(本記事は、尾藤誠司氏の著書『医者のトリセツ 最善の治療を受けるための20の心得』世界文化社の中から一部を抜粋・編集しています)

医師の所見、どう受け止める? 「風邪ですね」の言葉から読み取れる本音と思惑

医師,終活,承継,新認定医療法人制度
(画像=Fedorova Ekaterina-84/Shutterstock.com)

診察を終えた医師が、「風邪ですね」と診断をする。

一見簡単な言葉の中に、現状と先の見通し、患者への負担軽減や医療費の問題など医師のさまざまな思惑が込められています。

診察室で医師がよく使う、この言葉の本音と思惑とは?

●「風邪です」と自信を持って診断できる医師はいない

「3日前から微熱が続いて、喉が痛くて、咳と鼻水が止まりません」、「風邪ですね」……。

診察室で日常的に交わされるこのような会話。しかし、「風邪だ」と100パーセント自信を持っていえる医師はいません。がんをがんと診断するのはさほど難しくないのですが、風邪を風邪と診断するのは、実はとてつもなく難しいことなのです。

たとえば胃に"何か"ができたとき。内視鏡で取ってきた細胞を顕微鏡で調べ、がん細胞が見つかれば、医師は「胃がんです」と断言することができます。

一方、風邪の場合はどうか。

風邪はウイルスの感染によって起こる病気ですが、そのウイルスを一般的な血液検査や画像診断で見つけることはできません。しかるべき研究機関で徹底的に調べようとすると、患者の身体的負担も大きく、医療費も膨れ上がり、結果が出た頃には治っている確率も高く、メリットよりデメリットのほうが明らかに大きい。医師は、検査に頼らず診察だけで風邪と診断しなければならないのです。

そのような状況で患者さんに「風邪ですね」と診断をくだす医師の胸の内を、私は次のように分析します。

"8割がた風邪と考えられるが、それ以外の病気の可能性も2割くらいはある。しかし一刻を争う状況ではなく、患者さんに負担をかけてまで詳しい検査をする必要はないだろう。今は風邪と診断して、とりあえず経過をみることにしよう"

このとき医師が犯してはいけないエラーが2つあります。風邪に似ているが風邪ではない怖い病気を見逃してしまうエラーと、風邪なのに不必要な検査を行い患者さんに負担をかけてしまうエラー。医師は、後者を回避するために「様子をみる」という手段を選択し、前者を回避するために、必要に応じて「症状が続くようだったらまた来てください」とつけ加えるのです。

●「重い病気ではない」と、とりあえず安心してよい

医師が患者にすべてを正直に話すことが最善とは限りません。もし「ぜんそくか肺炎か肺がんの可能性も数パーセント程度はあります」などと告げたら、患者は混乱し、余計な不安を抱くでしょう。風邪に似た症状を風邪と診断するのは、適切な医療といえます。

したがって、医師が「風邪ですね」といったときの「風邪」とは「風邪のようなもの」の総称であり、「おそらく四、五日でよくなる」「すぐに入院しなければならないような重い病気ではない」という意味なのだと理解すればよいでしょう。

同じことは、肩こりにもいえます。肩こりを見つける血液検査はなく、MRI検査を行っても証明することはできません。よくある病気や症状ほど診断が難しいのです。

診察のケーススタディー

●case1 「様子をみましょう」といわれてがっかり。腰痛を何とかしてほしいのに

Aさん(53歳)は1週間前からの腰痛で歩くのもつらく、整形外科を受診しました。医師は、痛むのはどの場所か、手足にしびれがないか、転倒していないか、どんなときに痛むかなどを詳しく聞き、その場で前かがみや後屈をさせて痛み具合をみるなど丁寧に診察をしてくれました。

ところが、レントゲンもCTも撮らず、「様子をみましょう。治らなかったらまた来てください」で診察は終了。痛み止めの薬も出してもらえず、Aさんは期待外れでがっかりしてしまいました。別の病院にかかろうかと悩んでいます。

【患者の心得】「おおむねこのままよくなる」と同じ意味にとらえればよい

この医師は、丁寧な診察の結果、Aさんの腰痛が内臓疾患や骨折など重い病気や外傷から生じている可能性は少ないと判断したのでしょう。そうであれば、ほとんどの急性腰痛は自然によくなり、精密検査も痛み止めの薬も必要がありません。「様子をみる」は患者さんに最も優しい医療行為であり、「何もしなくてもそのうちによくなる」というメッセージととらえてください。

