本記事は、北川哲雄氏の著書『ESGカオスを超えて:新たな資本市場構築への道標』(中央経済グループパブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。

ビジネスと人権を両立させるサステナビリティ経営とは:ネスレの児童労働撲滅の取り組みからの示唆

目次

  1. はじめに
  2. 児童労働はなぜ問題か

はじめに

ESG
(画像=Pcess609/stock.adobe.com)

2011年に国際連合は「ビジネスと人権」指導原則を制定した。同指導原則は、第1に人権を保護する国家の義務、第2に人権を尊重する企業の責任、第3に救済へのアクセスという3つの柱で成り立つ文書である。つまり、人権は保護され、尊重され、救済されなければならない、とされた(ラギー、2014)。また、国連・責任投資原則(Principle for Responsible Investment:PRI)においても、最優先課題の気候変動とともに、人権を重要課題としている。日本政府においても、2020年10月に「ビジネスと人権に関する行動計画」を策定した。このような内外の流れに対応し、日本でもビジネスを国際展開している企業を中心に、発展途上国における人権問題への認識が高まりつつあると言えよう。

また、国連に限らず、欧米では企業に対する人権の対応に厳しい目が向けられている。最近の事例として、中国の新疆ウイグル自治区の人権侵害の疑いがある組織が生産に関与していることを理由に、米国税務当局が日本企業製シャツの輸入を差し止めたニュースは記憶に新しい(*1)。英国では、2015年3月に「2015年現代奴隷法」が制定され、同年7月末に施行されている。2015年10月から、サプライチェーンにおける奴隷制排除のため、年間売上高が一定規模を超え、英国で活動する営利団体・企業に対し、奴隷労働や人身取引がないことを確実にするための声明の公表を義務づけた(*2)。

*1:2021年6月15日付、日経産業新聞2面による。

*2:日本貿易振興機構(JETORO)のウェブサイトに掲載された「2015年現代奴隷法」の和訳による。(https://www.jetro.go.jp/orld/ports/021/01/aa1e8728dcd42836.html (検索日 2021年11月16日))

人権問題の中でも、特に批判が強いのが発展途上国における児童労働である。最近、日本企業においても、サプライチェーンの川上にある調達・加工過程が発展途上国にある場合は、自社のみならず、業務委託先や購入先などにおいても児童労働を排除する取り組みがみられる。また、製造現場における強制労働や児童労働がないか、労働環境を調査するソーシャル・オーディットについての認識も徐々に広まりつつある。さらに、グローバルなサプライチェーンで影響を受け、世界中の労働者とコミュニティの権利と福利を支援することを目的とする国際的な非営利団体RBA(Responsible Business Alliance(*3))に加盟する日本企業もある。また、RBAの監査に積極的に応じる日本企業もみられる。しかし、多くの日本企業は日本国外のサプライチェーンで起こる人権問題、特に児童労働に対する認識が弱いと批判されている。

*3:RBAのウェブサイトによる。(http://www.responsiblebusiness.org/about/rba/ (検索日2021年11月16日))

そこで、さまざまな困難や失敗を経験しながらも、児童労働撲滅に取り組むネスレの事例を考察する。ネスレの児童労働撲滅は単なる寄付行為や活動ではなく、本業の一環として取り組んでいることは注目に値する。ネスレは、自社の事業を通じて児童労働撲滅という社会課題に取り組むことにより、社会的価値と経済的価値を創造する経営戦略を実践している企業と言えよう。3つのパートに分けて児童労働について考える。第1に児童労働の問題点を検討する。第2に「共通価値の創造」戦略の一環としての、ネスレの児童労働撲滅の取り組みを検討する。第3にネスレの「共通価値の創造」を可能としている経営力について考察する。これらの3つの視点から児童労働について検討する。これらは、サプライチェーンの児童労働問題への対策に悩む日本企業の参考になると考える。

児童労働はなぜ問題か

持続的幸福度,子供たち
(画像=Evgeny Atamanenko/Shutterstock.com)

1. 児童労働の現状

2020年時点の世界の18歳未満の児童労働数は、ILOとユニセフの統計によれば約1億6,000人である。そのうち、対象とする、カカオの2大生産地であるコートジボワールとガーナの児童労働数は合わせて約156万人である(*4)。内訳はコートジボワールで79万人、ガーナでは77万人である(*5)。コーヒー豆と並びカカオの栽培においては、児童労働が生まれやすいと言われている。2019年のカカオ生産量でみると、世界最大の生産地であるコートジボワールは218万トン、第2位のガーナで81万トンであった。2019年の両国の合計生産量299万トンは、カカオ生産上位20カ国の合計550万トンの54.3%を占めている(*6)。このような理由で、児童労働撲滅に取り組む国際機関や非営利の市民団体から、コートジボワールとガーナのカカオ農園は監視の的となっている。

*4:児童労働の撤廃と予防に取り組む国際協力NGOであるACEのウェブサイトによる。(https://acejapan.org/choco/childlabour (検索日2021年11月28日))

*5:Ibid.

