20150618174213_yuhei_shibata (この記事は6月18日に「 アナザーライフ 」に掲載されたものです。)

複数の飲食店を経営しつつ、様々な企画を行う「マーケッター」としての顔も持つ柴田さん。飲食店経営者を目指し、レストランでの修行や家庭料理を学ぶヨーロッパ旅などを経て、なぜ「企画」の世界に魅せられたのか?お話を伺いました。


経営者としての一面と、父親としての一面

僕は埼玉県で生まれました。父は経営者で、家の下の階が会社でした。そのため、父が社長として社員に慕われる姿をよく見ていました。社員の働きやすさを重視した環境を整えていて、離職率は0%。夏も冬も長期休みがあり、子どもの授業参観などの時には休める制度もあったんです。

そんな姿を見て、僕も将来は父のような経営者になりたいと考えるようになっていきました。ただ、父は家庭を省みない生活を送っていたので、「なんで会社と家ではこんなに違うのか」と思っていましたね。そして、高校1年生の時に、両親は離婚。母は家を出ていき、父も海外での仕事にかかりきりになってしまい、僕は妹と2人で生活するようになったんです。

父は毎月、高校生が生活するには十分過ぎるお金を振り込んでくれました。ただ、お金で何でも解決しようとする姿は嫌でした。経営者としては父みたいになりたいけど、親としては反面教師だと思っていたんです。

妹との二人暮らしが始まり、最初はデリバリーの食事を頼む生活をしていきました。しかし、1ヶ月もすると飽きてしまったので、僕がご飯を作るようになりました。初めて作ったカレーは大失敗で、妹にも「不味い」と言われるほど。それでも、「妹を食べさせる責任がある」と思っていたので、毎日ご飯を作るようになり、少しずつ料理の腕は上達していきました。

そして、高校卒業後は調理師学校に進むことにしました。将来、経営者になるためには、早く働きたいと思っていて、自分のできることや興味のあることは「食」だったんです。料理や食べることだけでなく、食がある空間も好きでした。食卓、農家で野菜が取られる空間、市場で野菜が売られる場所など、何となくその空気が心地良かったんです。