(本記事は、長倉 顕太の著書『GIG WORK(ギグワーク)』すばる舎の中から一部を抜粋・編集しています)

人生のルールが変わってきた

40代,人生100年時代,キャリア
(画像=altafulla/Shutterstock.com)

いまの若者は生まれたころからデフレだったというのも関係していると思っている。デフレ下では何もしないのが得策になるからだ。何もせずに預金(または現金)を抱えていれば、物価が下がっていく中で預金(または現金)の価値は勝手に上がっていく。何もしないのが得策という世界が生まれた瞬間から広がっていれば、安定を求めて保守的になってしまうのもわからなくはない。

実際、ここ最近になり、あらゆるデータが出てきており、その結果、日本だけが世界で取り残されている現状も明らかになってきている。オレは8年前からアメリカと日本の二重生活をしてきたわけだが、日本の物価の極端な安さを伝えてきた。オレは日本でも恐らくもっとも物価が高いであろう南青山や南麻布で暮らしていたわけで、それでもサンフランシスコの物価に比べれば安い。でも、多くの日本人はいまだに「日本の物価は高い」と思っている人がいたりする。

バブル経済が崩壊してから30年が経ち、多くの数字が日本の衰退を示している。ある調査によるとこの期間における名目GDPの成長率を見たときに、アメリカ4倍、イギリス5倍、韓国18倍、中国75倍なのに対して、日本は1.5倍。1997年〜2007年の民間部門の総収入を見たときに日本は主要国で唯一のマイナスで9パーセントの下落。ちなみに、アメリカは76パーセント、イギリスは87パーセント、フランスは66パーセント、ドイツは55パーセント、韓国は2.5倍に増えている。

このような数字を見ても、日本だけが取り残されている感は否めない。30年間にわたるデフレ経済の日本に対して、世界各国は成長していたわけだから当たり前と言えば当たり前だが、オレが危機感を感じるのは政府だけでなく、多くの人々が危機感を持っていないこと。

それは島国である日本にだけいる人があまりにも多くいるからだと思い、オレは『移動力』(すばる舎)という本を書いたくらいだ。日本のパスポートは世界一使えるにもかかわらず所持率が30パーセント以下という現実からも多くの日本人が世界を知らない、自分たちの国を知らない。

このような状況になっている最大の要因は、日本の社会システムが時代に合っていないのが原因だ。にもかかわらず、30年間にわたり何も手をつけずにきた結果が現れたにすぎない。より多くの人が外に目を向けて、客観的に日本を観ることができればよかったと思うが、残念ながらそうはならなかった。

時代遅れの日本の教育

社会システムが時代に合っていないわけだが、その中でも非常に問題なのが教育だろう。よく言われていることだが、画一的な学校教育を受けた人では予測不可能な時代においては生き残れない。

たしかに日本の教育システムが機能していた時代もあった。高度経済成長期の1960年代からバブル崩壊の1980年代後半まではまさにそうだった。その結果、1989年の世界の時価総額上位のほとんどを日本企業が占めていたわけだが、2019年の現在では上位に日本企業は見当たらない。

さらに恐ろしいのは、あらゆるデータが教育システムの失敗を示しているにもかかわらず、未だに変わっていないということだ。

もちろん、2020年から受験改革を実施するなど、少しずつではあるが変化の兆しは見えるが、オレは日本の学校システムそのものに問題があると思っているのであまり期待していないし、何かしらの変化が起きても、その成果が出るのはだいぶ先になるだろう。そういった意味でも、既存の教育を受けてきた人たちをどう時代に対応させるかを考えるほうが重要だ。

オレは20代のコミュニティを主宰しているが、そこで会う若者たちの大半の悩みが「やりたいことがありません」というものだ。これは仕方ないことだと思う。義務教育の過程で「言われたことを言われた通りにやること」が正しいと洗脳されてきて、いざ社会に出てみたら「自分で考えろ」とか「やりたいことで生きろ」みたいなことを言われ続ける。

直接言われなくても、自然とそういった情報が入ってくる環境が今の日本だ。オレも書籍の編集者だったわけで、「好きなことで稼ぐ」系の本がよく売れているのは目の当たりにしていた。

いわゆる自己啓発と言われるジャンルであるが、根強く売れ続けている。2018年のベストセラー年間ランキング1位になった『漫画君たちはどう生きるか?』(吉野源三郎原作、羽賀翔一漫画、マガジンハウス)はまさに多くの人が生き方に迷っていることを証明している。

このような教育を受けてきた人の多くは「答え」や「やり方」を教えてもらわないと行動できないという特徴を持つ。「答え」だけでなく、「やり方」まで求めてしまう。そういった思考を持った人は、 想定外のことに直面したときに思考停止になってしまう。

オレがよく言うのは、「キャラメルマキアートはできるのに、キャラメル入りミルクをつくらないカフェ」についてだ。これはキャラメルマキアートがメニューにあるのでキャラメルシロップもミルクもあるにもかかわらずキャラメル入りミルクを注文してもつくってくれないカフェのこと。

現実に何軒かで試したが日本のカフェではことごとく断られたが、アメリカではつくってもらえる。もちろん、価格の問題もあるだろうが価格はキャラメルマキアートと同じ分だけ払うと伝えている。

