話題の抗ウイルスシート~医療現場の最前線にも
営業を再開したスポーツクラブ、東京・杉並区の「ジェクサー・ライトジム」高円寺店。入り口にサーモグラフィを設置して客の体温を測ったり、スタッフが客の手を消毒したりと、さまざまな感染予防対策をとっている。
「来店を心待ちにしていたお客様もいるので、そういった人に貢献できるように頑張っていきたいです」(店長・遠藤峻太さん)
ドアノブに張り付けているシールのようなものは抗ウイルスシート。シートには銅の粒子が練り込まれていて、ウイルスを減らす効果があるという。シートにインフルエンザウイルスを付着させた顕微鏡写真を見ると、1時間でウイルスを99.99%以上減らすことができた。新型コロナウイルスへの効果はまだ実証されていないが、マシンのタッチパネルなど多くの客が触る場所に貼っている。アキレスの「ウイルセーフ」という商品だ。
一方、東京・杉並区の河北総合病院が、院内感染を防ぐために屋外に設置した医療用テントもアキレスが作った。コロナ感染が疑われる患者の問診や待合室に使われている。
「このテントは特別な陰圧テントになっていて、ここにコロナウイルスがあったとしても外に出ない工夫がされています」(看護統括部長・永池京子さん)
このテントは生地を熱と圧力で接着しており、縫い目がないので気密性が高い。これに気圧を下げられる特殊な空気清浄機を接続。こうして汚染された空気が外に拡散するのを防ぎ、感染防止に役立っているのだ。
東京・新宿のアキレス本社。そのショールームには靴がいっぱい並んでいる。アキレスと言えば靴。中でも有名なのが「瞬足」だ。
最大の特徴は靴底。左右が非対称になっている。たいていのコースが左回りのため。コーナーを曲がる時に踏ん張れて速く走れる。運動会でヒーローになれると子供たちに大人気となり、累計7000万足も売れた。
社長の伊藤守(66)が「ソルボセイン」という「ウレタンで作った衝撃吸収材」を見せてくれた。ウレタンとはプラスチックの一種。石油由来の2種類の物質を化学反応させると、ガスを発しながら膨らむ。反応のさせ方でさまざまなものができる。硬いものから軟らかいものまで自由自在だ。
通常の物質は分子同士が強く結合していて、力は分子の列に沿って一方向に伝わる。だが「ソルボセイン」は分子同士の結合が緩く、力はその隙間に分散していくのだ。 「アキレスの技術とはいったい何なのかというと、素材を新しいものに変えて特徴のある製品を作っていこうと」(伊藤)
子供靴だけじゃなかった~知られざる素材メーカー
コロナ危機をきっかけに、アキレスの製品がすっかりおなじみになっている。コンビニなどのレジの前に取り付けられている飛散防止シート。一部の店で導入されているのがアキレスのシートだ。通常のビニールシートは、火がつくとあっという間に燃え広がるが、アキレスのシートは防炎加工してあるため、燃え広がりにくい。
去年渋谷にオープンした「東急プラザ渋谷」のアキレスの店。主力はやはり靴で、売れ筋は踵に「ソルボセイン」が入った「アキレス・ソルボ」。踵への衝撃が少なく疲れにくいと、40、50代の女性を中心に売れている。
アキレスの製品にはベッド用のウレタンマットレスも。寝心地がいいだけではない。「触るとひんやりすると思う」。マットレスの中に熱を出し入れするカプセルが入っており、布団の中が暑い時はカプセルが熱を吸収して涼しくするし、逆に寒い時は溜めた熱を放出して暖かくする。アキレスはベッド用のウレタンマットレスでトップシェアを誇る。
さらには車のシートに使われる合成皮革や、台所のスポンジも作っている。かつて主流だったシューズ部門の売り上げはわずか16%。アキレスはさまざまな素材で生活を支える企業となっていた。
去年の台風19号をはじめ、最近多発する豪雨災害。救助に使われるのがアキレスのゴムボートだ。消防や警察、海上保安庁などが使うゴムボートのシェアはアキレスがトップだ。その理由は、岩やがれきにこすれても破れない丈夫さにある。
薄く伸ばしたゴムと化学繊維の布。この2つを熱と接着剤で張り合わせる。こうしてできたのがゴム引布という素材。ゴムボートの場合、さらに裏面にもゴムをコーティングするので、強さと耐久性に優れているのだ。
