本記事は、浦上克哉氏の著書『もしかして認知症?軽度認知障害ならまだ引き返せる』(PHP研究所)の中から一部を抜粋・編集しています。
なぜ「環境の変化」が認知症を悪化させるのか?
急激な環境の変化によって、認知症の症状が悪化するケースがあります。私もこのケースに初めて遭遇したときは、大変びっくりしました。そのケースを紹介しましょう。
私が診ていたアルツハイマー型認知症のおばあちゃんは一人暮らしをしていました。
あるとき、ものすごく症状が悪くなって来院されたのですが、その理由が私には思いつきませんでした。
家族から話を聞くと、最近、息子さんが認知症の母親を自分で介護したいと地元に戻ってきていました。大変に親孝行な息子さんで、3世代が同居できる立派な家を新築されました。
しかし、皮肉なことに、その新築の家で新生活を始めたことで、おばあちゃんの認知症が悪化してしまったのです。なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。
アルツハイマー型認知症の人は、昔のことはわりと覚えていますが、最近のことが覚えられないという特徴があると述べました。
長年住み慣れた家で生活していれば、どこに何があるかは覚えていますので、新しい記憶をあまり必要としません。アルツハイマー型認知症が進んでいても、住み慣れた家ならそれほど困ることなく生活が続けられます。
ところが、新築の家に住むとなると、すべてが新しくなります。部屋の中はもちろん、どこにトイレや風呂があるのかや、家から病院やスーパーへの行き方など、何から何まで新しく覚えなくては生活ができません。しかし、おばあちゃんは、それらの新しいことをほとんど覚えられないため、症状が悪化してしまったのです。
このように、急激な環境の変化があると症状が悪化することがあります。ただ、このケースでも、認知症という病気が急に進行したわけではありません。新しく覚えなくてはならないことが急増したのに、それらを全然覚えられないために、急に悪化したように周囲からは見えるのです。
MCIでも、新しい記憶に対しての障害がありますので、重度認知症ほどではないですが、急激な環境変化によって症状が悪化したように見える可能性はあります。
「ナンスタディ」が教えてくれること
疫学者のデヴィッド・スノウドン教授が行った「ナンスタディ(nun study:修道女研究)」という有名な研究があります。
若いときに修道院に入り、修道女(nun)として何十年間も生活し、80代、90代で亡くなられた人たちの脳を調べたところ、一部の人はアルツハイマー型認知症の病変をもっていました。
しかし、この修道女たちに認知症の症状はなかったと報告されています。
これは、古い記憶だけで生活を続けることができ、新しい記憶が必要なかったからだと考えられます。もの忘れがあったとしても、周囲の人が認知症の症状だとわかるほどではなく、本人も生活に困らないため自覚もありません。
若いときに勉強を重ねた教育レベルが高い人は、認知機能も高くなっています。年齢を重ねるごとに少しずつ低下していきますが、最初が高いレベルなので、そうでない人よりも発症が遅くなります。
修道女は若いときから聖書を読み、学び続ける生活が続きます。若いときの教育レベルが高く、かつ学び続けることが認知症予防になったのかもしれません。
また、高齢の修道女は周囲から非常に敬われる存在だったことは間違いないでしょう。そうした環境も、認知症になりにくくした可能性があります。
逆に、認知症になったことがわかり、邪険に扱われるようになると、症状が進みやすくなります。認知症の人と関わる人は注意してください。
このナンスタディからもわかるように、高齢者、特に認知症を発症してからは、環境をあまり変えずに、住み慣れた家、住み慣れた町に住み続けるほうが病状には良いようです。