この記事は2021年12月23日に「テレ東プラス」で公開された「少子化時代に喝!~千葉・流山の人集め戦術:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。


カンブリア宮殿,流山市
© テレビ東京

目次

  1. 1. ベビーブーム再来!? ~子どもと若い家族が増える町
    1. 人気の理由[1] 子育てのしやすさ
    2. 人気の理由[2] 子どもを産んでも安心
  2. 2.「母になるなら……」 ~移住者続々! 千葉・流山
    1. 人気の理由[3] 豊かな自然
  3. 3. 人口減&赤字財政からの脱却~民間出身市長の大改革
    1. 民間出身市長の流山改革[1] 無駄の削減
    2. 民間出身市長の流山改革[2] 税収アップ
  4. 4. 新興住宅と旧市街が融合 ~流山式魅力ある町作り
  5. 5. ~村上龍の編集後記~

1. ベビーブーム再来!? ~子どもと若い家族が増える町

千葉・流山の小学校。全校児童は1500人を超えるという超マンモス校で、1年生は1クラス35人で9クラス。小学校の統廃合のニュースはよく聞くが、この町では来年も新たに2つの小学校が開校するという。

町で目につくのはファミリー層ばかり。流山は「千葉の二子玉川」といわれている。都心から移住者が増加し、人口増加率は5年連続日本一を誇る。

つくばエクスプレスで都心から約30分の流山おおたかの森駅。駅と一体化した開放的な空間と、それを取り囲む大きな商業施設。いわれてみれば二子玉川風の雰囲気がある。

駅の周辺では、あちこちでマンションや戸建て住宅の建設ラッシュが続く。流山では若いファミリー層が続々と家を購入し、移り住んでいるという。

流山は千葉・北西部にある小さな市。2006年につくばエクスプレスが開業し、都心に直結されたことで人気は急上昇。ここ15年で人口は5万人も増えているが、人気の理由は交通の便がよくなったことだけではない。

人気の理由[1] 子育てのしやすさ

市内にある保育園は92。コンビニより多いという。他にはない驚きのサービスがある。駅に直結したビルの一室にある「送迎ステーション」に集まった子どもたちは、8時前、それぞれの保育園にバスで移動する。バスは全部で6台。この日は100人が乗車した。

これは流山の行政サービスで、保育園が遠い場合、朝、流山おおたかの森駅と南流山駅にある「送迎ステーション」に子どもを連れて行けば、市内すべての保育園に送り迎えしてくれる。料金は1日100円。自宅から遠い保育園にも通わせられるし、夜8時まで開いているから残業で遅くなっても大丈夫だ。

子育て世代の移住で、流山の保育園の数はここ10年で6倍に増加、今年、待機児童ゼロを達成した。そこで課題となるのが保育士の確保。なり手が少なく、どの自治体も困っているが、流山はちゃんと手を打っている。

この春から市内の民間保育園で働き始めた枝さんは、茨城県の実家からわざわざ引っ越してまで、流山市内の保育園で働きたかったという。魅力を感じたのは手当。流山特例手当が4万3,000円。さらに住宅補助が6万4,000円。合計10万7,000円が、民間の給与とは別に、毎月、流山市から支給されている。

こうした手当てにより、流山では保育士の数が年々増えている。

人気の理由[2] 子どもを産んでも安心

流山には安心して子どもを産めるサービがある。出産後すぐの家庭を助けるため、家事代行やベビーシッターなどのサービスを受ける時、最大5万円近くを補助している。こうしたさまざまな支援があるためか、流山に住む女性が子どもを産む数(合計特殊出生率)は全国平均を上回り、今も増え続けている。

2.「母になるなら……」 ~移住者続々! 千葉・流山

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「母になるなら、流山市」という転入を後押しするキャッチフレーズを武器に、子育て世代が集まる町を作ったのが市長・井崎義治(67)。「子育てするなら」ではなく「母になるなら」。これには井崎の強い思いが込められている。

