「ラガヴーリン」の歴史
アイラ島で最も古い蒸留所の1つであるラガヴーリン蒸留所の歴史は、200年以上前にさかのぼります。
かつては「ホワイトホース」の看板が蒸留所に掲げられるなど、「ホワイトホース」との結びつきも強い「ラガヴーリン」の歴史について、詳しく見てみましょう。
蒸留所の創業は200年以上前
ラガヴーリン蒸留所は、今から200年以上前に創業しました。
歴史上の正式な稼働年は、1816年。
農業のかたわらで蒸留も手掛けていたジョン・ジョンストンがライセンスを取得後、蒸留所を設置した年となっています。
しかし、1700年代、蒸留所の周辺地域には、すでに複数の密造酒造所が存在していたという記録があるようです。
以降、ラガヴーリン蒸留所は多くの酒造家やオーナーによって運営されてきました。
ジェームズ・ローガン・マッキーが蒸留所を買収
1836年のジョンストンの死後、ラガヴーリン蒸留所はアレキサンダー・グラハムというグラスゴーのスピリッツ商によって所有されていました。
1862年、ジェームズ・ローガン・マッキーが買収。
ジェームズ・ローガン・マッキーという人物は、「ホワイトホース」の生みの親であるピーター・マッキーの叔父に当たります。
ピーターは、1887年以降ラガヴーリン蒸留所で働くようになり、ウイスキー造りを学びました。
「ホワイトホース」創業者、ピーター・マッキーが継承
1889年、ピーターが正式にラガヴーリン蒸留所を継承し、長い年月をかけて蒸留所の経営に取り組みます。
ピーターは「レストレス(休みを知らない)・ピーター」としてウイスキー業界では有名人。
常に動き回り、口癖は「Nothing is impossible(不可能なことはない)」という、巨漢でエネルギッシュな人物だったそうです。
そんなピーターですが、1924年に69歳で亡くなります。
ピーターの死から3年後の1927年には、ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド(DCL社)によって買収され、DCL社が「ラガヴーリン」の経営を引き継ぎました。
UD社の「クラシックモルト・シリーズ」に選出
1980年代後半に入ると「ラガヴーリン」はDCL社の経営難から、ギネスグループに買収され、UD社(現在のディアジオ社)の傘下に入りました。
これを期に、ギネスグループのUD社はこれまで力を入れてこなかったシングルモルトに注目し、1988年に「クラシックモルト・シリーズ」を発表。
「クラシックモルト・シリーズ」は世界的な注目を集め、現在のシングルモルトブームの火付け役となりました。
ちなみに、「クラシックモルト・シリーズ」に選出されたのは「ラガヴーリン」の他、以下の5銘柄です。
- クラガンモア
- ダルウィニー
- オーバン
- グレンキンチー
- タリスカー
「クラシックモルト・シリーズ」のラインナップは、32年たった今でも変化がなく、世界中で愛されています。
(唯一変化があったのは「グレンキンチー」の熟成年数のみ)
現在はディアジオの傘下
ラガヴーリン蒸留所は、1997年の合併により誕生したディアジオ社の傘下となりました。現在も、ディアジオ社が所有しています。
「ラガヴーリン」が現在もなおウイスキーファンに愛されているのは、個性的な味わいや、200年以上に渡る長い歴史によるのでしょう。