居酒屋で家電が買える~街の電器店が大変貌
街の電器店が減り続ける中、千葉・松戸市に繁盛店があるという。夜も営業中の「桜井電気」。入り口にはなぜか「おでん気家」とのれんがかかる。店内では客が酒盛り中。のれんの通り、おでんが売りのようで、大人気となっている。
「桜井電気商会」の桜井豊元社長は常連客の隣に陣取り、飲みながら商談を開始した。冷蔵庫の買い替えを考え中という客に、桜井さんが持ってきたのはヤマダ電機のチラシ。ある冷蔵庫の場合、ポイント還元はないが、チラシ価格より5万円も安くなると言う。
以前は普通の街の電器店だった「桜井電気」は、12年前にコスモスベリーズと提携し、安さが売りの繁盛店に生まれ変わった。
安さの秘密は仕入れの方法にあると言う。エアコンを仕入れに行く桜井社長に同行させてもらった。向かった先はヤマダ電機三郷店。お目当てのエアコンの店頭価格は10万9800円だ。桜井社長はレジに行くと1枚のカードを提示する。すると店頭価格よりおよそ2割安い金額に変わった。
「ヤマダ電機の店頭価格で買っているのではなく、卸値で購入できる。魔法のカードのようなものです」(桜井さん)
コスモスベリーズに加盟すれば、ヤマダ電機の仕入れ価格とほぼ同じ値段で買えるようになる。桜井社長は、この仕組みを利用してから販売数が劇的に上がったという。
「この形態じゃなかったら、経営自体が成り立っていなかったと思います」(桜井さん)
兵庫・尼崎市の「小西電気」もコスモスベリーズの加盟店。ここもまた加盟をきっかけに販売数を倍増させたと言う。しかしその店内には申し訳程度に家電が飾ってあるだけだ。
「お店にいてもしょっちゅうお客さんが来るわけではないので」と言う小西明代表が訪ねた先は、1ヵ月前にエアコンを買ってもらった客の家。エアコンの動作点検にやって来た。あくまでサービスの一環として点検にきたのだが、客は「隣の部屋にもエアコンを」と言い出した。寸法を測った小西さんは、設置して問題ないことを確認すると、さっそくお薦めの商品を紹介した。
もう一つ、小西さんがよく使う手があると言う。お客とはヤマダ電機テックランド北伊丹店で待ち合わせ。一緒に店内に入ると、ズラリと並んだ冷蔵庫売り場を見始めた。買う前に実物が見たいと言うお客さんの要望に応え、自分の店でもないのに案内していく。
「僕らの店舗、ショールームみたいな感じで使わせて頂いています」(小西さん)
同店の中島健二店長は「最初はやはり抵抗があったのですが、店のにぎわいになるしお客様へのアピールにもなるので、大丈夫です」と言う。
こんな仕組みだから、店舗に商品を並べなくてもやっていけるのだ。
客は小西さんについて「それこそ日頃から付き合っているので気兼ねなく何でも言えるし、小西さんだから間違いないという安心感がある」と言う。昔ながらの面倒見のいい電器店から、量販店に迫る安さで買えると支持されているのだ。
儲かる仕組みを生んだ、知られざる組織の全貌
街の電器店の救世主的存在となっているコスモスベリーズの本社は名古屋にある。
創業者・三浦一光(83)が作ったのは、フランチャイズではなく、加盟店の独立性を認め、本部はそれを応援する、いわゆるボランタリーチェーン。ヤマダ電機と掛け合って、加盟店が特別な価格で仕入れられるよう口説き落としたのが三浦だ。
「ヤマダ電機の山田昇会長と話している中で新しく生まれました。私一人で全て考えてモデルを作ったのではなく。共同で仕組みを完成させた」(三浦)
その権利は破格の金額で手に入る。加入料10万円、月々の会費わずか1万円。これでヤマダ電機と同じ品ぞろえが実現し、しかもほぼ同じ価格で仕入れられ、在庫も持たなくて済むようになる。さらに、続々と出てくる新商品の情報を端末などで見ることもできる。
街の電器店以外の会社も続々と参入している。
例えば、神戸市の引っ越し会社「ブレックス」もコスモスベリーズの加盟店だ。営業部の森康之さんが引っ越しするお宅の見積もりへ。だが、「うちは家電も販売していまして」と、いつの間にセールスが始まる。ほぼ全てのメーカーから提案出来るのも強みだ。
