(本記事は、小林裕彦氏の著書『温泉博士が教える最高の温泉 本物の源泉かけ流し厳選300』集英社の中から一部を抜粋・編集しています)

温泉業界の闇のトライアングル

闇のトライアングル
(画像=optimarc/Shutterstock.com)

私は経営側の弁護士として、企業等に対して、消費者に対する情報開示はコンプライアンス上非常に重要であることをアドバイスしているのですが、温泉業界にはそのような常識が全く通用していないのではないかという印象があります。

そもそも、最大7日間もお湯を使い回して塩素臭プンプンの完全な循環風呂を温泉と呼称するのは普通に考えておかしいでしょう。循環風呂の浴槽内の塩素臭いお湯は、温泉法第2条に規定する温泉でないことは明白です。

このような特殊な状況の原因は、私は、温泉業界の深くて暗い闇のトライアングルがあるからではないかと推察しています。そのトライアングルの3つの当事者は、次のとおりです。

(1)既得権を維持したい温泉業界

第1は、温泉業界とも呼ぶべき温泉地の温泉旅館・ホテルの有力者及びそれらが事実上影響力を行使している旅館協同組合等の団体です。

これらの温泉業界は、循環や塩素殺菌の有無等温泉に関する情報の開示が積極的に義務付けられるのを嫌がると考えています。

なぜなら、普通の人は、お湯を最大7日間も使い回す塩素臭い偽者のお湯よりも、源泉かけ流しを選択するのは当然ですから、温泉に関する情報が消費者に開示されてしまうと自分の旅館・ホテルの減収、減益のみならず、湯量が少なく循環風呂の割合が高い温泉地自体の地盤沈下を招いてしまうからです。

というよりも温泉に関する正しい情報が消費者に直接ありのまま開示されてしまうと循環風呂を温泉と称して消費者を偽ってきた大部分の旅館・ホテルは倒産してしまうのではないかと恐れているのではないでしょうか。

これらの温泉業界は、所管行政に対して、循環風呂は温泉ではないということを消費者にストレートに開示することがないように、圧力をかけているかどうかは証拠がありませんが、少なくとも温泉を所管する行政が温泉に関する情報の開示にあまり熱心ではなかったことはこれまで述べたとおり明らかだと思います。

循環風呂や塩素殺菌された温泉は、もはや温泉ではないという私の持論は、当然のことながら、これらの温泉業界には決して受け入れられない暴論ということになるのでしょう。

私は、温泉業界の既得権よりも、消費者の温泉に関する基本情報にアクセスできる権利、さらには、消費者の人格権的権利としての「大地の恵みである源泉を楽しむことのできる権利」を優先すべきと確信しています。

(2)温泉に関する事なかれ主義の行政

第2は、温泉を所管する行政です。

行政といっても国レベルと都道府県レベルに分けられます。

国の行政は、いわゆる事なかれ主義に基づき、レジオネラ菌による感染を防ぐこと(いわゆるレジオネラリスク)を過度に評価して、源泉かけ流しと循環風呂を問わず、塩素殺菌を原則的に強制するかのような条例案を都道府県に通達したり、循環風呂を温泉と呼称できることを放置しています。

一方、都道府県の行政では、法令、温泉法施行条例等に基づき、さまざまな行政指導を行っていますが、この行政指導は意外に曲者です。

というのは、源泉かけ流しと循環風呂を問わず、原則的に塩素殺菌を義務付ける条例を設けている都道府県の担当者の中には、源泉かけ流し温泉にまで塩素殺菌をしなければならないという杓子定規的な原則論を振りかざしてくる方が相当いるからです。

この種の話は、いろいろな温泉地に行って、源泉かけ流しで頑張っている温泉旅館経営者の方から「本当に困った話」としてよく聞く話です。

行政は、消費者が本物のかけ流しの温泉にアクセスできるかどうかよりも、塩素臭い循環風呂を長年提供してきた温泉業界と仲良くする方が得策だと考えているのかもしれません。行政の関係団体に至っては、循環風呂であるにもかかわらず、天然温泉表示といった訳の分からない表示まで行っているくらいです。

温泉を所管する行政が消費者に対して、温泉に関する情報開示にこれまで積極的でなかったことについては、何らかの「忖度」があったのではないかとさえ感じられます。前述のとおり、消費者に対する温泉情報の提供に問題があることを指摘したのは、温泉法を所管する環境省ではなく、公正取引委員会であったことを我々は重視する必要があります。