老朽化したインフラの補修にもアキレスは一役買っている。2014年度からの5年間で実施されたトンネルの補修工事は全国で1163件。高度成長期から50年以上たった今、トンネルの老朽化が大きな問題になっている。
その補修工事の一部に、アキレスの膨らむとすぐ固まるウレタンが使われている。トンネルと山の間にできた空洞にこのウレタンを注入して補強、崩落を防ぐという。コンクリートで埋める従来の工法と比べて作業員は半分、工期は3分の1で済む。
そんなアキレスは今、新型コロナの第2波を見据えている。素材開発のエキスパート、岡崎玲が向かったのは、回復期の新型コロナ患者を受け入れる東京・世田谷区の世田谷記念病院。頭からかぶれるタイプの医療用防護服の試作品を取り出した。背中にミシン目を入れ、脱ぎやすいように工夫もされている。
「他の病院の話を聞いていると、ゴミ袋をかぶっている病院もあるくらいなので、いろいろな会社が参入してくれて頼もしく思います」(看護師・吉田稔正さん)
早速、医師と看護師に使い心地を試してもらうことに。「抱える作業があるので、足元まであると安心感がある」(医師・志村陽子さん)などと好評だったが、脱ごうとしたときに問題発生。ミシン目ではなく、肩から破れてしまった。まだまだ改良が必要なようだ。
数日後、本社で行われた防護服改良の会議には社長の伊藤の姿もあった。「ミシン目でうまく切れない」と言う岡崎に、伊藤が注目したのはポケットティッシュの取り出し口。ミシン目を、ティッシュのように接着タイプに変更してみては、というのだ。
持てる技術で社会の課題を解決するのがアキレスの使命だと、伊藤は言う。
「社会的課題、身近に困ったお客様がいっぱいいる中で、我々の製品だとか技術だとかを応用すれば、不具合、不都合を解消できる。アキレスでしかできないことをいろいろチャレンジしたいと思います」(伊藤)
オタクが生んだ夢の素材~世界シェア25%の衝撃
伊藤が、自らが取得した特許の特許証を見せてくれた。
「特許になったものだけで23ある。出願は80件くらいあると思います」(伊藤)
伊藤は根っからの素材オタク。そして伊藤の発明がアキレスの歴史を変えた。
アキレスの原点は1907年に設立された織物会社。戦時中は軍の命令でゴム製品を製造するようになった。その技術で防毒マスクも作っていた。戦後、ゴムの加工技術を生かして始めた靴の生産で成長。1982年、靴のブランド名として浸透していたアキレスに社名を変更した。
伊藤は1954年、山形の生まれ。少年時代、「雪を何とかできないか」と考えたのが科学への目覚めだという。その後、東京工業大学で電気化学を専攻。79年に入社し、最初は営業に配属されたが、「『新しい商品を作りたいので、工場の研究開発部門に行かせてください』と、直訴して熱い思いを語ったと思います」と言う。
念願の研究部門に異動した伊藤はあるテーマに取り掛かる。それは電気を通すプラスチックだ。通常、プラスチックは電気を通さない。常識を無視した研究に社内からは変人扱いをされた。しかしある日、特殊な液体を化学反応でプラスチックに均一に塗ることに成功した。この層に電気を通すことができるようになる。これが「導電性ポリマー」だ。
「夢の素材だと。導電性ポリマーを使っていろんな材料に電気が通すことで、商品の展開がいっぱいできそうだなという夢がありました」(伊藤) 伊藤は特許を出願する。しかし「使い道がない」と、会社からは認めてもらえず、シューズ部門に異動させられた。
そんなある日、伊藤の下に、突然社長が現れた。そして頭を下げて「伊藤君、すまなかった」と言うのだ。実は伊藤の研究に注目したアメリカの大企業から共同開発のオファーがあった。「これからは、君のやりたい研究を進めてくれたまえ」と言われた。
再び研究を始めた伊藤は1998年に商品化に成功。それはパソコンのハードディスクドライブの部品だった。精密機器にとっての大敵、静電気を起こさないことが注目されたのだ。2002年には世界のパソコンの25%のシェアを獲得した。
その翌年、主力のシューズ部門も「瞬足」のヒットを飛ばし、アキレスの業績は伸びたが、リーマンショックを境に悪化、低迷が続く。そんな中で2012年に素材に精通した伊藤が社長に就任。早速改革に乗り出す。