「時間は最良の検査であり薬である」という言葉があります。時間を上手に使って様子をみて、万が一の事態を見逃さないために次の診察の約束をする……。経験豊富な医師だからこそできることです。

●case2 「治りますか?」と聞いたら「わかりません」との返事。私は治らないのでしょうか

昨日から突然片方の耳が聞こえなくなったBさん(50歳)。丸一日たっても改善しないので心配になり、総合病院の耳鼻科を受診しました。診断は突発性難聴。早めに治療を始めれば予後はよいと思うといわれ、ステロイド薬を処方されました。

しかし、恐る恐る「私の耳は治るでしょうか」と尋ねると、なんと「わかりません」との返事が!専門医が治るかどうかわからないほど重症なのか、このまま耳が聞こえなくなってしまうのかと不安でいっぱいになりました。

「わからない」とはどういう意味なのでしょうか。

【患者の心得】医師の「わからない」は、「確実なことはいえない」の意味

私も大学時代に同じような経験をしています。右目をテニスボールが直撃し、充血して真っ赤になり、直後に視力を失ったのです。眼科医の診断は「前房出血」。眼球の一部から出血し、一時的に見えなくなっているとのことでした。

私が「治りますか?」と聞くと、その医師の返事も「わかりません」でした。当時は私も不安におののきましたが、幸い大事には至らず。今思えば、それは「確実な保証はできない」の意味だったのだと理解できます。

医師の「わかりません」は、「不確実なことは軽々しくいえない」という慎重さから発せられる言葉なのです。

●case3 診察中にパソコンばかり見ている

高血圧で定期的に通院しているCさん(五八歳)。主治医が診察中、パソコンにばかり向いているのが不満です。ろくに顔も見ずにきちんと診断ができるのでしょうか。

【患者の心得】カルテの作成は重要な仕事

患者さんの病状をパソコンのカルテに記録するのは医師の非常に重要な仕事です。これがなければ、基本情報や経過がわからず、毎回初診と同じ。適切な診断をくだせません。

ただ、表情や顔色も重要な診断材料です。まったく顔を見ないのは医師の対応としてはよろしくないですね。

その検査は本当に必要か?"病名さがしの旅"検査は大きく分けて2種類

何度も検査を受け、最終的に「特に問題はありませんでした」といわれて拍子抜け。

あんなにたくさんの検査が必要だったのだろうか、と疑問に思うことはありませんか?なぜ検査が繰り返されるのかを理解し、不満やイライラを解消しておきましょう。

●病気が"あること"より"ないこと"を証明する検査

血液検査、尿検査、レントゲン、超音波、CT、MRI、内視鏡……病院で、ふと気がつけば乗せられている検査のレール。検査のためだけの通院や入院が必要な場合も多く、身体的にも時間的にも大きな負担となり、肝心の治療に行き着く前にほとほと疲れてしまうこともしばしばです。

もちろん大半は必要な検査なのですが、「九割がた問題はないと思うけれど、念のためにやっておいたほうが安心だ」と考えて行う検査も少なくないのが事実。医師には、検査のループに陥りやすい独特の思考回路があるのです。

それは、いったいどのような回路なのでしょうか。検査には、病気を特定する(黒を黒とする)検査と、病気がないことを証明する(白を白とする)検査の二種類があり、医師の考える検査の多くが後者なのです。ちなみに、難しいのも後者の検査。例えば、頭痛の患者を診察した医師が平然とCT検査やMRI検査を行うときは、たいてい、くも膜下出血や脳卒中や脳梗塞などの怖い病気が"ないこと"を証明するのが目的です。結果、白だと確信すると、医師はとりあえず安心して「特に病気は見つかりませんでした」と患者に告げます。

このとき患者さんが「では、原因は何なのでしょう?」と聞いてしまうと、二人は果てしない検査の旅に出ることに。白を白とする検査をいくら重ねても他の病気の可能性は残り、100パーセント白にはならないからです。どこまで突き詰めるかは医師の判断によりますが、「原因を知りたい」欲求と「危険な病気を見逃したら大変だ」との不安から、医師は次々と検査を重ねることになりがちです。