なぜこういうことになるかといえば、オレたちが「やり方」も教えてもらうという教育を受けているからだ。だから、マニュアルに書いていないことはできないし、すぐに思考停止に陥る。

「やり方」を求める人が多いというのは、ゲーム攻略本がベストセラーになることからも証明されるだろう。ゲームの「やり方」を見ながらプレイすることに何の抵抗もないどころか、それを好むわけだ。

「やり方」を求める人間を育てる教育をしていれば、予測不可能な時代に対応できるわけがない。ここ30年の日本の凋落はまさにここが原因なのではないかと思う。

議論させないから自分がない

先日もスタンフォード大学がやっているスタンフォードオンラインハイスクールの星校長と話していて気づいたんだが、「日本人は信念を持っていないな」ってこと。オレはサンフランシスコで子供を育てているわけだが、彼女とその友人たちを見ていると本当に議論が好きだ。

アメリカのカフェなんかでは、多くの人が議論かどうかはわからないが、やかましいくらいに話している。小学校低学年から自分の意見を持つことの重要性、その上で議論するという習慣がアメリカで育つと身に付くのかもしれない。

オレは議論というのは結構、人生にとって重要なんじゃないかと思っている。結局、人は他人と対峙したときにしか自分を意識できないからだ。赤ちゃんが他人と出会い初めて自分という存在を知るように、人は他人との対話から自分を確立していく。にもかかわらず、日本には議論をする文化がないために、自分がない人が多いように思える。

議論をしないから、自分の思想、自分の信念、自分の立場が確立されていかない。自分がなければ、どうやって生きていけばいいかなんて決められるわけがない。それどころか、自分がないわけだから、周りに流されていくだけの人生になってしまう。

その結果、生まれたときからデフレ、終身雇用の崩壊、年金制度の崩壊など不安を煽られて生まれ育てば、若者たちが必然的に安定を求めてしまうのもわからなくはない。しかも周りにいる大人たちの多くも代わり映えのしない人だったりだ。

アメリカから日本に帰ってきていつも感じるのは、同じような人がやたら多いなってこと。

もちろん、アメリカのようにいろんな人種がいないというのもあるかもしれないが、それ以上に「普通」という枠に多くの人がおさまってしまっている気がする。しかもその「普通」の枠はとてつもなく幅が狭い。その狭い枠に大半の大人たちがおさまっているわけだから、多くの人たちが同じように見えてしまうのも無理はない。

多くの人が「普通」の枠に入ってしまう理由も、自分がないということにつきるのではないか。自分がなければ周りに流されていくしかないから、同じような「普通」な人が周りに増えていく。

よく日本社会は「同調圧力が強い」とか「出る杭は打たれる」みたいに言われるが、自分がない人たちばかりだということでしかない。

著者との対話もない

議論がないことも問題だが、読書する人が少ないというのも問題だ。なぜなら、読書は著者との対話でもあるからだ。オレが拙著『モテる読書術』(すばる舎)の中でも書いたように、「読書は知らないことを知るためにある」と思っている。自分が知らないこと、自分と違う考えを知ることで自分を知るようになる。

ただ、ここでの問題はオレたちの多くが本を読むことができなくなってきているということ。読解力が著しく低下しているために、自分勝手に読むだけで終わってしまう。つまり、著者との対話になっていないってこと。

これも日本の教育の問題だと思う。今思い出すと、オレたちが受ける国語の授業では、小説の一部を抜粋してあるだけで全部を読ませない。こんなことで読解力なんかつくわけない。

ベストセラーになった新井紀子著の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)では、AIはほとんどの大学入試を突破できるが、東大は無理だと結論を出す。

その理由は東大の入試問題が記述式で読解力を必要とするものだったからだ。だから、読解力を持つことがAI時代に生き残るのにもっとも必要な能力であると結論づけるわけだが、そこで子供たちの読解力を調べた結果が散々であったと。

また、読解力がないと世界を認識できなくなるという問題も出てくる。なんだかんだ言っても世界は情報でできていると言ってもいい。そして、どんな情報もオレたちは言葉で認識することになる。当たり前だが、情報をきちんと読解しようと思えば、読解力が必要になる。読解力がないというのは、世界を形成している情報をきちんと認識できないことになる。

それはすなわち、世界を認識できないということになる。これってやばくないか。世界を認識できないってことは、ゲームで言えばルールを知らないのと同じだ。そりゃあ勝てるわけないだろ。

実際、オレの知っているいわゆる成功者と言われるような人で、読書をしてない人はいない。それなりの経営者だったりで読書しない人って皆無なんじゃないか。

GIG WORK(ギグワーク)
長倉 顕太(ながくら・けんた)
1973年東京生まれ、学習院大学卒。28歳のときに出版社に拾われ、編集者としてベストセラーを連発。その後、10年間で手がけた書籍は1000万部以上に。現在は独立し、サンフランシスコと東京を拠点に、コンテンツ(書籍、電子書籍、オウンドメディア)のプロデュースおよび、これらを活用したマーケティングを個人や企業にコンサルティングのほか、教育事業(若者コミュニティ運営、インターナショナルスクール事業、人財育成会社経営)に携わる。
ベストセラー作家から上場企業まで手がける。著者に『親は100%間違っている』(光文社)、『超一流の二流をめざせ!』(サンマーク出版)など多数。

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