(本記事は、遠藤 誉・田原 総一朗の著書『激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓』実業之日本社の中から一部を抜粋・編集しています)

アメリカは本気でファーウェイを恐れている

HUAWEI
(画像=testing / Shutterstock.com)

田原: 2012年の尖閣諸島問題が、2015年の「中国製造2025」の国家戦略へとつながっていったとは意外でした。

遠藤: 反日の衣を着たあの反政府デモを二度と起こさせないようにするためにも、習近平は何としてもハイテク国家戦略「中国製造2025」を断行しなければなりませんでした。

田原: アメリカは本気でハイテク界におけるトップの座を中国に奪われると危機感を抱いているのですか?

遠藤: これまでアメリカは第二次世界大戦以降、あらゆる分野でトップだという意識があった。経済においては今まだトップですが、中国が追い上げています。ここに来てハイテク界においても中国がアメリカにキャッチアップし、ひょっとしたら中国がトップにのし上がるかもしれないという危機感を抱き始めたと思われます。

田原: これからの米中の主戦場になる次世代通信システム5G開発競争では、中国企業のファーウェイ(華為技術)が圧倒的に強いといいます。それは本当ですか?

遠藤: 少なくとも2019年4月3日に米国防総省が発表した「5Gエコシステム:国防総省に対するリスクとチャンス」という報告書では「アメリカは5Gにおいて中国に敗けた」と書いています。この「中国」というのは即ち、「ファーウェイ」を指します。

田原: そのファーウェイという会社は、どんな企業ですか。

遠藤: ファーウェイは1987年、人民解放軍をリストラされた任正非が創業した民営企業です。30年余で売り上げが10兆円を超える世界的企業に成長しています。中でも高容量、高速度の5Gでは、田原さんが仰るとおり世界をリードしています。

田原: どうしてここまで成長できたのか、そこを知りたい。

遠藤: 結論を先に申し上げると、海外に出たからです。

ただ、その前に、創業者である任正非のバックグラウンドについて少しお話ししておきましょう。彼の両親は学校の先生で、文化大革命のときに投獄されて、小さいころ、大変貧乏でした。藁の敷布団で一枚の掛け布団に親子3人が寝ていたといいます。そういうところから、チャンスがあったら、やってやるぞ、という闘志を持っていたようです。

ファーウェイは2万人民元、日本円で30万円ぐらいの資金で、友人とか5〜6人をかき集めて、一人5万円ずつを出して創った会社でした。彼のもともとの専門は建築で人民解放軍にいたときも建築工程兵でしたから、ファーウェイは香港から電話交換機を仕入れて、少し高い値段を付けて中国大陸で売ることから始まりました。

当時、中国の人口は11億人ぐらいで、このうち1%くらいしか電話を持っていません。電話交換機が活躍していた時代で、まだ内線の回線数は500ぐらいの規模が中心でした。毛沢東時代から、中国人民は国営企業の敷地内で仕事をして、国営企業の中にある宿舎で一生を終えるというのが、基本的な生活スタイルでした。大学もそうです。キャンパス内に病院も売店もある。固定電話が一つあればいい。任正非は電話交換機のニーズが高いのを見て、ブローカー的なことから始めています。

案の定、電話交換機はよく売れて繁盛しました。そこで代理販売だけでなく、自社でも電話交換機を製造したいと思うようになり、独自に研究開発をしようと思ったが、技術がない。そのため香港から来る点検技術者に従業員を同行させて、どんな仕組みになっているのかを、「目で見て学ぶ」ことから始めています。

ファーウェイは「家出」したから発展した

ファーウェイ
(画像=Getty Images)

田原: それがファーウェイの研究開発につながっていったのですか?