客が興味を示したのは大型冷蔵庫。すると、引っ越し業者ならではの提案をする。引っ越し先のキッチンの図面を見せてもらい、冷蔵庫を置く場所の寸法を確認。搬入経路の幅や障害物も確認し、速攻で契約。引っ越し業者の強みを最大限に生かした。
この引っ越し会社の家電の売り上げは年間4000万円にもなり、本業を支える大きな収益となっている。
コスモスベリーズは今や加盟店舗数1万1400店、78業種もの会社に広がっている。
業界の革命児が挑んだ、量販店との奇跡のタッグ
栃木・足利市。この地域に一軒しかなかった電器店が廃業してしまった。足利市の郊外に大型の家電量販店が相次いで出店。その結果、地域の電器店が次々と廃業。住民は、いろいろと頼める店がなくなり、不便を感じていると言う。
そんな中、立ち上がったのが、祖父の代から灯油やプロパンガスを販売している「京屋商店」の栗原祐二郎専務だ。燃料店兼酒屋さんを営む傍らでコスモスベリーズに加盟し、家電の販売を始めた。すると、長年取引してきたお得意客たちが喜んでくれた。家電の売り上げは月20万円に届かないこともあるが、地域の役に立っていると実感している。
「困った時に頭の中に『京屋商店』があって、そこに注文すれば大丈夫と思ってもらえる店になりたいというのがあります」(栗原さん)
地域から感謝されるコスモスベリーズの仕組み。その誕生の裏には壮絶な闘いがあった。
三浦は1956年、家電メーカー最大手、現パナソニックの松下電器に入社。営業部で量販店などを担当した。松下を退職後の1999年、名古屋の「豊栄家電」にその手腕を求められ、社長に就任する。
「豊栄家電」は小売店だが、97の街の電器店を束ね、家電メーカーから共同仕入れを行う窓口会社の役割も果たしていた。個人店が単独で仕入れる場合、メーカーから価格を値切るのは難しい。そこで商品を大量に仕入れ、その仕入れ価格を値切るというビジネスを行っていたのだ。
しかし2000年代になると家電量販店の出店攻勢が各地で加速。その勢いは「豊栄家電」をも直撃した。97店で共同仕入れをしても、大手量販店との価格競争には勝てない。売り上げを減らす加盟店が相次いだのだ。
「『豊栄家電』の事業のやり方が全く世の中に通用しなくなった。私が就任した時は売上高110億円、加盟店97店。それが6年後には70億円、57店と、半分近くになっていました」(三浦)
無理をして続けても将来はない。三浦はこの商売に見切りをつけ、社長就任から5年目、加盟店のオーナーを集め「解散」を切り出した。だが、「共同仕入れができなくなったら倒産です」と、加盟店の多くは共同仕入れの継続を希望した。
しかし、このままでは共倒れになることは目に見えている。どこかに突破口はないのか。そこで三浦は大胆な策を思いつく。それが街の電器店を追い詰めた張本人、ヤマダ電機との提携だった。
「コジマを抜いてヤマダ電機が日本一になった時でした。一番大きいヤマダ電機とやろう、と」(三浦)
三浦の交渉内容は、ヤマダ電機がメーカーから商品を買う時とほぼ同じ価格で分けて欲しいというものだった。しかし、ヤマダ電機は、一見メリットのない業務提携をなぜ受け入れたのか。
キーマンの山田昇・現会長は「地域にとって、街の電器店は必要な存在。なくなると困る人のために、一緒にやりましょう」という言葉を残している。ヤマダ電機も始まりは地方の一個人店だったのだ。
ヤマダ電機を説き伏せた~知られざる交渉の舞台裏
実は、三浦と山田会長の間には、損得で計れない因縁があった。
1990年代、勢いに乗って出店攻勢をかけていたヤマダ電機は、チラシで安さをうたい、新商品でも3割引き、5割引きにして集客していた。それに怒ったのが松下電器。他店への影響も考え、ヤマダ電機との取引停止を決定。その通達役が、当時、松下で量販店を担当していた三浦だったのだ。
「『とにかく取引をやめてこい』と。でもナショナルやソニーの商品がなければ量販店にはならないので、『取引を続けたい』と、当時の山田社長は言われる。話を聞いていた3時間ぐらいの間に、だんだんヤマダ電機の立場になって『どうすれば取引を継続できるか』と、一緒に考え始めてしまった(笑)。山田さんの熱意ですね」(三浦)