「『子育て』だけではなくて、『母』として1人の女性として、仕事も社会活動も子育ても輝いてほしいという願いを込めて『母になるなら』にしました」

民間出身の井崎が市長になったのは2003年。当時の流山は、ほかの地方都市と同様、少子高齢化と人口減少で財政は火の車。市の再生のため、井崎が掲げたのが「共働き子育て世代」の誘致だった。

「時代は少子高齢化なので、共働きをしながら子育てできる環境を作ることが一番大事だと思いました」(井崎)

子育て環境の充実とともに進めたのが、家の近所で働ける雇用の場を作ることだった。その1つが常磐道・流山インターチェンジからすぐの「GLP ALFALINK流山」。東京ドーム20個分の敷地を誇る国内最大級の物流センターだ。30社以上、7,000人規模の新規雇用が生まれ、地元で働きたいという市民の受け皿になっている。

健康食品販売会社「日本薬師堂」ではすでに70人を採用。その大半は流山の子育てママだ。そしてここにも子育て世代にありがたいサービスがあった。施設内で働く人のための保育園だ。実は市が企業に要請して実現した。

人気の理由[3] 豊かな自然

流山のもう1つのキャッチフレーズが「都心から一番近い森のまち」。井崎自身も流山の自然にひかれて移り住んだ1人だ。その自然を残し、増やすことが、流山の魅力アップにつながると井崎は考えた。

「流山は元々緑がある町ですから、緑を増やしていく。そういう町づくりを進めていこうと。代表的なのは『グリーンチェーン』認定制度です」(井崎)

流山ではこの制度により、新規の商業施設や集合住宅に対して、敷地面積の30%以上に植樹することを要請している。

戸建て住宅の場合、10年間、住宅ローンの優遇金利(10年間)や、剪定した枝の無料引き取りなどのメリットがあるため、率先して「グリーンチェーン」制度に応じる家庭が増えているという。

「日本中から、東京の近くに住む場合は流山市に住みたいと思っていただく。そういう町をブランド化できれば、快適で良質な住環境が維持できます」(井崎)

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3. 人口減&赤字財政からの脱却~民間出身市長の大改革

市長就任以来、専用車を廃止し、通勤や市内の移動にはなるべく自転車を使うという井崎。その経歴は異色だ。

日本の大学を卒業後、アメリカの大学院で都市開発を学ぶ。その後、サンフランシスコのシンクタンクで都市計画の事業に携わった。

「5大陸100都市に仕事で出かけることがあって、人気の住宅地で共通しているのが、緑が豊かだということでした」(井崎)

34歳で帰国すると、緑豊かな流山を選び住むことにした。しかし、つくばエクスプレス開業に向けて、開発に莫大な費用が投じられ、森や緑が急速に失われ始めていた。

流山の豊かな自然を残したいと、2003年、市長となった井崎だが、市がおかれた厳しい現実を目の当たりにする。当時、財政は3年連続の赤字。その立て直しが急務だった。

民間出身市長の流山改革[1] 無駄の削減

まず手を付けたのが業務の無駄を省くこと。その象徴が分厚い資料作りの禁止。井崎の就任前につくられた町づくりの計画書は全部で4冊、約600ページに及んだ。作る職員には重い負担だった。それが井崎の代になるとわずか1冊に。職員の負担が減り、ほかの業務に手が回るようになった。

「無駄なことはしない、力作、大作のレポートも作らない。そういうことで圧縮しています」(井崎)

会議時間を短縮するために打った手が立ち会議。外部の人が入っても、立ってもらうことをルールづけた。「コンパクトに立ち机でやることで効率的になった」という。

こうした業務の効率化で職員の残業代を削減。さらに新規採用の一時見合わせで、3年で5億円の人件費削減に成功した。

民間出身市長の流山改革[2] 税収アップ

市の税収を上げるためには人口を増やすことが不可欠。そこで井崎は、自治体では初となる部署を設置した。「いまだに全国唯一」(井崎)というマーケティング課が、子育て世代をメインターゲットにさまざまなサービスを生み出してきた井崎改革の心臓部となる。

