(本記事は、横山啓太郎氏の著書『健康をマネジメントする 人生100年時代、あなたの身体は「資産」である』CCCメディアハウスの中から一部を抜粋・編集しています)

どうせ長生きするなら主体的に健康を選ぶべき

長生き
(画像=Gunnar Pippel/Shutterstock.com)

都合よく人生を終えることはできない

健康マネジメントにつとめながら70歳をむかえた人と、不摂生しつづけて70歳をむかえた人とでは、70歳前後を境にその健康状態に大きく差がついてくる。それが私の見立てです。

ほどほどに食事に気を配り、ときには運動をし、健康維持に多少なりとも意識的だった人は、老化をゆるやかにできるでしょう。加齢による衰えは感じつつも、認知症や寝たきりにはならずに人生を終えられる確率が高くなります。

一方、不摂生をつづけ、ときには急性疾患を起こしながらなんとか70歳に到達した人はどうでしょう。残り20〜30年で合併症を併発したり、認知症や寝たきりになったりして人生を終えるかもしれません。

人生70年時代なら、「自分の体なんだからどうなろうと勝手だ」といって、好きなようにお酒やタバコをたしなめばよかったかもしれません。80歳、90歳、ましてや100歳まで生きる人は、当時はまれだったのですから。

その感覚で、「自分はダラダラと長生きなどしたくない」「自分は80歳ぐらいで死んだっていいから、好きな酒やタバコぐらいやらせろ」と思っている人はいまでもいます。

そういう人は、ある現実から目をそむけています。

それは、私たちはちょうどいいタイミングで都合よく人生を終えることはできない、という現実です。

70歳ぐらいで心筋梗塞かなにかでポックリ逝くのがいいと思っていても、実際には急性疾患におそわれても死にきれず、ガクッと低下した体力のまま、病気がちの体で長生きしてしまう。健康で長生きならいいのですが、急性疾患によって弱った体で、あるいは認知症や寝たきりの体で長生きする確率のほうが高いのが、人生100年時代です。

そうなると家族にも体力的・経済的負担をかけるでしょう。それでも「自分の好きにさせろ」といえますか? なにより、自分自身が人生を楽しめないという、ひじょうにおもしろくない状況におちいってしまうのです。

健康マネジメントで人生を味わいつくす

100年生きうるのなら、私たちは主体的に健康を選ぶべきです。

あなたが、毎週末にゴルフをするのを楽しみにしているとしましょう。70歳で膝を痛めて歩くのがつらくなったら、死ぬまでの残り30年をどう楽しみますか?膝が痛くてコースを歩けなくては、ゴルフはできません。

ゴルフができないことで運動量が落ち、楽しみがないからと外出もおっくうになり、人と会うことも少なくなる。そうなると筋力ばかりか認知機能まで低下し、認知症や寝たきりへとつながる可能性も出てきます。

長生きするならば寝たきりではなく、なるべく老化の下り坂をゆるやかにし、ぎりぎりまで人生を楽しみたい。いくら「いつ死んでもいい」と言葉では強がってみせても、それが私たちの本心であり、願いなのではないでしょうか。

やはりできるだけ若いうちから、とくに体に不具合のないうちから、主体的に健康マネジメントをして将来のための最低限の備えをしておくべきです。

私はこれまで、たくさんのがんの患者さんも診てきました。80歳でがんが発覚して余命宣告されたものの、高齢のために手術ができない場合があります。そのとき、患者さんがどんな反応をするかも目の当たりにしてきました。

「80歳まで生きられましたし、もう十分です。あと2年、余生を楽しみたいと思います」

80歳の方ならそう言うと思いますか? 残念ながら、そんなふうに達観できる方はほとんどいらっしゃらないのが実状です。

「どうにかならないんですか? 手術でも抗がん剤でもなんでもやりますから!」

こうおっしゃる方がほとんどなのです。

余命を知ると、たいていの患者さんは大きなショックを受けます。終わりが決まっていると知ると、「ダラダラと長生きなどしたくない」といっていた人もガラッと考えを変えてしまうのです。

人間はこの世に生まれた瞬間から、100%確実に死に向かって生きていきます。それは誰もが頭では理解しています。死なない人などいないのですから。ただ、いつ、どのように死ぬかについてはあまり考えないように私たちはプログラムされているのではないでしょうか。

「いま健康で、体になんの問題もない。将来の健康状態なんて、そんな先のことを考える必要はない」と思う人は多いでしょう。自分の体を考えることは、自分が死ぬときのあり方を考えることにもつながります。

自分の死について考えるのはつらいことです。私たちが自分の健康についてなかなか考えられないのは、長期ビジョンをもつと死についても思いを致さざるを得なくなり、生きること自体がむなしく、つらく思えるからかもしれません。

しかし、100年生きてしまう時代はそこまできています。それならば、100歳まで生きる現実は受け入れ、そのかわりに最後まで自分らしく人生を楽しめるよう、私たちはそこに向かって準備をするべきです。

誰だって、苦しい状態で何十年も生きつづけたいとは思わないはずです。選べるのなら、私たちは幸せなほうを選ぶべきです。

それに、極端なことをいえば、私たちが100歳になるころには、いまの100歳よりもっと楽しい、幸せな未来が待っているかもしれないのです。

いまは80代であっても携帯電話やパソコンを使いこなして人生を楽しんでいる健康な人がたくさんいます。私たちが高齢になるころにはIoTやAIが日常生活に入りこみ、いまの80代よりさらに人生を楽しめている可能性があります。

そのときに寝たきりや認知症にはならない程度の健康状態を維持しておかないと、どうなるでしょうか?せっかくの時代の恩恵も享受できなくなります。

「老後に備える」というと、ネガティブな未来に対して少しでもダメージを減らすように準備しておくような受け身な感じをもつかもしれません。

言い方を変えましょう。人生100年時代を生きる私たちは、「人生を最後まで自分らしく味わいつくすために健康マネジメントをする」。そう主体的に考えてはどうでしょうか?

自分の寿命が100歳まであると仮定したとき、将来「どうありたいか」「なにをしてすごしたいか」を考え、主体的に健康を選びとるための行動を起こすのです。

健康をマネジメントする 人生100年時代、あなたの身体は「資産」である
横山啓太郎(よこやま・けいたろう)
東京慈恵会医科大学教授・行動変容外来診療医長。1985年東京慈恵会医科大学医学部卒業。国立病院医療センターで内科研修後、東京慈恵会医科大学第二内科、虎の門病院腎センター勤務を経て、東京慈恵会医科大学内科学講座(腎臓・高血圧内科)講師、准教授、教授。2016年、大学病院として日本初の「行動変容外来」を開設、診療医長に。日本内科学会認定医・総合内科専門医、日本腎臓学会認定専門医、日本透析医学会指導医。

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