(本記事は、トマス・J・スタンリー氏(著)、広瀬順弘氏(訳)の著書『1億円貯める方法をお金持ち1371人に聞きました』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

ジム・Rを破産から復活させた「祖母の教え」とは

教え
(画像=4Max/Shutterstock.com)

大学卒の学歴を持たずに一代で財を成したミリオネアであるジム・Rは、自分が裕福になったのには、いくつかの「成功の要因」とでも呼ぶべきものがある、と語る。ジムはゴルフ場をいくつも所有し、その経営者兼支配人でもある。いちばん重要なのは、自分の資質を存分に発揮できる理想的な職業を選んだことだという。彼にとって理想の職業とは、次に挙げる条件を満たすものだった──

・自分の能力と資質をフルに活かせる。
・経済的に自立できる確率が非常に高い。
・自分に誇りを持てる。

自力で億万長者になった人の多くがそうであるように、ジムもまた若い頃にさまざまな仕事を経験した一人で、現在の彼の職業は「偶然がもたらした職業」に分類されるものである。

彼には、事業を成功させた人物に特有の能力──私が「ハンターの鼻」と呼んでいる直観──が備わっている。チャンスを嗅ぎつけ、それが実際に市場で通用するかどうか見分けることができるのだ。とはいえ、ジムにとって億万長者への道は決して平坦ではなかった。一度は破産を経験している。それだけに、現在の成功は彼には感慨深いものがあるのだ。

フロリダ大学に入学したものの、落第して退学となり軍隊に入ったジムは、除隊後、大学生相手の「貸間管理業」を始めた。自分で一戸建て住宅やアパートを借りて部屋を学生に又貸しし、ついでに管理料を徴収して家賃の集金や家具の購入、光熱費の支払い、それに庭の芝刈りといった仕事をやったのである。この商売は大当たりし、数ヵ月のうちにジムは大学周辺の一戸建て住宅を24軒と、アパートを幾棟か貸し出すほどになった。一時は5000人以上の学生を顧客に抱えていた。

この成功にすっかり気をよくしたジムは、儲けた金を元手に、不動産開発会社を設立した。今度は資金調達が必要な事業だったが、これまた非常に順調なスタートを切った。ジムが28歳になる頃には、5つの州に支社を構えるほどだった。

だが、いつまでも成功に酔いしれていると、正しい判断ができなくなる。とくに若いうちに成功した人はそうなりがちだ。一度も事業で挫折を経験したことのないジムは、多額の借入金に頼った経営展開をし、私生活も派手だった。

そして、ある日突然、金利が急騰し、若きジム・Rの帝国は音を立てて崩れた。

私は28歳の若さで、フロリダ史上最大の個人事業破産者となった。しかし、それまでは最高の生活を送っていたのもまた事実だ。アカプルコに別荘を持ち、自家用のリアジェットも手に入れた……。12の都市に自分のマンションを所有し、各地に恋人がいたもんだ。

一夜にしてすべてを失った彼は、ペントハウスから両親の家に舞い戻った。見かねた祖母が、自分の中古車を譲ってくれたほどだった。

だが、いつまでもそんな状態でいる彼ではなかった。彼は大手の商業不動産管理会社に就職し、そこでさまざまな知識を吸収していった。事業に失敗した経験もむだにはしなかった。やがて、地方の支店長に任命されて2年間勤めたあと、再び独立した。今度は不動産管理に専念した。

ジムの会社は順調に高収益を上げつづけ、数年後には大手の商業銀行から投資用不動産の管理を任されるまでになった。そして、20年ほど前、その商業銀行が担保として差し押さえていたゴルフ場を購入し、自ら運営に乗り出したのである。

●人生のレッスン

最近、ジムの息子が大学を卒業し、父親の会社で働きたいと言ってきた。さて、ジムはなんと答えただろうか?