行政や温泉業界の中には、塩素殺菌が源泉の泉質に影響を及ぼさないかのような反論をしている場合もありますが、これは全く嘘です。塩素薬剤を入れて、泉質が変わらない筈はありません。少なくとも源泉が持つ還元力が失われて酸化系になるのは明らかです。

こんなことは、源泉かけ流し温泉と塩素殺菌のかけ流し温泉に実際に入れば、その違いは誰でも分かることです。鼻が詰まっていて塩素臭がしなくても、残留塩素の肌を刺す感じが分からないのでしょうか。また、仮に、この方々は、自分達の子供や孫がアトピー性皮膚炎だった場合に、そのような塩素浸けの循環風呂に入れたいと本気で考えるのでしょうか。

(3)さまざまな思わくのある利害関係者

第3は、温泉に関するさまざまな学会を含む団体や温泉評論家等の利害関係者です。これらの利害関係者は、温泉業界や行政とは比較的友好関係にあるのではないかと考えています。

温泉評論家の中には、いわゆる源泉かけ流し至上主義と見られる方や、塩素殺菌義務付け等を批判する方々もいらっしゃいますが、何か一定の配慮があるのでしょうか。消費者に対して温泉に関しての正確な情報を提供しなければならないという視点や、循環風呂などを温泉と称することが詐欺的であるという当たり前の感覚が乏しいように思われます。

また、源泉かけ流しにこだわった温泉の紹介本でも、何故このレベルの泉質の旅館・ホテルを載せているのかよく分からないものや、旅館・ホテルが取材費や掲載料を支払わなかったからでしょうか、源泉かけ流しの旅館の紹介がなされていなかったり、また紹介がなされていてもその内容が他に比べて不十分であったり、マイナスに受け取られかねない表現をしているものもあります。

加えて、いわゆる高級旅館を持ち上げ過ぎの温泉紹介本もあります。1泊5万円以上とか10万円以上の旅館・ホテルは庶民には普通は手が届きませんが、これくらいの贅沢はもてなしに見合うといった類のものです。多額の広告宣伝費を使った単なるコマーシャルに過ぎません。

テレビ番組の温泉ランキングを以前観たことがありますが、あれは本当に消費者が決めているのか疑わしいところがある上、その温泉旅館の温泉に関する情報が十分に開示された上での投票なのかどうかよく分かりません。というのは、どう見ても循環風呂しか設置していない旅館のランクが異常に高かったりするからです。よほど宣伝広告費を負担されたのだろうと思います。

一般論で恐縮ですが、ある業界に長く関わっていると、業界の主流的なものに異を唱えにくいという共通認識が生じてしまうことがあるのだろうと思いますが、温泉業界もそうなのかもしれません。

結論を言えば、循環風呂は温泉ではないという当然のことが明白になれば、湯量が少なく循環風呂しか設置できない大部分の温泉旅館・ホテルが消費者からそっぽを向かれて倒産しかねないから、温泉業界と行政と利害関係者は協力して、消費者に対する温泉に関する情報開示はほどほどにしておきましょうというのが、温泉業界の深くて暗い闇の実体です。

その結果、消費者の温泉に関する基本的な情報へのアクセスは事実上遮断されて、温泉を所管する行政の行政指導により大地の恵みである源泉の循環風呂化と塩素殺菌化が進んでいるのです。

温泉をめぐる私の考えの6つのポイント

(1)循環風呂や塩素殺菌の温泉は温泉ではないことを明確にすべき!

循環風呂は、温泉法以前の問題として、消費者の常識からみておよそ温泉とはいえません。また、循環風呂や塩素殺菌の温泉は、温泉法に規定された温泉ではないので、温泉と呼称しては駄目です。「人工温泉」とか、「塩素殺菌済み温泉」とでも呼ぶべきで、この点を明確にすべきです。

(2)消費者に対して温泉に関する基本情報を開示すべき!