遠藤: そうなのですが、その前に、奥さんとの話が案外キーポイントなのです。1987年に創業するのですが、同時に奥さんと離婚しています。奥さんの父親が四川省の党幹部で、奥さんが、家でも会社の職場でも権力を振りかざして、自分(任正非)は下請けのサービス部門に追いやられてしまいます。

田原: 奥さんに左遷されたわけだ(笑)。

遠藤: それで不愉快な思いをして離婚したのですが、長い目で見れば、それが発展につながっていったと言えるでしょうね。

当時、国有企業ZTE(中興通訊)が、電話交換機を製造販売しており、ライバル会社でした。ファーウェイが香港から仕入れた電話交換機の質が高く、良く売れました。やがてファーウェイは、デジタルの電話交換機を自社製作しようと試みます。ZTEの候為貴CEOは政府のIT関連部署にいた技術者で、中国政府の李鵬首相(当時)と仲が良い。ZTEはファーウェイを目の敵にして、李鵬首相を通じて融資をさせないようにした。

離婚に怒った義父も裏で動いたようですが、ファーウェイへの融資がすべて禁止されてしまいました。ファーウェイへの融資が完全に止まったのです。

田原: 融資を止められたら会社がつぶれるでしょう。

遠藤: 研究開発に資金を注ぎたいが、お金がない。困って、従業員に跪いて「どこも資金を融資してくれない。みんな、頼むからお金をかき集めてみてくれ。1千万人民元を集めてきた人は1年間働かなくても給料を払う」と頼んだ。

田原: 集まったのですか。

遠藤: はい。数十名の社員が本当におカネをかき集めてくれた。そのとき、任正非は「1株1元でみんなにすべての会社の株をあげる。私は1%の株だけもらう。(ファーウェイと)一緒に生きていこう」と宣言をした。みんなが株を持ち、工場が繁栄したら従業員のポケットも豊かになる、そういう制度を思いついて、任正非は窮地を乗り切ったのです。

こうした中、1993年および1994年に李鵬が国務院総理として「持ち株制度は社会主義制度に合致していないので禁止する」と国務院令を発布しました。

田原: ZTEの肩を持ったわけですね。

遠藤: そうです。ところが、その窮地を知った、当時の朱鎔基副総理がファーウェイを視察に行って、3億人民元を政府が融資してあげると言うのですが、任正非はその申し出を断ります。

田原: 断った?なんでまた?

遠藤: 任正非は「政府と関係すると自由がなくなり、面倒なことになるから嫌だ」と答えています。元妻の父親が政府の高官だったために離婚までしていますので、よほど政府と関係しているということが嫌だったのだと思います。

田原: 分からないではないが、もったいないなぁ。それで海外に出たのですか?

遠藤: はい。任正非は「中国にいたらいじめられるばかりだ。このままだと発展に限りがある」と思い、海外に進出することにしたのです。

田原: 海外はどこへ進出したのですか。

遠藤: 最初に飛び出した先はロシアで、1994年のことでした。

田原: ロシアですか。なぜまた?

遠藤: なぜロシアかというと、ヨーロッパは信用してくれないと思ったからだそうです。旧ソ連は1991年12月に崩壊して、その後、経済的にはかばかしくなかったので、ロシアならバカにされないだろうと思ってロシアを選んだ。ところがロシアは「自分は西洋だ」という自負心があって、ソ連時代から中国を田舎者と軽蔑していた。おまけに「中国のハイテク」など、あり得ないと受け付けなかった。

田原: ソ連はスターリン時代から、中国の毛沢東を軽蔑していましたからね。

遠藤: そうなんです。ところが1997年、ロシア財政危機が起きてルーブルが暴落します。すると、シーメンスやNECなどがロシアから撤退してしまって、ファーウェイだけが残りました。そこでようやくロシアはファーウェイを受け入れ、ファーウェイは「アルゴリズム研究所」を設置して小さな拠点をロシアに置くところまで漕ぎつけるのですが、98年にアジア危機が襲ってきて、ロシアはやむなくファーウェイを本格的に認めるようになりました。

年表的には、海外進出は「1996年香港」、「1997年ロシア」という順番になっているのですが、最初に挑戦した場所はロシアで、最初に拠点を置くことに成功したのは香港というのが実態です。

