前回のコラム『投資で成功するための「対面型金融サービス」活用術』では、ネット証券が投資信託の販売額で対面型証券会社をついに上回ったこと、売れ筋の投資信託は「信託報酬が低い商品群」、もしくはインデックス型(指数連動型)シリーズが中心ということを紹介した。そのうえで、「手間暇かけずにコスト重視」という投資スタイルが浸透している現状について、「本当にこのままで良いのだろうか?」という素朴な想いを吐露させていただいた。

しかしながら、安易に「テーマ型投信」を買えばよいというものでもない。今回は筆者の投信会社の社長時代のエピソードを交えながら、「テーマ型投信」選びの心構えについてお届けしよう。

投資信託業界の「安易なテーマ型投信づくり」

テーマ型投信,選び方
(画像=barks / pixta, ZUU onlin)

このところの市場環境が諸々荒れ気味なこともあり、「基準価額が前日比で5%以上下落」する投資信託が相次いでいる。臨時レポートや緊急顧客対応に追われるところも増えているようだ。とりわけテーマ型投信では「トルコリラ関連」や「米国グロース株関連」が顕著である。

具体的に考えてみよう。まず前者の「トルコリラ関連」の投資信託だが、これらの投資信託の基準価額が厳しい展開を続けている理由は、現在のトルコの政治および金融政策の影響でトルコリラが叩き売られて(円高トルコリラ安)いるために、そのダメージを基準価額が一身に受けているからだ。問題は「なぜトルコリラのリスクを取る投信を作り、個人投資家がその運用を受け入れたのか?」ということだ。

実は不思議なことに、日本の個人投資家は「トルコリラ建て」が昔から大好きだ。筆者としては、素朴に「日本人はどうしてトルコリラに精通しているの?」と思ってしまう。

筆者は職業柄、多くの国のことを調べたり、分析したりしているが、正直なところ、トルコにまでは中々目が届かない。というよりも、通常のリサーチプロセスではトルコがスコープに入ってくることはまずありえない。さらに言えば、ニュースフローにしても、入手し易い情報の類にしても、トルコ絡み、もっと言えば「トルコ経済を見渡せるもの」は日本では少ないということだ。にもかかわらず、個人投資家が「トルコリラ関連」の投資信託を好むのはなぜか?

投信会社の社長時代の経験から推察すると?

実は筆者が投信会社の社長をしていた当時、トルコリラに絡んだ商品を新規設定したことがある。背景には、まず同じスキームのブラジルレアルの高金利を利用した投資信託が、設定後のある一定期間を経過した段階で非常に好調なパフォーマンスを記録し、ネット証券専用の取扱いであったにもかかわらず、残高が大きく膨らんだことがある。これを見て営業部門から二匹目のドジョウを狙って「トルコリラでも設定してシリーズ化しましょう」という発議が商品開発会議で行われた。

運用畑出身の社長(筆者)としては半信半疑だったのは確かだが、営業部門は「日本の投資家はトルコリラには慣れている」とかなり自信満々で、他の経営陣を含め賛同者が多かったこともあり、決議の結果、新規設定をすることとなった。

だが販路がネットチャネルに限られていることもあり、販売は結果的に不調だった。つまりここから推察できることは、営業力を活かしたプッシュセールスがなければ、トルコリラ関連の金融商品は売れないということだ。逆に言えば、投資家サイドの能動的な投資判断では選択されない可能性が高いと見ることもできる。恐らくセールス時の殺し文句は「高金利通貨で高い利回りを獲得しましょう」というものだ。もしかすると「債券だから安心ですよ」とまで付け加えたのかもしれない。

「流行り言葉」はイメージ先行でセールスしやすい

後者の「米国グロース株関連」はどうだろうか。たとえば、人気の投資信託の1つに「デジタルトランスフォーメーション関連」があるが、実はこのタイプの投資信託の多くが日本株対象ではなく「米国グロース株関連」がほとんどである。筆者が主催する「ファンドガレージ」のプレミアム・レポートでも取り上げているが、この分野は筆者が得意としており、たとえば該当ファンドの運用レポート等をひと目見ただけで「昨今のマーケット状況ならば当然アップダウンは荒っぽくなるだろうな」ということはすぐわかる。

ただ問題があるとすれば、どの程度まで個人投資家の人達が、各投資信託の名前にも使われているような「テーマ」のリアルを理解しているか、ということだ。もし、その背景となる「ビジネス・トレンド」にインスパイアされ、そのうえで個々の企業の分析まではできないので、専門家に任せようというのならば問題はない。そもそも専門家に任せようと腹を括っているのならば、目先の多少の基準価額のアップダウンなど気にもならないはずだ。

筆者は投資テーマを設定した投資信託を否定しない。むしろ、それこそ投資信託のあるべき姿であり、信託報酬を払って専門家に任せる価値があると考える。