本記事は、北川哲雄氏の著書『ESGカオスを超えて:新たな資本市場構築への道標』(中央経済グループパブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。

DXとBMX

目次

  1. DXとBMX
  2. BMXの事例「Novozymes」
地球儀
(画像=Takahiro/stock.adobe.com)

1. 日系企業の強みと弱み

終戦後、日系企業は、米国人のW.E.デミング博士から設計・製品品質・製品検査・販売など品質管理に関わる多くのノウハウを勤勉に学び実践してきた。カイゼン、すり合わせなど、現場のオペレーションから主として生じるインクレメンタル・イノベーションは、技術革新のスピードが比較的ゆっくりとしていた時代、優位性を獲得する源泉であった。あるいは、研究者個人の努力によってイノベーションが生まれてきた(たとえば、製薬業界におけるメバロチン)。小グループ・個人レベルの「匠の技」の積み重ねである。とは言え、ICT・DXがいくら発達しても、モノ作りはなくならない。こうした強みは一朝一夕に模倣できるものではないので、手放してはならない。

一方、ITベンチャーに象徴されるスタートアップは、重厚長大産業のような大きな資本を必要としない。後発国、ベンチャー企業にとって、参入障壁は必ずしも高くない(事業をスケールする段階は別)。そういう意味では、グローバルなあらゆる企業が競争相手となる。新しい概念でもないのにH.チェスブローが提唱したオープンイノベーションが注目されている。社外に目を向け、広く情報を求めて互恵的に知識を創造していくには、グローバルなネットワーク構築と見せかけでないダイバーシティが求められる。

また、研究開発を通して創造された価値を事業価値として獲得すること(=利益化)が重要であり、その手段としてのDXは外せない。

2. 生産性を高めるDX

無形資産に対する投資の中でもDXを中心に検討を進める。DXについては、数多の書籍が出版されており、人工知能などの新技術、アジャイルな方法論、データ活用など個別のテーマを取り上げているものが多い。その背景には、導入に成功している企業は少ない(3割、16%など)という問題意識が共通して見られる。

DXの導入を目指す場合、初期のDigitizationのレベルからDXへ一挙には進めない。それは従業員のDXへのリテラシーとスキルアップが必要だからである。第1段階は、Digitizationで、組織的には個人や小グループがデジタルツールを使いはじめる。わかりやすい事例としては、各種管理台帳の表計算ソフトへの入力や請求書の電子発行など既存業務の一部をデジタルで置き換える段階である。第2段階は、紙媒体の広告からSNSの活用、顧客に対応するAI機能の導入等、設定したタッチポイントで顧客情報など有用なデータが取れる仕組みが組織的に導入され活用される段階(Digitalization)である。第3段階が、いよいよDXである。従業員全体の理解が深まって習熟することにより、全社的にデータの利活用が高度化することで競争優位性を確立する段階(Digital Integration)である。組織のあり方も、単純な機能別から顧客視点でデータを共有して利活用できるように進化する。製造業で言えば、サプライチェーン全体を視野に入れたものになる。そこで大切なことは、正確なデータをどのように獲得し、高速かつ適切に利活用するかである。そうすることでビジネスモデルが変革されることを、デジタルトランスフォーメーション(DX)と呼んでいる。製品を売り切りしていた製造業が、顧客データを活用したサブスクリプションなどにビジネスモデルを変えるイメージである。他方、すべての企業がビジネスモデルを変えるわけではないので、同じビジネスモデルのまま高度化する企業がある。逆に、ビジネスモデル変更後も、データを利活用することでさらに新たなビジネスモデルを模索する企業もあるかもしれない。

DXの導入が上手くいくと、企業の生産性は高まり収益性が向上する。ある調査によれば、コスト削減では、収集したデータの利活用によって需要を予測することで、過剰生産を抑え廃棄量を減らすなどで改善が期待できる。一方、売上高向上では、ECサイトでの検索動向からAI分析によるお勧め品の提案、検索パターンから解約しそうな顧客に対して個別に特別なインセンティブプランをオファーするなどによって改善が期待できる。DXに成功することで、営業利益率における差分は、コスト削減で潜在利益率を23~27ポイント、売上高向上では8~24ポイントと報告されている(*1)。SDGsやESGを実施するコストを十分にカバーして、競争優位性を獲得し、業績の向上が期待できる。