三浦が落としどころとして考えたのが、翌月に新商品が出る、型落ちギリギリの商品に限り「3割引きのチラシ」を認めるという条件だった。山田昇・現会長はこの条件を守ると約束。松下電器も「それなら」と了承したため取引は継続となったのだ。
「山田さんは『守りましょう』と言って、全国展開する間、ずっと守っていただいた。約束を律儀に守っていただきました」(三浦)
三浦が社長になって6年目の2005年、日本最大手の家電量販店と街の電器店という異色のタッグが実現。この業務提携により「豊栄家電」はヤマダ電機の子会社になる。社名もコスモスベリーズに改め、加盟店121店で新たなスタートを切る。
この時、三浦は加盟店一店一店の経営者達に厳しい言葉で意識改革を促した。
「経営まで責任を持った加盟店を作っていこうと。考えて実行するのは加盟店だということを貫いてほしいんです」(三浦)
安くなる仕組みにあぐらをかいていては生き残れない。自分で工夫して経営するよう強く求めたのだ。
三浦が求めたことを形にし、成功している加盟店が滋賀・高島市の「デンキーズ」だ。この日は店内ではイベントが開かれていた。人気の調理家電、スチームオーブンの使い方教室だ。集まっている中には既に購入済みのお客さんもいる。
「持っている方の意見が一番確かなので」(岸田公作社長)
単なる販促ではなく、リアルな意見を聞ける会。こうした客が来店したくなるイベントを独自に開き、売り上げを伸ばしているのだ。
「お客様と疎遠にならない工夫を常にさせて頂いてます」(岸田さん)
地域の実情に合わせ、考え抜いて商売する。そこに三浦の仕組みが加われば、戦っていける。
顧客40倍も夢じゃない~「困った」をつなぐ新ビジネス
コスモスベリーズは今、加盟店を起点とした新たなネットワーク作りに乗り出している。
ネットワーク推進部の前野博文が訪ねたのは長野市の「なんでもかんでも長野」というグループ。地域にある「暮らしのお困りごと」の解決をテーマに活動している。
「地域の企業がコラボして解決することで、商売も幅が広がります」(前野)
グループのリーダーは原田信治さん。便利屋を営み、コスモスベリーズにも加盟している。相澤英晴さんはコスモスベリーズとは関係ない住宅メーカーの経営者。それぞれ違う業種で働くメンバーがグループで仕事を請け負っているのだ。
原田さんについて行くと、到着した先は草ぼうぼうの空き家。頼まれたのは、伸び放題になっている雑草の刈り取りと、空き家を取り壊す際の工賃の見積もりだった。
まず原田さんが草刈りを担当。およそ4時間で敷地の様子が見える状態になった。ここでグループのメンバーが営む住宅メーカーの社員が到着。取り壊しをした後の整地にかかる費用の見積もりを行った。客は「全部一連の流れでやってくれるので助かった」と言う。
様々な得意分野を持つ会社や人が集まっているので、たいていの仕事を引き受けられる。そんな仕組みで大手に対抗しようとしているのだ。
「自分の会社だけだったら顧客は100軒、200軒だけど、このメンバーが集まれば8000軒くらいのユーザーを共有できます」(原田さん)
コスモスベリーズは家電販売にとどまらず、このネットワークを生かしたビジネスを全国展開しようともくろんでいる。
~村上龍の編集後記~
昔、テレビは量販店ではなく、街の電器屋から買っていた。巡り巡って、今また街の電器屋が注目されている。量販店ナンバーワンのヤマダ電機から仕入れ、ヤマダ電機のサービスも受けながら、1店舗ごとに自主独立した店がボランタリーチェーンとして存在する、嘘のような話だが、本当だ。
三浦さんは、およそ30年前、山田昇社長と義理の兄弟みたいな関係になった。互いに約束を守った、というだけでヤマダ電機は三浦さんに協力している。義理と人情が生きていた時代。そしてコスモスベリーズはそれを現代に活かそうとしている。
<出演者略歴>
三浦一光(みうら・かずみつ)1936年、岐阜県生まれ。1956年、松下電器産業(現パナソニック)入社。1999年、豊栄家電社長就任。2005年、ヤマダ電機と合弁でコスモスベリーズ設立。2020年、相談役就任。
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