この記事は2022年11月24日に三菱総合研究所で公開された「DX・GX時代の「企業の人的資本投資」のあり方 最終回:総括 産業構造変化に対応した人的資本投資の要諦」を一部編集し、転載したものです。

企業の人的資本投資
(画像=Vladimir Badaev/stock.adobe.com)

目次

  1. 産業構造変化を生き抜くための人的資本投資のポイント
    1. 問1 人的資本投資の目指す姿は明確になっているか
    2. 問2 人的資本投資を本気の「投資」と捉えているか
  2. それでも足りないDX・GX対応のキャリアシフト:産業・企業をまたぐキャリアシフト促進の必要性

本シリーズ第1回「DX・GXの2大潮流が生む人材需給ミスマッチ拡大と企業の対応」では、「人的資本投資」とは産業構造変化に伴い変化してきた経営戦略・事業戦略と人材戦略を連動させる取り組みであり、戦略実現に求められる人材像・人材ポートフォリオと現状とのギャップを早期に埋めるための経営レベルの投資判断であると述べた。

続く第2回「DX・GX対応のカギとなるキャリアシフト3類型」では、DX・GXに伴う産業構造変化を生き残るために企業が描いた経営戦略、その実現に向けた人事戦略を策定する上で押さえておくべき人材ポートフォリオの捉え方、求められる人材タイプの変化を中心に説明してきた。

そして第3回~第5回では、「3つのキャリアシフト類型実践例に見る『人的資本投資』のあり方」を共通テーマとして、3つのキャリアシフト類型それぞれについて、企業の現状の取り組み状況を、三菱総合研究所が実施した企業向けアンケート(2022年8月実施)結果から示すとともに、企業の取り組み事例を紹介してきた。

最終回では、これまでの議論を総括し、特に3つのキャリアシフト類型の実践例を振り返りながら、産業構造変化に対応した人的資本投資の要諦についてまとめていく。

産業構造変化を生き抜くための人的資本投資のポイント

第3回~第5回において、3つのキャリアシフト実現に向けた企業の人的資本投資の実情と事例を紹介してきたが、いずれの事例も外形だけを見るならば、従来各企業で実施されてきた人材育成の取り組みとそう大きく変わらないと感じられるだろう。

では、これら事例を通して強調したいポイントはどこか、さらに言えば産業構造変化に対応するための人的資本投資として、何がポイントになり得るのか。大きく2つの問いを挙げてみたい。

問1 人的資本投資の目指す姿は明確になっているか

本シリーズ冒頭で指摘している通り、企業の人的資本投資が目指すものは「経営戦略と人材戦略とのつなぎ込み」である。

産業構造変化を生き抜くための経営戦略実現に向け、どのような人材がどの程度必要か明確にし、それら人材をどのように獲得ないし育成していくか具体的なアクションプランまで描かれていることが人材戦略の要諦である。

これらが明確になっていない状況下で教育プログラムを拡充していくことは、人的資本投資とは言えないどころか、むしろ投機的企業行動と言ってよい。

付け加えれば、資本市場からの非財務情報開示への要請に応えるために社員への教育投資を増やす、スキルの選択と集中をせずに何となく優秀な人材を育てようとするといった例も少なからず見受けられるが、これらも目的を持った投資行動とは言えない。

第3回第5回で紹介した双日や第4回で紹介したボッシュの取り組みは、背景にそれぞれ明確な目的やポリシーが存在している。

双日の事例では、「人材は会社の資本である」というポリシーの下、双日が目指すDXとは何か、デジタル人材育成プログラムを通してどのような人材を育成し、どのようにパフォームさせていくかの筋書きが明確になっている。

ボッシュでは、不確実な時代を生き抜くために重要な「学び続ける姿勢」を文化として定着させることをねらいとし、そのために必要な「Discover(発見)」と「Upskilling&Reskilling(学び)」の機会を充実化させている。

こうした企業の思いに社員が呼応し、パフォーマンスを向上させていくことで思い描いた経営戦略を実現させ、その結果資本市場・労働市場からの評価としての企業価値が高まり、さらに良い人材が集まってくる。

「経営戦略と人材戦略とのつなぎ込み」の先には、こうした正のサイクルが回り続ける姿が期待される。

問2 人的資本投資を本気の「投資」と捉えているか

人的資本投資という言葉が浸透してきている一方で、いまだに社員教育への投資をコストと混同する傾向は強い。図表1は、企業向けアンケートにおいて、中核人材/変革人材育成への取り組みに参画した社員がプログラム修了後に離職することを問題視するかを聞いた結果である。