*1:則武(2021)pp38-41、n=1,200。

3. DXの究極はBMX

DXは、ビジネスのコアをデジタル化することで業務の取り組み方が変わり、ビジネスモデル変革(ビジネスモデル・トランスフォーメーション、以下「BMX」)に結び付くことが本質である。つまり、現在のビジネスのやり方にDXを使うのではなく、顧客目線で価値創造を行い、価値獲得するためにビジネスをデザインし直すイメージである。DXは経営戦略を実現するための手段の位置づけである。それでは、なぜDXの成功率は低いのか。組織は過去に成功した経験やそこから学んだ方法を踏襲することで業務を行っている。社内手続、行動様式、思考法、組織文化といった「組織慣性」を変えることは容易なことではないからである。

一方、市場で認知されている「確立された企業は、市場の既存製品と顧客を熟知しており、多くの場合、自由に使える重要な能力と経営資源を有しているため、新規参入者よりも有利である。既存企業の専門的知識を複製するのは通常困難であり、データ、知識、最高の立地にある旗艦店のような有形資産といった決定的な経営資源へのアクセスを制御することがよくある。また、徹底(radical)したビジネスモデル変革は、組織を大きく変え、しばしば企業のミッションや価値提案をも含む変革である」(*2)との見解がある。すなわち、既存の企業はカオスで戸惑っている場合ではなく、十分に巻き返しのチャンスはある。

*2:Carsten(2021)p.3.

ESGカオスを超えて
(画像=ESGカオスを超えて)

図表6-4を参照されたい。大量生産を行っている製造業であれば、左下の第3象限に位置してビジネスを行っている企業が多いだろう。すなわち、特注度は低く自社商品のみを取り扱っている。それがBMXによって顧客目線でプラットフォームを立ち上げて他社の商品・ソリューションも取り扱うようになると、第2象限に移行する。あるいは、サブスクリプションという選択肢もある、さらに、顧客の要望に応えるべくソリューション提供を強化するようになると、第1象限に移行する。その場合、個別の顧客ニーズへの対応が高度化するので特注度が高くなる。DXによって顧客のデータが取れるので、それを分析・活用することで付随するサービスでも利益を上げられるビジネスモデルに進化するのである。

次節では、洗剤メーカーから酵素の研究開発によって顧客の脱炭素やエネルギー消費の削減を支援するソリューションビジネス、農業の収穫量を増やすソリューションビジネスなどへ、顧客データを活用したBMXに成功したデンマークのNovozymesという企業のケースを見てみよう。

BMXの事例「Novozymes」

天秤
(画像=PIXTA)

Novozymes A/S(以下「ノボ社」)は、デンマークにある産業用の「酵素」を開発・販売するバイオテクノロジー会社である。高い技術力で世の中に貢献し、BMXに成功した好事例として、『Novozymes Annual Report 2020』(以下「アニュアルレポート」)からそのエッセンスを紹介する。

1. パーパス、事業と業績

ノボ社は、製薬会社ノボノルディスクの糖尿病薬インスリンの酵素部門が分離・独立したバイオテクノロジー企業である。現在では、洗剤を含む家庭用品事業をはじめ、食品・飲料・健康事業、バイオエネルギー事業、穀物・技術工程事業、農業・動物健康栄養事業の5つのビジネスを有し、売上高140億デンマーククローネ(約2,500億円)、EBIT26.1%、ROIC18.9%の、巨大企業ではないが、欧州のESGをリードする超優良企業である。

ノボ社のパーパスは、Together we find biological answers for better lives in a growing worldで、直訳すると、「私たちは共に、成長する世界で、より良い生活のために、生物学的な答(解決策)を見つけます」となる。筆者が着目する1つ目のキーワードはbiologicalで、生物学的な方法で貢献する、自社のドメインを示している。2つ目はfindで、研究開発型企業であること、3つ目はfor better livesで、より良い生活の実現、企業の向かうべき方向性を示している。会社の姿勢が出ていると思うのは、冒頭にTogetherを持ってきている点である。誰と共になのか、株主だけではなく、企業を取り巻くすべてのステークホルダーとの協業を大切にしているとのメッセージと解釈される。アニュアルレポートの「もくじ」は、(1)全体像、(2)われわれのビジネス、(3)ガバナンス、(4)会計と業績の4つで構成されている。