田原: それはまた、拠点設置からして複雑な経緯があるんですね。

遠藤: そうなんです。それを2G時代から始め、コツコツと基地局などを作ってきた。

田原: だから今日の繁栄があるんですか。

遠藤: そう言えるかと思います。だから世界中に拠点が分布しています。資産に関しては現在、ネットでも資産公開をしていますので、誰でも見ることができますが、その資料などから見ると、中国国内からの融資はほとんどないに等しいくらい少ないですね。ほとんど海外の金融機関から融資してもらっている。こうしてファーウェイは海外で本格的に事業展開して発展していったのです。

たとえばZTEですが、国有企業ですから中国政府が際限なく投資し続けてきました。でも、どんなに国家資金を投入してもZTEは発展しませんね。中国政府から守られているからです。こういう企業は逆に発展しないのです。

田原: 「家出」をしないとダメだということですね。それは皮肉だなぁ。

一党支配が崩壊しても生き残れる好例!

中国経済,ランキング,IT企業
(画像=Grand Warszawski / Shutterstock.com)

遠藤: 日本ではファーウェイを「国有企業だ」と言う人がいますが、それは株主が誰であるかを見れば、一瞬で分かることで、むしろ「民間企業」であるということが重要なのです!

田原: というと?

遠藤: 田原さんをはじめ、日本の経済界の方たちは、中国共産党による一党支配体制が崩壊すると、中国経済も崩壊するので、中国共産党による一党支配体制を維持させなければならないと考える人が多いでしょ?

田原: そりゃそうですよ。今の中国が崩壊したら、多くの日本企業が困るでしょう。

遠藤: ところが、一党支配体制であるが故に、中国政府から無尽蔵に資金を注いでもらっている国有企業と、ファーウェイのような民間企業と、今どちらが強いですか?

田原: たとえば5Gに関しては、ファーウェイが世界一になりそうなので、まあ、中国内ではもちろん、ファーウェイが強いんでしょうねぇ。

遠藤: はい、圧倒的にファーウェイが強いです。同業で比べた場合、国有企業のZTEは、今ではファーウェイの足元にも及びません。図表5ー1は、2018年における「中国ファブレス半導体トップ10社の売上ランキング」を示したものですが、ファーウェイ専属の半導体企業「ハイシリコン」がトップに来ていますでしょ?

図表5-1
(画像=激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓)

田原: ファーウェイ専属の「ハイシリコン」というのは、どういう意味ですか?

遠藤: もともとファーウェイの一研究部門だった部局が「ハイシリコン」という企業名で独立したのですが、ここで製造される半導体は外販せず、ファーウェイにだけしか売りません。

田原: ダントツのトップですね。

遠藤: ですから、たとえ一党支配体制が崩壊しても、民間企業が生き残るという絶好の事例がファーウェイなのです。

一党支配が崩壊したら大変だなどと経済界の人たちは心配する必要がありません。また逆に、「家出したからこそ発展した」という事実は日本企業にとって非常に示唆的で、日本企業にはこの精神が足りないのではないかとも思っています。

激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓
遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941(昭和16)年、中国吉林省長春市生まれ。国共内戦を決した長春食糧封鎖「卡子(チャーズ)」を経験し、1953年に帰国。中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。
著書に『中国がシリコンバレーとつながるとき』(日経BP社)、『ネット大国中国言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『卡子中国建国の残火』(朝日新聞出版)、『毛沢東日本軍と共謀した男』(新潮新書)、『「中国製造2025」の衝撃』(PHP研究所)、『米中貿易戦争の裏側』(毎日新聞出版)など多数。
田原 総一朗(たはら・そういちろう)

ジャーナリスト
1934(昭和9)年、滋賀県生まれ。1960年、早稲田大学を卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年、フリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、「大隈塾」塾頭を務めながら、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日) など、テレビ・ラジオの出演多数。
著書、共著多数あり、最新刊に『令和の日本革命 2030年の日本はこうなる』(講談社)がある。

