(本記事は、近藤駿介の著書『202X 金融資産消滅』ベストセラーズの中から一部を抜粋・編集しています)

「国際分散投資」という響きに踊らされることなかれ

投資,絶対,ワナ
(画像=Foto2rich/Shutterstock.com)

「世界最大の機関投資家」といわれるGPIFが金融市場の売手に回ることで最も強くその影響を受けるのが日本株市場です。

それならば国際分散投資をすればいいと考える人も出てくるはずです。

確かに、日本株だけに投資するよりも国際分散投資をした方が賢明かもしれません。しかし、それは国際分散投資によってGPIFが売手に回る金融市場でも収益を上げられるということではありません。あくまで日本株よりも確実性が高く、発生する損失を小さくできる可能性があるというレベルの話です。

「世界最大の機関投資家」と称され巨額の資産を管理運用しているGPIFは、当然の如く国際分散投資をしています。GPIFの基本ポートフォリオでは「外国債券」に15%、「外国株式」に25%の計40%を海外資産に振り向けるとされています。この基本ポートフォリオに従い、GPIFは2019年6月末時点で「外国債券」に29兆30億円、「外国株式」に42兆4606億円、合計71兆4636億円を海外資産に振り向けています。

このGPIFが保有している71兆円超の海外資産の規模は、米国最大の公的年金基金として有名なカリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)の運用資産総額3825億ドル(約41兆円)を大きく上回り、さすがは「世界最大の機関投資家」といわれるだけの規模になっています。

仮にGPIFが年金給付のための財源を確保する目的で毎年5兆円の資産を取り崩すことになると、毎年「外国債券」をその15%に相当する7500億円分、そして「海外株式」をその25%に相当する1兆2500億円分、合計2兆円規模の売り圧力が世界の金融市場にかかることになります。同時にこの2兆円相当の外貨が為替市場で円に換えられることになりますので、為替市場での円高圧力を高める原因になります。

この2兆円は為替市場にとってどの程度の規模なのでしょうか。2018年度の日本の貿易黒字額が7068億円、同じく経常黒字額は19兆4144億円ですから、GPIFが年金給付のための財源を確保するために為替市場で円転する(外貨を円に換える)2兆円という額は、2018年度の貿易黒字額7068億円の3倍近く、経常黒字額の10%に相当する規模に相当します。

このように、「世界最大の機関投資家」であるGPIFの資産取り崩しが世界の金融市場に及ぼす影響は決して少ないとはいえない状況にあるのです。

日本では2000年以降ほぼゼロ金利状態が続いてきています。それ故に日本の投資家の多くは収益を求めて海外資産への投資を増やす方向にあります。GPIFが基本ポートフォリオの変更によって「外国債券」「外国株式」の割合を増やしたのも「国内債券」だけでは必要な収益を確保できなくなったことが一番の要因でした。

GPIFのように調達した円を外貨に換えて海外の利回りの高い資産に投資する手法は「円キャリートレード」と呼ばれる手法と同質のものだといえます。この「円キャリートレード」は、海外資産への投資を積み上げる段階では為替市場で「円売り・外貨買い」を行うことになるので為替市場の円安圧力を強める方向に作用します。

「円キャリートレード」によって為替が円安になれば、輸出企業の収益が拡大するので「国内株式」の上昇圧力も高まる結果になります。その結果「円安・株高」という日本にとって最良の状況が訪れるのです。「円キャリートレード」が積み上がる局面は日本の投資家にとってバラ色だといえるのです。

しかし、「円キャリートレード」は日本の投資家にとって「行きはよいよい帰りは怖い」といえるものでもあります。「円キャリートレード」が積み上げられる段階では「円安・株高」という至福の時を過ごせますが、積み上げられた「円キャリートレード」のポジションが解消される局面に転じると「円高・株安」という地獄が訪れることになるからです。

2008年9月に起きたリーマン・ショックの際、震源地となった米国の株式市場よりも日本の株式市場の下落の方が大きかったのは「円キャリートレード」の巻き戻しによって「リスク資産下落&円高」という二重のショックに見舞われたからでした。