2. 全体像:The big picture

アニュアルレポートの冒頭にある取締役会会長とCEOの共同メッセージの中で、ソリューションビジネスについて、「何年もの間、当社は主に酵素の商品提供に従事してきましたが、実はバイオテクノロジーの分野でのさまざまなソリューション領域を提供しています。お客様が必要とするのは、酵素、微生物、酵母あるいはデジタルソリューションかもしれません。たとえば、バイオエネルギーでは、お客様にバイオエタノール生産のための酵素や酵母を提供するだけでなく、その生産プロセスにおいて、当社のソリューションを適用するにあたって、最適化の条件を確実にするためのデジタルツールも用意しています。私たちはいつも市場ニーズに対して総合的なアプローチを取り、お客様に適したソリューションまたはその組み合わせを提供します。それがお客様の成功に役立つからです」と述べている。これは提供した商品が最適化される状況を作り出す情報の提供で、過去からのデータの蓄積・分析によって生み出されたソリューションである。DXという用語こそ使っていないが、商品とソリューションを組み合わせて提供することで差別化に成功し、顧客ロイヤリティを高め、価格競争を回避していると思われる。

持続可能性ハイライト(図表6-5参照)では、SDGsに関連する指標の2020年度実績値を示し、さらに2022年度の目標値も開示している。着目すべきは、ノボ社が削減に貢献した世界中の運輸に関わる二酸化炭素排出の削減量である。これは自社の操業で排出されるスコープ1+2(46%)とは別で、本業で研究開発して製造販売している商品によって、二酸化炭素を削減できた量である。ノボ社は、世界の輸送で4,900万トンの二酸化炭素を削減することを可能にしたのである。達成された削減量は、約2,000万台の車を道路から撤去することに匹敵すると説明している。IR・統合報告書でしばしば目にする自社の商品やオペレーションをSDGsの17目標に根拠を示さず無理繰り当てはめて、さも多くに該当しているように取り繕う姿勢との違いがある。換言すれば、開示すべきは、該当する項目の量(数)ではなく、質(深さ)と言えよう。ノボ社の分野別売上げでは、家庭用品事業の35%(SDGsインパクトの該当ターゲット:6,13,14)が最も大きく、食品/飲料/健康20%(同:2,12)、バイオエネルギー18%(同:7,13)、穀物・技術工程14%(同:6,13,12,14)、農業/動物の健康栄養13%(同:2、12、13)と続く。

ESGカオスを超えて
(画像=ESGカオスを超えて)

注目すべきは、有機関連商品の売上高成長率で、ノボ社がこだわっている項目と思われる。家庭用品5%、食品/飲料/健康および農業/動物の健康栄養は1%伸ばしているが、コロナ禍のために営業が不振となったバイオエネルギーと穀物・技術工程事業がそれぞれマイナス9%とマイナス1%となったことで、2020年度は差し引きゼロ成長となった。SDGsインパクトの該当ターゲット項目を示しているが、5分野で合計6項目である。以下、各事業分野を簡潔に説明する。

(1)家庭用品事業

新興国への注力と新商品発売効果で増収。新商品は2件で、Remify Everis(酵素による外科手術用具の洗浄剤)、Microvia(細菌バイオ溶剤)。

(2)食品/飲料/健康事業

2020年度は5件の新商品を発売。トレンドは、新しい植物ベースのプロテインに強い消費者の需要、ヘルスケア業界は、症状の治療から生物学を応用した予防策への転換など。

(3)バイオエネルギー事業

運輸業界向けの低炭素燃料の開発および酵素と酵母菌は穀物と茎をエタノール燃料に変えることで、ガソリン1,000ℓ当たり1,100~2,200kgの二酸化炭素の排出削減に貢献。新商品はFortiva Hemi(エタノールプラントのトウモロコシ油の生産量を10%以上増加させ、より多くの繊維結合デンプンを利用してエタノール変換を行う)。