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激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓
  1. 第1章
  2. 第2章
  3. 第3章
  4. 第4章
  5. 第5章
  6. 第5章
  7. 第6章
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誉・田原 総一朗の著書『激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓』実業之日本社の中から一部を抜粋・編集しています) ## アメリカは本気でファーウェイを恐れている
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(画像=testing / Shutterstock.com)

田原: 2012年の尖閣諸島問題が、2015年の「中国製造2025」の国家戦略へとつながっていったとは意外でした。

遠藤: 反日の衣を着たあの反政府デモを二度と起こさせないようにするためにも、習近平は何としてもハイテク国家戦略「中国製造2025」を断行しなければなりませんでした。

田原: アメリカは本気でハイテク界におけるトップの座を中国に奪われると危機感を抱いているのですか?

遠藤: これまでアメリカは第二次世界大戦以降、あらゆる分野でトップだという意識があった。経済においては今まだトップですが、中国が追い上げています。ここに来てハイテク界においても中国がアメリカにキャッチアップし、ひょっとしたら中国がトップにのし上がるかもしれないという危機感を抱き始めたと思われます。

田原: これからの米中の主戦場になる次世代通信システム5G開発競争では、中国企業のファーウェイ(華為技術)が圧倒的に強いといいます。それは本当ですか?

遠藤: 少なくとも2019年4月3日に米国防総省が発表した「5Gエコシステム:国防総省に対するリスクとチャンス」という報告書では「アメリカは5Gにおいて中国に敗けた」と書いています。この「中国」というのは即ち、「ファーウェイ」を指します。

田原: そのファーウェイという会社は、どんな企業ですか。

遠藤: ファーウェイは1987年、人民解放軍をリストラされた任正非が創業した民営企業です。30年余で売り上げが10兆円を超える世界的企業に成長しています。中でも高容量、高速度の5Gでは、田原さんが仰るとおり世界をリードしています。

田原: どうしてここまで成長できたのか、そこを知りたい。

遠藤: 結論を先に申し上げると、海外に出たからです。

ただ、その前に、創業者である任正非のバックグラウンドについて少しお話ししておきましょう。彼の両親は学校の先生で、文化大革命のときに投獄されて、小さいころ、大変貧乏でした。藁の敷布団で一枚の掛け布団に親子3人が寝ていたといいます。そういうところから、チャンスがあったら、やってやるぞ、という闘志を持っていたようです。

ファーウェイは2万人民元、日本円で30万円ぐらいの資金で、友人とか5〜6人をかき集めて、一人5万円ずつを出して創った会社でした。彼のもともとの専門は建築で人民解放軍にいたときも建築工程兵でしたから、ファーウェイは香港から電話交換機を仕入れて、少し高い値段を付けて中国大陸で売ることから始まりました。

当時、中国の人口は 億人ぐらいで、このうち1%くらいしか電話を持っていません。電話交換機が活躍していた時代で、まだ内線の回線数は500ぐらいの規模が中心でした。毛沢東時代から、中国人民は国営企業の敷地内で仕事をして、国営企業の中にある宿舎で一生を終えるというのが、基本的な生活スタイルでした。大学もそうです。キャンパス内に病院も売店もある。固定電話が一つあればいい。任正非は電話交換機のニーズが高いのを見て、ブローカー的なことから始めています。

案の定、電話交換機はよく売れて繁盛しました。そこで代理販売だけでなく、自社でも電話交換機を製造したいと思うようになり、独自に研究開発をしようと思ったが、技術がない。そのため香港から来る点検技術者に従業員を同行させて、どんな仕組みになっているのかを、「目で見て学ぶ」ことから始めています。

ファーウェイは「家出」したから発展した

ファーウェイ
(画像=Getty Images)

田原: それがファーウェイの研究開発につながっていったのですか?