まず、それまで別のフロアにあったシューズ部門と素材部門をワンフロアに集めた。 「物理的な近さが必要。相談事があったらすぐに相談できるように。新しい気付きが活性化されるところがあります」(伊藤)
伊藤の狙い通り、部門をまたいだ商品開発が盛んになった。たとえばシューズ部門の女性と静電気対策のエキスパートの男性が組んで開発中なのは「キャビンアテンダントに向けたシューズ」。
「人は歩くと静電気を帯びる。その状態でブランケットをお客に渡すとバチバチとなるので、クッション性プラスアルファで静電気対策を持たせたシューズになっている」と言う。
一方、抗ウイルスシートなどを販売するフィルム部門と車や家具のシート素材を販売する部門は、共同して抗ウイルス仕様の合成皮革を開発中だ。
さらに夏に向けて開発を急いでいるのが、冷房もついているテント。ターゲットは真夏の工事現場。炎天下で働く作業員が休憩所として使うためのものだ。一見、普通のテントだが、内側にもう一枚フィルムが取り付けてある。二重にすることで冷房効果を高める。その内側のフィルムをアキレスが開発中。外気温が32度のとき冷房をかけたテントの中は24度に。一方、内側にフィルムをつけた場合、17度まで下がった。
部門を超えた総合力でアキレスはさらなる飛躍を目指している。
新たな素材を生み出せ!~アイデアの源はどこに?
伊藤が大事にしているのが週末の散歩。これがアイデアの源だという。
「普段生活している場にいろいろな課題があるのに、気付かないのがもったいない」(伊藤)
たとえば手押し車を押す老人を見ると、「ああいう手押し車も段差があると相当振動があったりする。もっと簡便に乗り越えられる車輪があったらいいと思う」。線路に近くになると気になるのが電車の騒音。夜中まで続くこの音をなんとかしたいと考え続けている。
思い付いたことはメモに書き留め、新素材の開発に生かそうとしている。
「やってみようぜっていうぐらい軽いノリの方が、私はいいと思うんですね」(伊藤)
そんな伊藤のDNAは若い研究員たちに、受け継がれている。
栃木・足利市のアキレス足利第一工場。素材開発チームに所属する入社3年目の山田祐樹は、ひたすら鉄球を落としては、跳ね上がった高さをメモし続けている。山田が研究しているのは、高反発と衝撃吸収性を合わせ持つ新素材。反発の具合を見るためにこの作業を繰り返しているそうだ。7メートルの高さから生卵を下にある新素材に落とす。新素材に当たって大きく跳ね上がる卵。殻は割れていなかった。
一方、畑にやってきた研究チームは、作物には目もくれず、土をほじくり始めた。掘り出したのはボロボロになったフィルムだ。このフィルムは作物の保温や保湿に欠かせないもの。だが、収穫後はゴミとなり、その処理に農家は困っていた。
そこでアキレスが開発したのが、土の中の微生物の働きで、半年ほどで水と二酸化炭素に分解されるフィルムだ。これでゴミ問題は解決だが、アキレスは今、その先を行く開発を行っている。機能性フィルムチームの中村俊介は「作物の収穫が終わった時に分解しているのがベストです」と言う。成長の速さは作物によって違う。そこで、作物ごとの成長に合わせて、分解速度の違うフィルムを作ろうとしているのだ。
「入社した時は、そんなつもりはあんまりなかったのですが、実際やってみると、農家さんの労働環境改善、楽になるのであればいいなというのが最近の思いです」(中村)
~編集後記~
原点は靴にあると思う。繊維加工を基本として、いろいろなものを貼り合わせ、さまざま製品を作ってきた。その過程で素材が生まれ、産業化されていった。唯一の例外が伊藤さんが作った導電性ポリマーだ。その人が経営トップになった。実直な会社だ。
伊藤さんは山形の雪国育ちだ。豪雪の苦労は経験したものでないとわからないそれを解消して別の用途に使う方法はないか、将来的にそれを解決したいと。いい話だ。
わたしは個人的に、革命的なシューズを作って欲しい。これはアキレスにしか作れない、と誰もが認めるシューズだ。
<出演者略歴>
伊藤守(いとう・まもる)1954年、山形県生まれ。1979年、東京工業大学大学院終了後、興国化学工業(現アキレス)入社。2012年、社長就任。
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