(4)穀物・技術工程事業

穀物の産出とエネルギー削減に貢献するソリューションを提供。新商品は、Auara boost(ゴムの分流過程で通常廃棄される油を保持することで、植物油処理業者の収益性を向上させるソリューション)、LpHera(化学薬品の必要性を減らし、より高い発酵収率をもたらすデンプン加工のための次世代酵素)、Frontia GlutenEx(より良い小麦分離は、穀物製粉においてグルテン蛋白質回収を2%増加させる)。

(5)農業/動物の健康栄養事業

土壌中の栄養素への植物のアクセス、飼料中のエネルギー、蛋白質、ミネラルへの動物のアクセスを改善することで、農業の収量を向上させ、家畜生産における糞尿からの環境への排出が削減。酵素は、動物の飼料中のデンプンへのアクセスを増加させることで、鶏1,000羽当たり約130kgの二酸化炭素排出を削減。新商品はTaegro(化学負荷なしに、果実・野菜を病気から守り成長させる)。

上記の事業領域(2)~(5)は、(1)の洗剤に関連する酵素の研究開発から広がった事業領域であり、現在ではそれぞれのセグメントの顧客に特化したソリューションを提供している。

3. われわれのビジネス

(1)経営戦略

経営戦略の開示では、「当社の戦略は、生物学の利用による優れたビジネスであり、明確な優先順位と各事業分野の成長性と収益性の目標を導くものです。コア事業の事業化を通じた価値創造の最大化を図るとともに、コア以外の研究開発パイプラインや新たな戦略的機会にも投資しています」と述べている。

策定した経営戦略が成功したかどうかは、財務あるいは非財務目標の達成度合いで測定しており、2022年度の目標値に対する見込みを公表している。2030年のコミットメントを達成するために重視する分野として、(1)気候、(2)きれいな水、(3)製造と消費、(4)従業員を挙げている。

  • 気候では、低炭素燃料の技術によって、2020年に二酸化炭素削減を4,900万トン達成、2022年度までに6,000万トンをコミットしている。達成に向けて2022年度までに、自社の操業で40%の削減を掲げている。
  • きれいな水では、化学洗剤に代わる酵素洗剤の提供で、きれいな水の確保に貢献。2022年に40億人以上への普及が目標。
  • 製造と消費では、農場から食卓への食料の供給過程でバイオマス技術を使うことで2022年に50万トンにすること。自社では包装材などでゼロ廃棄100%を目指す。
  • 従業員では、会社の持続的な成長と世の中に貢献するためには、社内調査で、学習支援項目では80、ダイバーシティ項目の指標では86を目指すとしている。

これら4つの重点項目では、なぜその目標を掲げ、何を、いつまでに、どれだけ(目標数値)を経営として約束しているかを挙げ、毎年、達成度を検証・開示することで透明性を担保している。経営陣が何を考え、どのような施策を実行に移しているのか、経営戦略のストーリー性が見えてくる。これらはさまざまなコミュニケーション手段を使って現場で働く従業員にも共有され、強固な企業文化が形成されていると思われる。

新型コロナウイルス感染症関連では、「パンデミックが発生したことで、ロックダウンや移動制限を克服するためのデジタルコミュニケーションの必要性が高まっています。デジタルツールの使用を強化および拡大することで、組織内のコラボレーションを向上させ、顧客との関係を強化し、顕著な中断なしに新しいリードを推進することができました。当社のウェビナープラットフォームは、従業員が既存のお客様や潜在的なお客様のためにウェビナーを実施するのを支援するツールであり、これまでは達成が困難であったリーズ(見込み客)を獲得する上で効果的であることが実証されています。ウェビナーから収集したデータと洞察は、新しいお客様の意思決定過程における既存のお客様のニーズに対応します。醸造所関連では、より多くの人に手を差し伸べることに努めました。デジタルツールを使った小規模醸造所Brewing with enzymeというウェブサイトでは、クラフト醸造プロセスに酵素を導入するメリットを共有しており、潜在顧客は専門家とのライブチャットに参加できます。また、多くの顧客の関心を集めており、私たちはクリーニングや購入の習慣、パンデミックによって形成された傾向についての記事やウェビナーで、アメリカのクリーニング市場に接触しました。中国では、パンデミックの最中にオンラインに移行することで、顧客エンゲージメントの新しい効果的な方法を取り入れました」と述べ、「2020年は特別な年でしたが、顧客に迅速に対応するために、アジャイル(俊敏)、効率的であり続けるべく、私たちは学んできました」と結んでいる。歴史のあるB to B企業なのに、まるでITベンチャーの企業マインドのようである。