遠藤: そうなのですが、その前に、奥さんとの話が案外キーポイントなのです。1987年に創業するのですが、同時に奥さんと離婚しています。奥さんの父親が四川省の党幹部で、奥さんが、家でも会社の職場でも権力を振りかざして、自分(任正非)は下請けのサービス部門に追いやられてしまいます。

田原: 奥さんに左遷されたわけだ(笑)。

遠藤: それで不愉快な思いをして離婚したのですが、長い目で見れば、それが発展につながっていったと言えるでしょうね。

当時、国有企業ZTE(中興通訊)が、電話交換機を製造販売しており、ライバル会社でした。ファーウェイが香港から仕入れた電話交換機の質が高く、良く売れました。やがてファーウェイは、デジタルの電話交換機を自社製作しようと試みます。ZTEの候為貴CEOは政府のIT関連部署にいた技術者で、中国政府の李鵬首相(当時)と仲が良い。ZTEはファーウェイを目の敵にして、李鵬首相を通じて融資をさせないようにした。

離婚に怒った義父も裏で動いたようですが、ファーウェイへの融資がすべて禁止されてしまいました。ファーウェイへの融資が完全に止まったのです。

田原: 融資を止められたら会社がつぶれるでしょう。

遠藤: 研究開発に資金を注ぎたいが、お金がない。困って、従業員に跪いて「どこも資金を融資してくれない。みんな、頼むからお金をかき集めてみてくれ。1千万人民元を集めてきた人は1年間働かなくても給料を払う」と頼んだ。

田原: 集まったのですか。

遠藤: はい。数十名の社員が本当におカネをかき集めてくれた。そのとき、任正非は「1株1元でみんなにすべての会社の株をあげる。私は1%の株だけもらう。(ファーウェイと)一緒に生きていこう」と宣言をした。みんなが株を持ち、工場が繁栄したら従業員のポケットも豊かになる、そういう制度を思いついて、任正非は窮地を乗り切ったのです。

こうした中、1993年および1994年に李鵬が国務院総理として「持ち株制度は社会主義制度に合致していないので禁止する」と国務院令を発布しました。

田原: ZTEの肩を持ったわけですね。

遠藤: そうです。ところが、その窮地を知った、当時の朱鎔基副総理がファーウェイを視察に行って、3億人民元を政府が融資してあげると言うのですが、任正非はその申し出を断ります。

田原: 断った? なんでまた?

遠藤: 任正非は「政府と関係すると自由がなくなり、面倒なことになるから嫌だ」と答えています。元妻の父親が政府の高官だったために離婚までしていますので、よほど政府と関係しているということが嫌だったのだと思います。

田原: 分からないではないが、もったいないなぁ。それで海外に出たのですか?

遠藤: はい。任正非は「中国にいたらいじめられるばかりだ。このままだと発展に限りがある」と思い、海外に進出することにしたのです。

田原: 海外はどこへ進出したのですか。

遠藤 最初に飛び出した先はロシアで、1994年のことでした。

田原: ロシアですか。なぜまた?

遠藤: なぜロシアかというと、ヨーロッパは信用してくれないと思ったからだそうです。旧ソ連は1991年12月に崩壊して、その後、経済的にはかばかしくなかったので、ロシアならバカにされないだろうと思ってロシアを選んだ。ところがロシアは「自分は西洋だ」という自負心があって、ソ連時代から中国を田舎者と軽蔑していた。おまけに「中国のハイテク」など、あり得ないと受け付けなかった。

田原: ソ連はスターリン時代から、中国の毛沢東を軽蔑していましたからね。

遠藤: そうなんです。ところが1997年、ロシア財政危機が起きてルーブルが暴落します。すると、シーメンスやNECなどがロシアから撤退してしまって、ファーウェイだけが残りました。そこでようやくロシアはファーウェイを受け入れ、ファーウェイは「アルゴリズム研究所」を設置して小さな拠点をロシアに置くところまで漕ぎつけるのですが、98年にアジア危機が襲ってきて、ロシアはやむなくファーウェイを本格的に認めるようになりました。

年表的には、海外進出は「1996年香港」、「1997年ロシア」という順番になっているのですが、最初に挑戦した場所はロシアで、最初に拠点を置くことに成功したのは香港というのが実態です。

