本記事は、遠藤誉氏、白井一成氏の著書『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』(実業之日本社/2020年8月発行)の中から一部を抜粋・編集しています

国連機関を狙う習近平とWHO拠出金を停止したトランプ

コロナウイルス
(画像=PIXTA)

●ウイルス起源に焦点を当てたトランプ

コロナに関して人類を破滅の危機に追いやっているのが習近平(国家主席)であり、習近平に忖度をしたWHO事務局長のテドロスであることは論を俟たない。

2020年1月23日にWHOは習近平のために緊急事態宣言を延期した。この延期は国際世論から激しい批判を受けたため、テドロスは実態を調査に行ってから改めて決めると弁明し1月28日に中国入りしたのだが、行った先は北京の人民大会堂であって、コロナ感染者の震源地である湖北省武漢市ではなかった。現地調査をしたのではなく、習近平に会いに行ったのだ。

1月30日になってようやく緊急事態宣言を発布して、肝心の「中国への渡航と貿易を禁止する」という条件を付けないとして緊急事態宣言を骨抜きにした。テドロスがエチオピア人であり、エチオピアの最大出資国は中国であるということが背景にある。中国の出資がなければ国家が運営できないほどにしておいてから、水面下でテドロスがWHOの事務局長に当選するように動いてきた。

だからテドロスは習近平に忖度する。

その結果、ウイルスを持った中国人が全世界に散らばっていったのだから、その罪は償えないほどに重い。コロナが一段落したら、人類のすべてが習近平の責任を問わなければならないのは明らかである。

この理由だけで十分なのに、トランプはウイルスの発生源が「武漢ウイルス研究所だ」と言い出し、ポンペオも5月3日にテレビで「膨大な証拠がある」と断言したため、トランプもまた「証拠を見た」「証拠はたくさんある」と言ってしまった。

これだけの犠牲者を出せば、そう言いたくなる気持ちはわかる。人類すべてが怒っていると言っても過言ではない。

しかしそれでも中国の責任を追及するに当たり、ウイルスの発生源を持ち出してしまうのは危険だ。万一にも科学的に否定されてしまったらトランプ政権の敗けになる危険性を孕んでいる。

その懸念は次々と現実になっていった。

5月4日、アメリカのCNNは「アメリカの同盟国(ファイブアイズ)は、ウイルスのアウトブレークは中国の研究室からではなく、海鮮市場から来た可能性が高いという認識を共有した」と報道した。ファイブアイズというのは「アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド」の5ヵ国による連盟で、高度の諜報(インテリジェンス)を秘密裏に共有している。

イギリスのBBCは4月29日、「アメリカはコロナウイルス研究資金援助を中止した。このプロジェクトはこれまで武漢ウイルス研究所と協力していた」と報道している。

BBCニュースによれば、ニューヨークにあるエコ・ヘルス連盟(EcoHealth Alliance)は過去20年間にわたり、25ヵ国とウイルスに関する共同研究をしてきたが、2015年からは研究経費を「オバマ政権時代の国際医療研究協力の一環」として位置づけ、アメリカ政府が国立衛生研究所経由で370万ドルを支払ってきたそうだ。共同研究の相手には、なんと武漢ウイルス研究所も含まれており、研究テーマはこれもまた、なんと、「コロナウイルス」である。

4月30日にはアメリカの情報機関を統括する国家情報長官室は新型コロナウイルスについて「人工のものでも、遺伝子組み換えされたものでもないという、幅広く科学的に認められている見方に同意する」という声明を出した。

するとトランプは自説である「武漢研究所説」の表現を微妙に変え始めた。

5月5日のニューヨークポストは、「トランプはコロナウイルスの蔓延を中国のせいにしているが、『わざとではない』と言っている」と報道。トランプは中国攻撃のトーンをすっかり弱めているのだ。ニューヨークポストのインタビューに、トランプは「武漢からウイルスが出たということを明らかにしただけで、研究所を特定しているわけではない」とさえ言っている。

5月7日になると、CNNが「コロナ発生源、武漢研究所の“確信ない”ポンペオ米国務長官」と伝えた。こうなると「譲歩の連続」であり、ウイルス発生源論争に関するアメリカの敗北を招く。もっとも、AP通信は6月2日になって、「実はWHOは中国の対応に不満を持ちながらも、協力を得るため、表向き中国を評価するような態度をとっただけだ」と報道し、その証拠としてWHOにおける会議の録音や内部資料などを挙げている。それによれば、「中国政府の情報提供が不十分だと出席者から不満の声があがっていた」とのこと。

AP通信は「WHOと中国がより早く行動していれば、多くの命が救えたことは明らかだ」とする専門家のコメントを紹介している。

しかしそれ以前にトランプは激しい行動に出ていた。

●WHO拠出金停止とWHO脱退

ウイルス起源説に拘泥するのは賢明ではないと判断したらしいトランプは、怒りの矛先をWHOに向けるようになった。

「WHOは中国の操り人形で、人類に早く警告すべきだったのに習近平に忖度して警告を遅らせてしまった。その結果、全人類にコロナを蔓延させてしまった」「防げたものを防がなかった」という論理だ。

それは正しい。

ところが、まるでWHOのテドロスと習近平の関係を象徴するかのように、2020年5月18日に開催されたWHO年次総会(オンライン会議)で習近平が開幕のスピーチをした。WHOの本部はスイスのジュネーブにあるので、スイス大統領(シモネッタ・ソマルーガ)や国連事務総長(アントニオ・グテーレス)が短い祝辞を送ったのは、まあ理解できるとして、3番目の習近平のビデオメッセージは非常に長くインパクトを与えたために世界をアッと驚かせた。