検査モードに陥りかけた医師のスイッチを切り替えるには、患者さんが「病名探しよりも、今自分が困っていることを解消してほしい」と伝えるとよいでしょう。

●間違うこともある検査結果。頼りすぎるのは考えもの

最近の医療は、検査至上主義に陥っている傾向にあります。たとえばインフルエンザの検査。約10年前に検査キットが開発されると瞬く間に日本中に普及し、診察で明らかにインフルエンザであっても検査で陽性と出なければ医師も診断できない、患者も納得できないというおかしな現象が起きています。ところが困ったことに、検査の精度が100パーセントではないのです。

たとえば、誰がみてもインフルエンザなのに検査で陰性と出てしまい、医師も患者さんも混乱する事態が少なからず起きています。その場合はたいてい検査が間違っています。一体、何のための検査なのか。具合が悪いのに検査のために無理をして医療機関を受診するより、家で寝ていたほうがいい場合もあるのです。

患者側も、検査結果に頼りすぎる傾向から脱却する必要がありそうです。

検査のケーススタディー

●case1 「異常はありませんでした。よかったですね」といわれたが何が"よい"のかわからない

2週間前から鈍い腹痛が続いていたAさん(55歳)。病院の内科を受診した後、検査のために2日も費やして超音波とCT、さらにMRIの検査も受けました。結果を聞きに行くと医師が満面の笑みで、「何も異常はありませんでした。よかったですね。ご安心ください」というのです。

腹痛は相変わらず治っていません。原因がわからないままなのにいったい何がよかったのか、何を安心しろというのか、医師の真意がまったくわかりません。「よかったですね」に対してどう応えたらいいのか、Aさんは戸惑っています。

【患者の心得】何に困っているか、どうしてほしいかを伝えよう

「放っておいたら大変なことになるような病気ではありませんでした」という意味の「よかった、安心してください」なのです。これに対して患者さんが「では何の病気でしょうか」、「でもまだ痛いのですが」などと返してしまうと、医師は「もっと調べてほしいのか」と勘違いしかねません。

「怖い病気ではないのですね」と"理解"を表し、「ただ、腹痛が治らず日常生活にさしつかえています」と"苦痛"を訴え、「痛みを軽くする方法はないでしょうか」と"希望"を伝えるとよいでしょう。医師の思考回路が、検査ではなく症状に対応しようとする方向に切り替わりやすくなります。

●case2 さらに詳しく調べたい、と検査入院をすすめられた。高齢なのでできれば避けたい

Bさん(85歳)は急にふらつきが激しくなり、病院を受診。ひととおりの検査を受けましたが、原因は特定できませんでした。

後日受診した脳神経内科の医師が「精密検査のために2週間入院してください」といいます。症状は落ち着いており、この年齢での長期入院で筋力がさらに落ちることを心配したBさんは、「できれば検査は受けたくない。このまま様子をみたい」と拒否。最終的に説得をあきらめた医師は「無理にとはいいません。ここでの治療は終了ですね」と機嫌を損ねてしまいました。どう対応すればよかったでしょうか。

【患者の心得】検査で何かが見つかる確率がどれくらいあるか聞いてみる

医師も医師なりの必要性を考えて検査をすすめています。あからさまに「受けたくありません」と拒否すると関係がぎくしゃくしてしまうことになりかねません。

「その検査で何かが見つかる確率はどれくらいとお考えでしょう」と聞くのも1つの方法です。怖い病気の可能性が高いので必要な検査なのか、安心を得るための確認の検査なのかによって患者さんの判断も違ってくるでしょう。また、検査を受けなかった場合の対応について尋ねてみるのもよいですね。必要性を確認したうえで意思を伝え、検査を受けない選択をしても医師との関係を保てるのが理想です。

医者のトリセツ 最善の治療を受けるための20の心得
尾藤誠司(びとう・せいじ)
1965年、愛知県生まれ。岐阜大学医学部卒業後、国立長崎中央病院、国立東京第二病院(現・東京医療センター)、国立佐渡療養所に勤務。95〜97年UCLAに留学、臨床疫学を学び、医療と社会との関わりを研究。総合内科医として東京医療センターでの診療、研修医の教育、医師・看護師の臨床研究の支援、診療の質の向上を目指す事業に関わる。医療現場でのジレンマを歌うアマチュアバンド「ハロペリドールズ」ではボーカルを担当。著書に『「医師アタマ」との付き合い方』(中公新書ラクレ)、『医者の言うことは話半分でいい』(PHP研究所)ほか。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)