*6:国連食糧農業機関(The Food and Agriculture Organization, FAO)データベースによる。 (https://www.fao.org/faostat/en/#rankings/countries_by_commodity (検索日2021年11月28日))

ESGカオスを超えて
(画像=ESGカオスを超えて)

国連は、児童労働について、若年層雇用や学生労働とは異なる人権侵害を構成する搾取の一形態であると明言している。「児童」には18歳未満のあらゆる男女が含まれるものの、18歳未満の子どもをすべての労働から解放するのではない。図表7-1が示すように、年齢および発育段階によって、子どもが許容できる仕事と許容できない仕事に関する国際基準に基づくルールがある。ILO条約第182号は、各国政府に対し、18歳未満のあらゆる子どもの最悪の形態の児童労働の廃絶を優先課題とするよう要求している。国連は最悪の形態の労働を下記のように定義している(*7)。

*7:国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンのウェブサイトによる。(https://www.ungcjn.org/gc/principles/05.html (検索日2021年11月18日)

〈最悪の形態の労働〉

  • あらゆる形態の奴隷制度 ― 子どもの人身取引、債務による拘束、強制的労働と強制的労働、および武力紛争における子どもの使用。
  • 売春、ポルノ制作またはポルノ目的のために、子どもを使用、斡旋、提供すること。
  • 薬物の生産と密売をはじめとする不正な活動のために、子どもを使用、斡旋または提供すること。
  • 仕事の性質や働く環境の結果として、子どもの健康、安全または道徳に害を及ぼすと予想される労働。

2. 児童労働の問題点

国連は、「児童労働は低年齢の子どもに作業を強いるため、子どもの身体、社会性、知性、心理、精神の発達を阻害する。また、児童労働は子どもから幼年時代と尊厳を奪うことになる。(中略)児童労働により、初等教育を修了していない子どもたちは、読み書きができないまま取り残される。そのため、仕事を得て経済発展に貢献するために必要な技能が、全く身につかない傾向にある(*8)」と報告している。このように、国連は、発展途上国における人権と経済開発の両面から、児童労働を厳しく非難している。

*8:Ibid.

児童労働のため教育を受けることができなかった子どもが成人しても、賃金の低い単純労働にしか就くことができない。家庭を持ち親になったとき、貧困による生活苦のために、自分の子どもにも児童労働を強いることになる。このように、世代を超えて貧困と児童労働が繰り返され、いつまでも貧困から抜け出せないのである(*9)。

*9:Ibid.

この負の連鎖を断ち切るため、国連は「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals, SDGs)」では、目標1で「貧困をなくそう」を掲げ、貧困の撲滅に強い決意を表している。また、目標1に限らず、SDGsの17目標の根底には、国連憲章の3つの重要な目標の1つである「人権」がある。日本企業は、SDGsに賛同するのであれば、17目標のいずれに注力するかに関係なく、人権問題である児童労働に強い関心を持つべきと考える。

3. 企業が児童労働問題に取り組む理由

国連グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンのウェブサイトには、児童労働に関与すれば企業の評判に傷がつく危険性が高まると警鐘を鳴らしている。そして、特に、大規模なサプライチェーンとサービスチェーンを有する多国籍企業に当てはまることを指摘している(*10)。今回、児童労働撲滅に積極的に取り組む企業の事例として、本記事で取り上げるネスレにおいても、児童労働に関わる訴訟を経験している。

*10:Ibid.

2005年、アフリカ人男性6人は、(子供のときに)マリから人身売買されコートジボワールのカカオ農園で強制的に働かされたと主張した。そして、その農園からカカオを調達したという理由で、ネスレ(Nestlé USA)などを訴えた。訴訟は長期化し、2021年6月に米国の最高裁判所が原告の訴えを却下したことによりようやく決着した(*11)。ネスレに対する訴訟は、自社内で児童労働を排除していても、調達先で児童労働があれば責任を問われるという、サプライチェーンに潜むリスクとして教訓とするべきである。

*9:BBC Newsのウェブサイトによる。(https://www.bbc.com/news/world-us-canada-57522186 (検索日2021年11月29日))

しかし、企業ブランドの毀損、評判リスク(reputation risk)という後ろ向きの対応ではなく、企業は事業を通じて児童労働という社会課題を解決し、社会的価値と経済的価値を創造する戦略を立案し実践するべきと考える。法律や規制を乗り越えて、事業を通じて社会課題を解決することが、企業の持続的成長を実現するドライバーになると考える。

ポーター・クラマー(2011)により、ネスレは共通価値の創造に取り組んでいる企業として広く知られている。しかし、ネスレが共通価値の創造の一環として、2008年から現在に至るまで、NPOとの協働で児童労働撲滅に取り組んでいることはあまり知られていない。

ネスレは、先に述べた訴訟を経験するものの、国際機関や市民団体からの働きかけに受動的に対応するのではなく、彼らと協働で能動的に児童労働撲滅に取り組んでいる。しかも、ネスレの児童労働撲滅の取り組みは、法律や規制を乗り越えた取り組みである。このようなネスレの共通価値の創造としての児童労働撲滅の取り組みは、日本企業の参考になると考える。

=ESGカオスを超えて
北川 哲雄
青山学院大学名誉教授・東京都立大学特任教授
早稲田大学商学部卒業、同大学院商学研究科修士課程修了、中央大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(経済学)。シンクタンク研究員、運用機関リサーチャー等を経て、2005年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。2019年より現職。

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