リーマン・ショックに見舞われた後、知り合いの投資銀行の部長からこんな苦労話を聞かされました。

リーマン・ショックという未曽有のショックによって資産価格が大幅下落したのを受け、その投資銀行は本国から資金の回収を急げという指示を受けていました。本国からの指示を受けてその投資銀行は資産価格が大きく下落する中で資産売却に奔走しました。100年に一度ともいわれた未曽有のショックを受けた後だっただけに資産の売却は困難を極めましたが、何とか3割以上の資産の処分を終えたそうです。そんな頃に本国から飛んできたのは労いの言葉ではなく「お前はなぜ指示通り早く資産を処分しないんだ」という叱責だったそうです。

3割もの円資産を処分したにもかかわらず本国から叱責を受ける羽目になったのは「円高」のせいでした。リーマン・ショック直前に1ドル110円前後だったドル円相場は、リーマン・ショック後には87円前後まで20%以上も円高になっていたのです。円が20%も高くなったことで、円資産を3割削減した程度では、外貨換算した日本資産の評価額は1割程度しか減っていなかったのです。自国通貨建て、つまり日本からしたら外貨建ての評価額を見ていた本国からは、日本法人がほとんど資産処分を進めていないように映ったのです。結果的にこの投資銀行は、資産価格が大きく下落する環境下でさらに円資産の処分を進めていくことになりました。

円を調達通貨とした「円キャリートレード」を行っていた投資家が、リーマン・ショックによって一斉に海外資産の処分に走り円を買い戻すという行動に走ったために為替市場で急激な円高が起き、この円高が海外投資家の保有円資産の売却を加速させるという負の連鎖を誘発してしまったのです。こうした負の連鎖が、リーマン・ショックの震源地である米国の株式市場よりも日本の株式市場の下落を大きくした要因だったのです。

広義の「円キャリートレード」を行っているGPIFが年金給付のための財源を確保しようと海外資産を処分して円に換える際にも同じようなことが起こります。リーマン・ショックとの違いは、リーマン・ショックのように多くの投資家が同時に損失を被る事態が起きるわけではありませんので、「円キャリートレード」の巻き戻しが一斉に起きるのではなく、年金給付のための財源を確保するために粛々と時間をかけて「円キャリートレード」の巻き戻しが行われるというところです。

したがって、GPIFが年金給付の財源確保のために「円キャリートレード」の巻き戻しを始めても、それだけでリーマン・ショックのような事態を引き起こすとは想像しにくいのです。市場に大きな影響を及ぼすとしたら、それはGPIFが「円キャリートレード」の巻き戻しを始めたことを知った利益を求める投資家が、その情報を利用して一斉に行動を起こす時でしょう。そして利益を求めて市場に参戦している投資家がこうした行動を起こすとしたら、GPIFが買手から売手に転じる局面である可能性が高いと思われます。

「世界最大の機関投資家」と称されるGPIFが買手から売手に転じる局面前後に市場の混乱は大きくなる可能性が高く、その後GPIFが計画に従って粛々と進めていく「円キャリートレード」の巻き戻しは、長い間金融市場を陰湿なものにする要因となるものと思われます。

GPIFが「円キャリートレード」の巻き戻しを粛々と進めている間、為替市場には常に円高圧力が加わることになりますし、海外の株式市場や債券市場にも下押し圧力がかかり続けることになります。こうした状況が長く続くことを考えると、GPIFが年金給付の財源を確保するために資産の取り崩しを行う期間に国際分散投資をすればリターンを上げていくことができると考えるのは、少し楽観的すぎるように思います。

202X 金融資産消滅
近藤駿介(こんどう・しゅんすけ)

金融・経済・資産運用評論家。1957年東京生まれ。早稲田大学理工学部土木工学科卒業。大手総合建設会社勤務を経て、31歳で野村投信(現・野村アセットマネジメント)に入社。ファンドマネージャーとして25年以上にわたり、株式、債券、デリバティブ、ベンチャー投資、不動産関連投資など、さまざまな運用を経験。90年代中頃には合計約8000億円と日本最大規模の資金を運用していた。現在は、評論家、コンサルタントとして活動し、テレビ、webメディア、雑誌などにコメント提供や記事執筆をしている。著書に『1989年12月29日、日経平均3万8915円』(河出書房新社、2018年)などがある。

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