また、デジタルテクノロジーを使いこなせるように教育プログラムを提供している。「年間の従業員調査では、学習に関して78点を達成しました。年間を通じて、新しいオンライン学習プラットフォーム、リーダーシップ開発プログラム、学習文化に関するウェビナーを通じて、学習と開発を奨励しました」と報告している。

(2)リスクマネジメントとステークホルダーへの経済的貢献

リスクマネジメントについては、取締役会が全責任を負ってリスクに目配りし、リスクマネジメントと内部管理システムを維持していると報告している。

手法的には、統合リスクマネジメント(ERM)を採用している。分析の結果、リスク評価ヒートマップ(横軸:潜在的インパクト、縦軸:発生確率)を使って、4つのリスク要因を洗い出している。なお、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による業績への影響は大きいものの、発生確率が低いことから引き続き監視を行う対象とし、リスク要因には含めないという経営判断をしている。

1 競争と市場統合

潜在的な影響として、新たなソリューションまたはより広いプラットフォームを提供する競合出現の可能性を挙げている。対策として、顧客との関係強化に向けた組織再編、顧客志向、顧客に近い地域への権限移譲によって機敏さを加速させるとしている。

2 農業関連ビジネスの変動性

農業関連は、天候・商品価格・政治的要求などにも左右される。新型コロナウイルス感染症の感染拡大によるガソリンの需要低迷と価格下落によるバイオエネルギービジネスの急下降を挙げており、対策としてはエタノールおよび農業関連への複数の新商品投入を挙げている。

3 サイバー攻撃

技術志向型企業の業績は、誠実さ・コンピューター・ネットワーク・データ共有に依存している。短期間でのデジタル化はサイバーセキュリティへの脅威が生じる可能性があり、万一、独自技術が盗まれれば、その影響は計り知れない。デジタル化やデータ分析への依存度が高まる中、対策の強化、生産設備の操業技術に注力することで、常に稼働状態を維持するという強い意志表示をしている。

4 グローバルな政治・経済的不安定

グローバル経済と政治状況における不安定性は続いており、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による需要の減退、外国為替の変動、顧客・サプライヤー等の破産リスクに言及している。対策としては、米中の貿易交渉の推移、価格の透明性・ガバナンス、関税取扱いの適正化への注力などを挙げている。

すなわち、経営層が業績に影響を与えるリスクがどのようなものかを認識し、その具体的対策を、すべてのステークホルダーに対して開示している。ステークホルダーへの経済的な貢献については、円グラフを使って視覚的に説明している。特徴的なのは、会社が創造した価値(売上高)をステークホルダー間に配分することで貢献するという発想である。全体では90%を社会に還元、10%を再投資に充てている。社会還元の内訳は、サプライヤーに43%、資本の提供者に12%(主に配当)、各種税金・寄付など地域社会に10%、従業員に25%である。残る再投資の10%は、会社の発展、競争力の構築、未来の価値創造を確実にするためであるが、その目的は複数の主要ステークホルダーへの配分である。

(3)研究開発、持続可能性目標と進捗

1 研究開発

ノボ社は新商品を矢継ぎ早に投入している。その源泉は、研究開発にある。時系列および分野別に特許出願件数を観察することで、ある程度、研究の方向性・テーマは見えてくる。第1位はバイオインフォマティクスである。これは生物が持っているさまざまな情報をコンピューターで解析する分野のことで、バイオロジー(生物学)とインフォマティクス(情報学)の融合分野である。第五次産業革命では、バイオインフォマティクスで得た生物の構造情報を用いて新たな工業製品を生み出せる可能性に期待が集まっている。安定的な業績を支えているのは先に見てきたように新商品・サービスの市場投入であり、それを可能にするのが、差別化の源泉となる特許である。その背景には、売上高・EBITに多少の変動があっても、対売上高14%前後の経費を研究開発に投資し続ける経営方針がある。