だが井崎は、設置を知った職員から猛反発を受けることになる。当時、秘書課で井崎の側近だった恩田一成でさえ戸惑ったという。

「マーケティング課を作るとか、ターゲットを絞ってやる、ということに対しては非常に違和感があったというか、理解できませんでした。市役所というのはどんな年代の方にもすべてに対して公平にやるもの。(井崎は)宇宙人だと思いました」

民間では当たり前のターゲットを絞る戦略に職員の協力が得られない。そこで井崎は「マーケティングがわかっている方に入ってきていただかないと、これは無理だと思って、民間からマーケターを公募しました」

マーケティング課のトップに、民間から経験者を採用すると、行政の常識を覆す攻めの戦略を次々と打ち出していく。子育て世代向けの雑誌には流山をPRする記事広告を掲載。そして2010年、あの「母になるなら」のキャッチフレーズを生み出すと、首都圏のさまざまな駅に張って流山をアピールし続けてきた。

こうした策が実を結び転入者が増加。井崎が市長となってから18年。税収も就任前から6割アップした。

「井崎市長がいっていることはこういうことを目指していたのかと、私たちに伝わってきたことが、現在につながっているのかな、と」(恩田)

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4. 新興住宅と旧市街が融合 ~流山式魅力ある町作り

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子育て世代で活気づく、つくばエクスプレス沿線だが、市の西側に行くと雰囲気は一変する。ローカル線が走る流山本町地区。ここは透明な「白みりん」発祥の地として、江戸時代から栄えた流山の中心地だった。今もその面影を残す建物があちこちに残っている。

流山ではこうした旧市街地の活性化にも動き出していた。

たとえば、大正時代には足袋屋だった「丁字屋」は、当時の作りを生かしたレストランに。都内の二つ星レストランで腕を磨いたシェフ・古水利昌が作る創作フレンチのランチコースが3,300円から楽しめる。

これは井崎が仕掛けた「古民家再生プロジェクト」の一環。今は使われなくなった建物の所有者と新たに商売を始めたい人を市が結び付け、開業まで完全バックアップする。改装費は市が最大350万円まで補助、家賃は最長3年間、毎月7万円まで負担するという。

プロジェクトを担当するツーリズム推進課・井戸一郎は、「新しい町だけじゃない、もっと流山ならではの古い町をやはりもっとにぎやかにしたい」という。

当初、「丁字屋」のオーナー・広田栄治は、活気が減った旧市街への出店に不安だったそうだが、「最初3年間は、お客さんがそうそう来るわけじゃないので、非常に家賃補助は助かりました」という。

現在9軒がこのプロジェクトを利用。市はオープン後もしっかりサポートしている。

井戸が訪れたのは明治時代の蔵を改装した「藏のカフェ+ギャラリー灯環」。定期的に店の要望を聞き取り、行政としてできる支援を続けている。

「せっかく人生をかけて来ていただいたので、出店しっぱなしではなくて、声を直に店主から聞いて、今後の政策にも反映したいです」(井戸)

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5. ~村上龍の編集後記~

マーケティングがあれば地方都市は甦る。井崎さんは「マーケティング室」という組織を作った。この部隊が若い世帯にターゲットを絞り、誘致に奮闘する。「母になるなら流山市」シンプルで力強いコピー。「子どもを作るなら」ではない「母になるなら」だ。1人の自立した素敵な女性が見えてくる。妊娠、出産は女性が中心だ。基本的に男は何もできない。男の論理は旧来の役所内の反発につながった。女性の論理と心理をつかみ、井崎さんは勝ったのだ。


<出演者略歴>
井崎 義治(いざき・よしはる) :1954年、東京生まれ。サンフランシスコ州立大学大学院修士。1988年、流山市に移住。住信基礎研究所入所。1991年、エンタテインメントビジネス総合研究所。2003年、流山市長就任。