田原: それはまた、拠点設置からして複雑な経緯があるんですね。

遠藤: そうなんです。それを2G時代から始め、コツコツと基地局などを作ってきた。

田原: だから今日の繁栄があるんですか。

遠藤: そう言えるかと思います。だから世界中に拠点が分布しています。資産に関しては現在、ネットでも資産公開をしていますので、誰でも見ることができますが、その資料などから見ると、中国国内からの融資はほとんどないに等しいくらい少ないですね。ほとんど海外の金融機関から融資してもらっている。こうしてファーウェイは海外で本格的に事業展開して発展していったのです。

たとえばZTEですが、国有企業ですから中国政府が際限なく投資し続けてきました。でも、どんなに国家資金を投入してもZTEは発展しませんね。中国政府から守られているからです。こういう企業は逆に発展しないのです。

田原: 「家出」をしないとダメだということですね。それは皮肉だなぁ。

一党支配が崩壊しても生き残れる好例!

中国経済,ランキング,IT企業
(画像=Grand Warszawski / Shutterstock.com)

遠藤: 日本ではファーウェイを「国有企業だ」と言う人がいますが、それは株主が誰であるかを見れば、一瞬で分かることで、むしろ「民間企業」であるということが重要なのです!

田原: というと?

遠藤: 田原さんをはじめ、日本の経済界の方たちは、中国共産党による一党支配体制が崩壊すると、中国経済も崩壊するので、中国共産党による一党支配体制を維持させなければならないと考える人が多いでしょ?

田原: そりゃそうですよ。今の中国が崩壊したら、多くの日本企業が困るでしょう。

遠藤: ところが、一党支配体制であるが故に、中国政府から無尽蔵に資金を注いでもらっている国有企業と、ファーウェイのような民間企業と、今どちらが強いですか?

田原: たとえば5Gに関しては、ファーウェイが世界一になりそうなので、まあ、中国内ではもちろん、ファーウェイが強いんでしょうねぇ。

遠藤: はい、圧倒的にファーウェイが強いです。同業で比べた場合、国有企業のZTEは、今ではファーウェイの足元にも及びません。図表5ー1は、2018年における「中国ファブレス半導体トップ10社の売上ランキング」を示したものですが、ファーウェイ専属の半導体企業「ハイシリコン」がトップに来ていますでしょ?

図表5-1
(画像=激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓)

田原: ファーウェイ専属の「ハイシリコン」というのは、どういう意味ですか?

遠藤: もともとファーウェイの一研究部門だった部局が「ハイシリコン」という企業名で独立したのですが、ここで製造される半導体は外販せず、ファーウェイにだけしか売りません。

田原: ダントツのトップですね。

遠藤: ですから、たとえ一党支配体制が崩壊しても、民間企業が生き残るという絶好の事例がファーウェイなのです。

一党支配が崩壊したら大変だなどと経済界の人たちは心配する必要がありません。また逆に、「家出したからこそ発展した」という事実は日本企業にとって非常に示唆的で、日本企業にはこの精神が足りないのではないかとも思っています。

激突! 遠藤vs田原 日中と習近平国賓
遠藤 誉(えんどう・ほまれ)

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
1941(昭和16)年、中国吉林省長春市生まれ。国共内戦を決した長春食糧封鎖「卡子(チャーズ)」を経験し、1953年に帰国。中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。
著書に『中国がシリコンバレーとつながるとき』(日経BP社)、『ネット大国中国言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『卡子中国建国の残火』(朝日新聞出版)、『毛沢東日本軍と共謀した男』(新潮新書)、『「中国製造2025」の衝撃』(PHP 研究所)、『米中貿易戦争の裏側』(毎日新聞出版)など多数。
田原 総一朗(たはら・そういちろう)

ジャーナリスト
1934(昭和9)年、滋賀県生まれ。1960年、早稲田大学を卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年、フリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、「大隈塾」塾頭を務めながら、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日) など、テレビ・ラジオの出演多数。
著書、共著多数あり、最新刊に『令和の日本革命 2030年の日本はこうなる』(講談社)がある。

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