なぜならそれまでのWHO年次総会で、各国首脳が挨拶をするなどという光景自身があまりなかったし、そのときまでにアメリカを含めた8ヵ国の民間団体などが中国に損害賠償請求をしていたからだ。その金額は日本円にして1京円を超えると言われている。だからテドロスが習近平に弁護する余地を与えるために仕組んだのだろうと世界中の誰もが疑った。

案の定、習近平は「人類運命共同体」という習近平政権の外交スローガンを用いて、中国がいかにコロナで苦しんでいる国々を助けているかを宣伝し、かつWHOに向こう2年間で20億ドル(約2200億円)拠出すると表明した。

アメリカはこれまで年間4億5000万ドル(約495億円)をWHOに拠出し、その額は全体の約15%に及ぶ。中国などわずか0.2%に過ぎず比較の対象ではなかった。

しかしWHO年次総会で米中の姿勢は顕著な対照を成していた。

トランプはテドロス宛に書簡を送り、WHOが30日以内に(中国寄りなどといった)姿勢を改善しなければ拠出金を停止し脱退する可能性を示唆したのである。WHOを批判するのはいいが、まだコロナが蔓延している状態で拠出金を停止するという脅しまがいのことを言うのは賢明だとは言えない。

そもそも習近平の「人類運命共同体」という外交スローガンは、トランプがグローバル経済に背を向け、「アメリカ・ファースト」を言い始めてから、その対立軸としての中国を際立たせるために生み出された言葉である。

習近平はコロナを全人類に巻き散らした張本人であるにもかかわらず、臆面もなく「ウイルスに国境はない」として、「人類運命共同体」を強調し、後述するように、コロナで苦しむ発展途上国に医療支援物資を送ったり医療チームを派遣したりして、「医療支援外交」を展開している。

国際社会を味方に付ける際に、どちらの戦略が賢明かは(「狡猾か」と言ってもいいが)、残念ながら明らかだ。

おまけにアメリカのニュースサイト「アクシオス(axios)」のスクープによれば、どうやらWHOはトランプにもビデオ参加のための招待状を送ったがトランプが拒絶したとのこと。拒絶する気持ちは理解できるが、習近平とテドロスはトランプの拒絶を織り込み済みで舞台設定をしたのだろう。

本来ならトランプはその裏をかいてビデオスピーチを送ることを承諾し、思いきりWHOの緊急事態宣言が遅れたことと、ようやく宣言しても、それを習近平のために骨抜きにしたことによって人類に未曽有の災禍をもたらしたことを訴えるべきだったと思う。WHOとしてはビデオメッセージの内容が悪いからと言って、受け取らないというわけにはいかず、習近平のスピーチを相殺することにもつながり困っただろう。

このあたりの慎重で着実な戦略の深さにアメリカは欠けるところがある。トランプは正直という視点で見れば「正直」だが、外交戦略という視点で見ると「直情的」で国際社会を惹きつける魅力に欠けるのが難点だ。

WHO総会の時にテドロスに宛てた書簡では「30日以内に善処が見られなければ拠出金を停止する」となっていたが、全人代における香港への国家安全法制導入決議も手伝ってか、2週間を待たずにトランプは「拠出金を停止する」ことと「WHOを脱退すること」を決定したと発表した(アメリカ時間5月29日)。
(※2021年1月バイデン大統領がWHO脱退の撤回を命じる大統領令に署名)

この発表に対して数多くの国から批判が殺到し、WHOはますます「中国寄り」になるだろうと国際社会は懸念している。EU(欧州連合)は「いまは協力と共通の解決策を強化すべき時だ」との声明を発表し、英医学誌ランセットの編集者、リチャード・ホートン氏などは、「狂気と恐怖が同時にやって来た」、「米政府は人道上の緊急時にならず者になった」とさえ述べた。

またイギリスの学術誌『Nature(ネイチャー)』は5月29日、"What a US exit from the WHO means for COVID-19 and global health"(アメリカのWHOからの脱退はコロナとグローバルヘルスにとって何を意味するのか)というタイトルの論評を載せ、「支離滅裂であり、非効率で、死に至る病の復活を予見させる」として酷評している。

ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元
遠藤誉(えんどう・ほまれ)
中国問題グローバル研究所所長筑波大学名誉教授理学博士。1941(昭和16)年、中国吉林省長春市生まれ。国共内戦を決した長春食糧封鎖「卡子(チャーズ)」を経験し、1953年に帰国。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『中国がシリコンバレーとつながるとき』(日経BP社)、『ネット大国中国言論をめぐる攻防』(岩波新書)、『卡子中国建国の残火』(朝日新聞出版)、『毛沢東日本軍と共謀した男』(新潮新書)、『「中国製造2025」の衝撃』(PHP研究所)、『米中貿易戦争の裏側』(毎日新聞出版)、共著に『激突!遠藤VS田原日中と習近平国賓』(実業之日本社)など多数。
白井一成(しらい・かずなり)
中国問題グローバル研究所理事実業家・投資家。早稲田大学大学院商学研究科修士課程修了。1998年、株式会社シークエッジ代表取締役に就任。2007年から現職。また、社会貢献の一環として、2005年に社会福祉法人善光会を創設。グローバルな投資活動を展開。中国企業への投資経験も豊富。

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