2 持続可能性目標と進捗

持続可能性目標は、(1)世界(3項目)、(2)操業(5項目)、(3)従業員(5項目)に区分され、2022年度目標値とともに達成状況が開示されている。たとえば、(1)世界では、(i)運輸部門における低炭素燃料実現によるCO2排出削減として2022年度目標に対してCO2削減量6,000万トンで順調、(ii)化学洗剤に代わる洗剤ソリューションの提供者数40億人で順調、(iii)農場から食卓への効率改善による穀物食品、食料50万トンでさらなる取り組みが必要と開示している。

4. ガバナンスおよび会計と業績

「革新的で透明性のあるコーポレート・ガバナンス構造は、責任ある持続可能なビジネス行動と長期的な価値創造を促進する」から始まり、「取締役の構成は、その一体化した専門的能力が、ノボ社の発展を刺激し、指導・監督を行い、ノボ社が常に直面する課題と挑戦に熱心に取り組み解決を可能にするものでなければならない」としている。

取締役属性のダイバーシティ目標として、(1)独立性(法制)最低50%、(2)国際的経験は最低40%、(3)女性は最低33%を挙げており、2020年度はクリアしている。

同社のガバナンス構造は、監督と執行を完全に分離、併任者はいない。ここは議論が分かれるところであろう。取締役会は、指名委員会、報酬委員会、監査委員会を設置している。2020年には、「イノベーション委員会」を新設した。その使命は技術・科学・イノベーションの分野における全般的な専門的能力(capability)と戦略の方向性を検討することで取締役会を補佐することにある。取締役の属性は、国籍割合(5カ国)、性別、任期別、独立/非独立、職務経験は10項目に分けてカラフルにわかりやすく開示している。執行役(Executive Leadership Team)では、名前・職位・担当・学歴に加えて、特定分野の能力(Special competencies)として、職歴・専門性について職務との関係で専任理由を説明している。

財務ハイライトとして重視している指標は、(1)EBIT利益率:26.1%、(2)売上高増加率:有機0%(コロナ禍で未達)、(3)ROIC:18.9%、(4)フリーキャッシュフロー:3.4百万DKKである。

重要なステークホルダーという位置づけなのか、従業員に関するコストをさまざまな視点から開示している。「会計と業績」は、最もページ数を割いている項目であるが、紙面の制約から財務ハイライトの簡単な記述に止める。詳しくは、アニュアルレポートをご覧いただきたい。

5. ノボ社の事例から得られる示唆

ノボ社は、酵素技術を使った家庭用洗剤に始まり、B to Cセグメントにおける食品・飲料・健康事業に横展開、さらに、バイオ分野における継続的な研究開発によって、B to Bセグメントであるバイオエネルギー事業、穀物・技術工程事業、農業・動物健康栄養事業へと、あたかも階層を累積するように縦方向にも展開してきた。「層累的展開」と呼んでよいだろう。しかも、製造業としての物的な商品だけでなく、それぞれの領域で顧客が持つ課題を解決するソリューションを併せて提供している。顧客から得られる各種データを蓄積・活用することで、ビジネス領域を縦横に広げてきたのである。ノボ社は、DXという名称は使っていないが、ビジネスモデルの変革に取り組み、図表6-4の第3象限から第1象限への移動に成功したビジネスモデル変革企業なのである。それを可能ならしめたリーダーシップ、企業文化、コミュニケーション、社内研修、リスク管理、ガバナンス体制などは、日系企業の参考になると考える次第である。

=ESGカオスを超えて
北川 哲雄
青山学院大学名誉教授・東京都立大学特任教授
早稲田大学商学部卒業、同大学院商学研究科修士課程修了、中央大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(経済学)。シンクタンク研究員、運用機関リサーチャー等を経て、2005年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。2019年より現職。

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