私は息子に、うちで働く前にまず、よそで3、4年経験を積んでこいと話したよ。

ジムは、今日の自分の成功は祖母のおかげだと言う。農場を経営していた祖母は、彼のよき指導者だった。6歳にもならない頃から、祖母はジムに自分でお金を稼ぐことを勧め、目の前のビジネスチャンスを見逃さない術を教え込んだ。

まず、彼女はジムに乳搾りの仕事を与えた。毎朝、牛の乳搾りをすれば、その牛の値打ちの半分とミルクの売上をやると言ったのだ。ジムはその仕事を見事にやってのけ、祖母は彼にボーナスを与えた──その牛が産んだ子牛が、彼のものになった。

つぎに祖母は、牛の糞にもビジネスチャンスがあることをジムに教えた。

私は納屋の牛糞を袋に詰めると、トマトを栽培する農家に売って歩いたもんだ。

さらに、自分に収入をもたらす資産を所有し、運営管理するメリットを彼に教えたのも祖母だった。

祖母の教えは人生のレッスンでもあったね。「この牛と子牛の世話をしてやりなさい……そうすれば、必ずお返しにミルクをくれるから」って具合だ。

そして祖母は、事業家として成功するための心構えを、何度も繰り返し話して聞かせた。

自分で金儲けの方法を見つけることができなかったら、あんたは一生人の下で働くことになりますからね。

こうした教育を受けてきたため、誰かの下で働くということは、ジムにとってはとんでもないことだった。彼は大学を卒業できなかったが、生計の立て方はしっかり修得していたのだ。それもこれも、祖母のレッスンのおかげに他ならない。

将来の仕事を決めれば、勉強はつらくない

ジョー・スミス氏のケースはまた別の職業選択の成功例だが、彼の場合は、他の億万長者とは少々異なっている。「大学のコース」で学んだことが職業を選ぶ決め手になったと答えた自営業者・起業家はわずか36%しかない。

ジョーは現在、金物店チェーンのオーナー兼経営者で、彼の店はいずれも大繁盛している。では、金物の販売業について、大学では何を学べるだろうか?それは、その学生がどれだけしっかり自身の進路を自覚しているかによる。

ジョーの父親は小さな金物店を経営していた。ジョーは父親の事業にほとんどノータッチだったが、父親は息子が大学に行くことで、事業を成功に導く能力を身につけられると信じていた。息子が大学を卒業しさえすれば、店の経営は難なくできると思ったのだ。父親はよくジョーにこう話した。

ジョー、おまえは大学に行って、店を大きくできるような経営のノウハウを学んできてくれ。

だが、入学当初のジョーはやる気のない学生だった。大学に関心を持てず、講義内容を事業に結びつけることなど考えもつかなかった。初めの2年間は、事業に関する知識は何一つ学ばなかったという。

ところが、ジョーが3年に進級する直前、父親が他界した。ジョーは家業を継ぐことになったが、大学を卒業してほしいという父親の願いもかなえたかった。そこで彼は、定時制の州立大学に通うことにした。店を経営しながら4年間勉学に励んだのである。

店が繁盛するも衰退するも、すべてジョーの双肩にかかっていた。20歳そこそこの青年に、いきなり店の経営と家族への責任がのしかかったわけだ。ときとして、不安や逆境は人をやる気にさせる。ジョーの場合もそうだった。どのクラスでも、彼は決まって同じ質問を自分に投げかけた。

何を学べるだろう、どの知識が店の経営に役立つだろうと、私は常に考えていた。店の経済的生産性を上げるのに役立ちそうな知識はないか……。おかげで、たくさんのことを学び、卒業することができた。

店のために大学を最大限に利用しようと決意したジョーは、ひたすら「知識とアイデアの収集家」と化した。そして、会計学をはじめとするビジネスコースがいかに重要であるかを初めて悟った。英語も重要なコースの1つだった。なにしろ、経営者の仕事は、文書や報告書を書く機会が多い。