企業規模に関わらず、問題視しているとする回答が、問題視していないとする回答の割合を上回っている。日本において、人材流動化の必要性を十分に理解できていない企業が依然として多いことが分かる結果といえる。

図表1 教育プログラムに参画した社員の離職への問題意識(企業規模別)

図表1 教育プログラムに参画した社員の離職への問題意識(企業規模別)
(画像=出所:三菱総合研究所)

他方、図表1の設問で「強く問題視している」「やや問題視している」とした回答者に、その理由を尋ねた結果が図表2である。全体として最も選択率が高かったのが、「教育に投資したコストが無駄になるから」であり、回答者の6割弱がこれを理由として挙げている。

この結果からも、社員教育への「投資」と言いながらも、まだコストと捉えられる傾向が強いことが分かる。

相応のコストをかけた社員が離職した場合、かけた教育コストはサンクコスト(回収できないコスト)と見なされることになる。すると、サンクコストが膨らむことへのリスク意識が、教育コスト拡充にブレーキをかける要因となる。日本企業において人的資本投資が加速しないと言われる背景には、こうした意識変革の遅れが存在すると言えよう。

図表2 教育プログラム参画社員の離職を問題視する理由

図表2 教育プログラム参画社員の離職を問題視する理由
(画像=出所:三菱総合研究所)

第5回で紹介したSCSKでは、新卒採用の社員が入社してからの4年を集中的な教育期間としており、社員1人あたり実に1,350時間に及ぶ教育時間が設定されている。入社4年目までの社員が全員、月に約30時間を教育研修の受講や自己研さんに当てている計算となる。

当初は現場から不満の声もあったというが、「人を大切にする」姿勢を明確に打ち出し、「本気で」社員に投資をしていく姿勢が文化として浸透したことで、むしろ上長や同僚も教育研修への参加を後押しする雰囲気が出てきたそうだ。

こうした手厚い教育を受けた社員が離職してしまうことについて、同社の人事担当は、「離職は抑えられるに越したことはない」と前置きをしつつも、「『会社も個人も成長していく』考え方が重要」「教育を受けた社員がその後も成長し続けられる環境を整えることが、リテンション(引き留め)にも繋がる」と話している。

サンクコスト化することを恐れて二の足を踏むのではなく、定めた方向性に向かって本気で投資しようとする同社の姿勢が垣間見える。

さて、以上の2つの問いにYesと答えられる状況を作ることは、企業の「本気の人的資本投資」への地ならしであって、成功要件ではない。無論成功するか否かは結果論であり(現時点で成否を評価するのは時期尚早である)、何よりも人的資本投資は不断の取り組みである。

まず、これらにYesと言える風土・文化を、経営層から一般従業員まで、企業全体に浸透させることが人的資本投資に対して期待したリターンを得るための必要条件と言える。

それでも足りないDX・GX対応のキャリアシフト:産業・企業をまたぐキャリアシフト促進の必要性

本コラムでは、DX・GXの2大潮流に伴う産業構造変化に際し、個々の企業がどのような考え方で臨み、どのような取り組みを進めるべきか、事例を交えながら解説してきた。

ただし書きとして強調せねばならないのは、これらはあくまで個々の企業というミクロな視点での取り組みという点である。日本の労働市場全体から見れば、各企業内でのスキル転換・人材シフトをどれだけ実現しても、DX・GX対応として十分な労働移動には遠く及ばず、人材需給ミスマッチも解消し切れない。成熟した、今後人材需要が縮小する領域から成長領域に人材をシフトさせていくことは、労働人口全体の確保と同様に、国家の存続にすら関わる重要かつ緊急度の高い課題である。

この課題認識は、昨今大企業の経営者の多くに浸透してきているものの、各企業の人材マネジメントは依然として長期雇用が前提とされており、企業ないし産業をまたいでダイナミックに行き来する人材をどのように活躍させるかには意識が及んでいない場合が多い。中長期的な育成やリテンションなどの施策と人材の流動性を高める施策は、必ずしもトレードオフの関係とはならない。

現在の基盤事業・成熟事業を従来の人材マネジメントで緩やかに維持しつつ、次世代の基盤となり得る成長領域に向けては、企業・産業をまたいだ人材のダイナミックな行き来を容認し、推進していくことが求められる。

日本の労働市場全体における成長領域への人材シフトは、個社に閉じた取り組みではすでに限界が見えている。ジレンマを脱却し、政労使が一体となって、成長が見込まれる産業・事業領域に人材をシフトさせていく取り組みが不可欠である。この点は続編「DX・GX時代に求められる『地域版人的資本経営』」で詳細に解説する。

大内久幸
三菱総合研究所 政策・経済センター