平成15年7月の温泉法施行規則の改正により、温泉を公共の浴用等に供する者は、加温、加水、循環の有無、塩素殺菌の有無の掲示を行う義務が課せられていますが、掲示対象項目が不十分の上、未だ十分に情報開示がなされているとはいえない状況です。

「景品及び表示に関する法律」における「優良誤認表示の禁止」とその趣旨に基づき、温泉業界や行政は、消費者に対して、温泉に関する基本情報を正しく開示すべきです。加えて、浴槽内の温泉に関する泉質に関する情報を開示すべきで、源泉の泉質に関する情報は参考にとどめるべきです。

(3)循環風呂には温泉分析表の掲示義務は無用!

塩素殺菌をして最大7日間もお湯を使い回ししているだけの循環風呂に、源泉の温泉分析書を掲示する必要性と合理性は全くありません。単に消費者を欺いて混乱させるだけなので、循環風呂に温泉分析書の掲示義務は不要ですし、むしろ掲示を禁止すべきです。

(4)循環風呂は、療養泉の効能があるかどうかを確認した上での適応症の掲示を認めるべき!

源泉と全く異なった泉質の循環風呂に源泉の適応症はストレートに認められるはずはありません。循環風呂にそもそも療養泉の効能があるのかどうか分かりませんが、その効能を検証した上で適応症の掲示を認めるべきです。

(5)源泉かけ流しの定義を明確にすべき!

源泉を注入しつつ浴槽で循環ろ過するという半循環や塩素殺菌されたかけ流しは、本物の源泉かけ流しではないので、源泉かけ流しの定義を明確にすべく、温泉法及び同法施行規則並びに鉱泉分析法指針を改正すべきです。

(6)源泉かけ流しにまで塩素殺菌を事実上強制するような条例は即刻改正すべき!

そもそも都道府県の条例において、源泉かけ流しと循環風呂を問わず、塩素殺菌を原則的に強制するか否かについて、差異があること自体が異常です。

コラム レジオネラリスク

●レジオネラ菌とは

レジオネラ菌は自然界に広く生息している菌で、36℃前後が繁殖の最適温度で、給水、給湯設備等で繁殖すると言われています。そして、循環風呂の給湯設備の消毒などが不十分だと、レジオネラ菌が大量発生して、それを含んだ微少水滴(エアゾール)が抵抗力の弱い人の喉や肺に取り込まれて感染することになります。感染すると発熱、呼吸困難などを伴い、最悪の場合肺炎等で死亡することがあるとのことです。

●レジオネラ事件は人災

ここで重要なのは、源泉自体がレジオネラ菌に汚染されていたのではなく、循環風呂の循環装置の維持管理及び衛生管理が不十分だったための人災だったということです。

しかし、行政は、人の死亡という重大な結果に対する市民からの批判を恐れて、レジオネラ症の予防の手段として、塩素殺菌の実施という過剰かつ単純な対応をしてしまいました。しかし、いくら塩素殺菌を実施しても、貯湯槽や循環装置のバイオフィルムを除去しない限り、レジオネラ症のリスクは払拭できないことを理解すべきです。

その後の状況をみると、行政がいくら塩素殺菌を指導しても循環風呂でレジオネラ感染で死亡する人は後を絶ちません。

●源泉かけ流し温泉におけるレジオネラリスク

源泉かけ流し温泉でも、浴槽内の温泉や浴槽注入前の貯湯槽等の源泉において一定のレジオネラ菌が存在することもありますが、その濃度は低いのです。源泉かけ流し温泉では、源泉の注入量が少ないとか、お湯抜きと清掃を毎日していないという劣悪な状況でない限り、レジオネラ症の発生リスクは極めて少ないのです。

温泉博士が教える最高の温泉 本物の源泉かけ流し厳選300
小林裕彦(こばやし・やすひこ)
小林裕彦法律事務所代表弁護士。1960年大阪市生まれ。84年一橋大学法学部卒業後、労働省(現厚生労働省)入省。89年司法試験合格、92年弁護士登録。2005年岡山弁護士会副会長。19年(平成31年度)岡山弁護士会会長。11年から14年まで政府地方制度調査会委員(第30次、31次)。14年から岡山県自然環境保全審議会委員(温泉部会)。現在は岡山市北区弓之町に小林裕彦法律事務所(現在勤務弁護士は9人)を構える。企業法務、訴訟関係業務、行政関係業務、事業承継、事業再生、M&A、経営法務リスクマネジメント、地方自治体包括外部監査業務などを主に取り扱う。著書に『これで安心!! 中小企業のための経営法務リスクマネジメント』等。

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