やがてジョーはすべての教科でAをとるようになり、卒業するときはクラスの上位5%内の成績になっていた。ジョーは単に父親の事業を引き継いだだけではなかった。彼は店を全米でもトップクラスの小売りチェーンにまで育て上げたのだ。

●早い段階で目標を定める

ここで、もう一度はっきりさせておきたい。大学を最大限に利用する学生は、その重要性を十二分に理解している。そういう人たちは、将来役立ちそうな知識をカリキュラムから目一杯吸収し、難なく試験をクリアしていく。大学院時代、私が選択した専攻コースには元教員や働いた経験のある人たちがいたが、彼らは専攻コースでやらされる学習やリサーチが持つ価値をじつによく理解していた。

対照的に、そうした経験のない学生は、優秀な成績をとるのに四苦八苦した。「マーケティングの博士号をとるのに、なんで数理統計学からマクロ経済学、それにミクロ経済学まで勉強しなくちゃならないんだ?」という具合である。

自分が将来どんな仕事に就くのか、それがはっきりしていれば、ハードな勉強もそれほど苦しくない。じつは、私自身も教師の経験があり、有名大学の教授職を狙うなら博士号が絶対に必要であることを理解していた。だから勉強に励むことができたのである。

逆に、目標もなしに大学に通うのは、かなり辛い。早い段階で自分が何をやりたいのか、どんな職業に就きたいのかがわかっていれば、それだけ大学での訓練は楽で有意義なものになる。仕事の経験のある学生のほうが優秀な成績をとる確率が高いのは、そのせいなのだ。いい例がジョー・スミス氏である。

●集めた情報の活用術

さて、あなたの仕事は、次に挙げる条件にいくつ当てはまるだろうか。

・毎日が楽しく、やりがいに満ちている。
・自分の能力と資質をフルに活かせる。
・誇りを持てる。
・いつか経済的独立を確立できると確信できる。

もし、これらの条件をすべて満たしていれば、あなたは目標に向かって、高いレベルの生産性を発揮できるだろう。

ただし、生産性を上げるには、仕事に役立つデータや情報を徹底的に収集することが肝心だ。目標を持っている人は、新聞を一紙読むだけでも、仕事に役立つアイデアや情報をいくつもピックアップできるものである。20年もすれば、そうして集めた情報は貴重な財産になる。

一方、何も情報を集めない人たちというのは、大体において、自分の能力や資質をどう扱っていいのかがわかっていない。そういう人は新聞を何千紙読んだところで、1つの情報も得られはしないだろう。そんな具合では、一生自分に合う仕事にはめぐり会えないし、どんな仕事にも満足できないにちがいない。嫌いな仕事では、高い生産性を達成するのは不可能だ。

要は、自分の能力に適した仕事を見つけることなのだ。そうすれば、自然と仕事が好きになる。しかも、その仕事が富をもたらしてくれるのであれば、なおさらだ。

むろん、自分に適した理想的な職業を見つけるのはたやすいことではない。実際、大半の億万長者は、いくつかの仕事を経たのちに現在の仕事を見つけている。もし彼らが学校を卒業した直後に就いた仕事に甘んじていたら、あるいは、本当は気に入らなくて満足できない仕事を続けていたら、現在のような資産を築くことはできなかったであろう。

1億円貯める方法をお金持ち1371人に聞きました
トマス・J・スタンリー
アメリカにおける富裕層マーケティングの第一人者。ジョージア州立大学の教授職を経て、ニューヨーク州立大学オルバニー校マーケティング学部の教授となり、1973年にアメリカ全土の億万長者を対象とした初の大規模調査を実施。富裕層向けビジネスを行なう企業や金融機関へのアドバイザーとして活躍。2015年逝去。主な著書にベストセラー『となりの億万長者』(早川書房)。
広瀬順弘(ひろせ・まさひろ)
1932年東京生まれ。青山学院大学英米文学科卒業。アメリカ大使館広報文化局勤務を経て翻訳家となる。フィクション、ノンフィクションを問わず幅広く活躍。2007年逝去。

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