありえます。また、報酬を得たいがために、成果を争って従業員が暴走するケースもあります。たとえば、国立大学では研究者の業績を一部給与に反映させることになり、その業績を測る指標として論文の数が使われたため、論文の数のみが競われ、論文の質が問われる事態になったこともありました。
インセンティブは強力なツールであるがゆえに、よく考えて設計する必要があります。
●普通預金のインセンティブは?
銀行に口座を持っている人であれば、ほとんどの人は銀行預金をしています。口座を開くときにいくらかを預け入れて、その後は給与の振り込み先やクレジットカードの引き落とし先として利用し、毎月余ったお金をそのまま預金しているという人が多いのではないでしょうか。
いまは「超低金利時代」といわれており、銀行預金をしていてもほとんど利息はつきません。ですから、普通預金よりも株式や債券、外貨預金、保険商品などでお金を運用したいという人が増えています。しかし、それでも銀行預金は欠かせません。とすると、銀行の普通預金のインセンティブとは何なのでしょうか?
金融商品を選ぶときには、購入しようしている商品の安全性・流動性・収益性のバランスを検討することが大切と考えられています。普通預金には、預けた金額が減らない(元本割れしない)という安全性と、いつでも引き出せる流動性が備わっています。普通預金のインセンティブは、安全性や流動性のあたりにあるのでしょう。一方で、日々値動きする株式や外貨は、リスクはあるものの金利の低い預金に比べてリターンが大きくなる可能性があり、不確実ながら収益性の高さがインセンティブとなっています。
十分な情報を持っている?──情報の非対称性
●少ない情報をもとに選択する人々
市場の取引では、売り手も買い手も対等な立場とされます。売り手は自由に商品やサービスを市場に提供し、毎日あふれんばかりの商品群が市場を賑わせています。買い手には選択の自由があり、何を買っても買わなくても自由です。ここで注意すべきなのは、買い手が選択する可能性のある商品やサービスに関する情報を十分に持ち合わせているかどうかです。
スーパーやコンビニで商品を選ぶとき、私たちが頼りにしているのは、商品に印字された表示です。価格はもちろん、メーカー名や生産地、食品ならば賞味期限や消費期限も気にするでしょう。衣料品ならサイズ、素材や洗濯方法をチェックします。しかし、輸入食品がどこでどれだけの期間保存されていたのか、製造から流通、販売店までどれだけの時間が経過しているのかはわかりませんし、輸入衣料品であれば、生産工場の労働状況などについては知る由もありません。
あたりまえだと思われるかもしれません。しかしこれは、常日頃から消費者が最低限の情報に甘んじて商品やサービスを選択しなければいけない状況に置かれているということなのです。一方で、生産者は生産現場のあらゆる情報を把握しているでしょうし、販売者は流通ルートや入出庫の時間経過を知っています。つまり、企業が持つ情報と消費者が入手できる情報には格差があります。これを経済学では情報の非対称性と呼びます。
情報の非対称性はよいとか悪いとかの話ではなく、市場経済においてはある意味で宿命とされる課題です。ただ、これによってさまざまな問題が発生することになります。衣料品の表示を見て洗濯したのに生地が縮んでしまったとか、アレルギー表示を見たのに子どもの全身に真っ赤な湿疹が出てしまったといった問題はその一例です。消費者は当然クレームを申し出ることができますが、メーカーへの信頼は大きく崩れてしまうでしょう。
食品表示に関してのみ触れておきますが、アレルゲンを表記する義務があるのは、卵、乳、小麦、そばなど特定7品目のみで、大豆、豚肉、ゴマなどは表示が推奨されているに過ぎません。なお、当該製品ではアレルゲンとなるものを使用していなくても、製造過程でほかのラインの特定原材料が混入する可能性がある場合には、「本製品の工場では乳、小麦を含む製品を生産しています」といった表記をするように国が推奨しています。
いずれにせよ、市場には情報の非対称性が存在しているということは、消費者として心に留めておくべきです。ときに自ら情報を取りにいくことも必要となるでしょう。
●売り手側に情報が少ない商品
売り手側の情報が少ない状態で販売されている商品もあります。保険はその好例です。
たとえば、Aさんが新たに任意の自動車保険に加入するとき、保険会社は申し込んだときのAさんの年齢や性別は把握できても、Aさんの運転技術や過去の事故歴といった個人情報を知ることはできません。仮に個別に調査できるとしても、一人ひとり調査するのはコストがかかり過ぎるという側面もあります。
そこで一律の保険料を定め、その後の経過を見て、事故がない限り(すなわち保険を使わない限り)、年間の保険料を徐々に安くしていく方法をとっています。いわゆる保険等級です。新しく保険に加入するときは6等級で、その後まったく事故を起こさず最上位になると20等級となります。自動車保険を乗り換える場合には、保険会社は以前の保険等級を知ることができます。
生命保険では、加入者は自分の健康状態についての情報を保険会社に伝える義務があります。しかし、その人がその後何年生き続けるのかを予測することは難しいでしょう。そこで、簡易生命表という厚生労働省が毎年発表するデータをもとに、男女別年齢ごとの平均余命を見て保険料を算出しています。一般的に、年齢が上がるほど生命保険料は高くなります。
●中古車を買うのは不安?
情報の非対称性のような市場の欠陥を克服するために、売り手と買い手はともに、さまざまな努力をしています。保険の例のように、売り手は大量に商品を販売するために一件ごとに情報を取得する費用を節約するために大くくりの契約商品を提供し、その後の経過によって価格を操作して、加入者の公平を図るような工夫をしています。一方、買い手は情報不足を補うために、友人や知人からお店の評判を聞いたり、インターネット上のレビュー情報を確認したりします。
情報の非対称性の問題は、レモンの理論とも呼ばれます。情報が不完全な状態で選択することで酸っぱい思いをすることがあるという意味もありますが、辞書を引いてみると“lemon"には俗語で「質の悪い中古車」という意味もあることがわかります。中古車市場では、買い手は車の事故歴や修理歴などはわからない状況で選択を迫られるため、できるだけ値切って買いたいと思うでしょう。
一方、売り手は少しでも高く売りたいために、多少の傷の修理や運転上の不具合といった事実を過少に申告しがちになります。まさに情報の非対称性が生じるために成約しにくくなり、買い手が疑心暗鬼となって、むしろ質のよい中古車が市場に出回りにくくなる現象が起こります。すると、かえって誤った商品選択(逆選択と呼ばれます)が生じてしまいがちになるのです。こうした市場の欠陥は、ノーベル賞学者のアカロフによって明らかにされ、レモンの理論と呼ばれるようになりました。
情報の非対称性は、日常のさまざまな場面でも見られます。インターネット販売では、商品の画像や説明文はあるものの、衣料品の肌触りや風合いまではわからないことが少なくありません。試着できないので、選択したサイズが自分に合うか心配な場合もあるでしょう。しかし、このような情報の非対称性がありながらインターネット販売がこれだけ普及しているのは、簡単に返品できる仕組みなどが一般化しているからでしょう。
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