本記事は、ウィリアム フォン・ヒッペル(著)氏、濱野大道(訳)の著書『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか 進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています
集団行動がもたらした認知革命
科学者はかつて、わたしたち人間は非常に利口になったため、母指対向性(親指をほかの四本の指と向かい合わせにして使うこと)によって生じた“モノを操る機会”をうまく利用するようになったと信じていた。この説には、まちがいなくいくらかの真実が含まれている。たとえば、8本の触手によって母指対向性と同じような機会を利用できるタコもそうとう利口だ。一方、シマウマの蹄では道具を作ったり使いこなしたりすることはできないため、たとえ巨大な脳をもっていてもムダになる。
しかし突きつめて考えると、集団の仲間たちに対応することは、モノを操ることよりもはるかに大きな精神的な問題となる。そのため、多くの科学者たちは「社会脳仮説」を信じるようになった。これは、霊長類の脳が大きく進化したのは、社会的な課題──きわめて相互依存性の高い集団のほかのメンバーに対処するときに避けられない課題──に向き合うためだったという考えである。
この仮説はとりわけ人間に当てはまるが、理由はわたしたちがほかの類人猿よりも大きな集団で生活しているからだけではない。むしろ、チームワークの恩恵を受けはじめた先祖たちが、あらゆる種類の社会的なイノベーションのための土台を築いていったという事実があるからだ(そのようなイノベーションの大部分は1〜200万年後に実現した)。これらの社会的なイノベーションを調整・実行するにはより大きな脳が必要になり、それが「もっと利口になれ」と先祖たちに大きな圧力をかけた。
協力はわたしたちの祖先をより利口にした。同時に協力は、精神の機能にいくつもの変化を求めるものだった。まずなにより、先祖たちは情報共有から恩恵を受けるようになった。それ以前の競争の激しい生活では“知識=力”であり(もちろん、それはいまでも同じ)、貴重な個人的情報を共有するなどほぼありえないことだった。ところがいったん協力が始まると、誰もが共通の認識をもっているほうがはるかに有利になった。
共通の認識をもつための第一歩は、注意を共有することだ。集団のほかのメンバーと敵対関係にあるとき、わたしは自分の考えを相手に知られないように努め、どの方向を見ているのか気取られないようにする。配偶者の候補を見つめているにせよ、おいしそうなイチジクに注目しているにせよ、相手にさきに奪われないように秘密にしようとする。しかし集団のほかのメンバーと協力関係にあれば、自分の注意がどちらに向いているのかわたしは喜んで相手に教えるにちがいない。おいしそうな獲物を誰より早く見つけたとしても、それを仲間たちにも知らせ、一緒に協力して捕まえるよううながすはずだ。
人間の親戚であるチンパンジーは全体像を視覚的に把握することに長けており、仲間たちに何が見えているのか、自分のいる場所から識別することができる。しかし進化するにつれ、茶色い強膜(いわゆる白目)によって視線の向きを隠すようになり、仲間たちがこの視覚情報を得ることはよりむずかしくなった。
チンパンジーの顔を見ても、眼をまじまじと近くで見つめないかぎり、実際にどちらを向いているのかを知ることはできない。このようにチンパンジー、ゴリラ、オランウータンの視線の方向を追うのは容易なことではない。対照的に、人間の強膜は進化の末に白くなったため、視線の向きは誰にでもわかってしまう。たとえ顔と眼が別の方向を向いていたとしても、視線のさきに何があるのかはバレバレだ。
人間が視線の向きをそこまで明らかにするという事実は、自分が注意を惹かれているものを隠したときよりも、相手に伝えたときのほうが他者から得るものが多くなったという明らかな証拠である。さもなければ、人間の強膜がほかの類人猿と異なる進化を遂げるはずはない。そのような進化が起きるのは、それが集団に利益をもたらし、間接的に(集団の一員としての)個人の利益へとつながるからだと一部の研究者は主張してきた。
理論上、この考え方も正しいように思える。しかし、そういったウィンウィンの流れができあがるのは、集団の利益が非常に大きく、個々の犠牲が小さい場合にかぎられる。個々のメンバーに対して大きな犠牲をともなう知識から集団が利益を得るとき、ほとんどの状況において、個人はその知識を共有しようとはしない。たとえ個人の成功が集団に損失を与えるものだとしても、次の世代に引き継がれる遺伝子を決めるのは「個人の成功」のほうなのだ。
結果として、集団と個人の目標が相反するときには、ほぼ確実に個人の目標が勝利を収めることになる。チンパンジーは人間よりもはるかに個人志向が強く、はるかに集団志向が弱いため、集団としてうまく協力し合うことを苦手とする。しかしいったんサバンナに移り住み、協力が成功のカギだと気づいた人類にとっては幸運なことに、集団と個人の目標は両立するものだった。
それは、類人猿史上はじめての出来事だった。言い換えれば、森林からの追放は、競争よりも協力することを選んだ類人猿のために新たなニッチ(生態的地位)を作りだした。集団と個人の目的が両立するというこの進化こそが、大きな脳以外に生物的な武器をいっさいもたない人類をのちに食物連鎖の頂点へと導いたのだった。
この意味でいえば、ここ600万年にわたる人間の認知の進化は、無意識の自助努力によるプロセスだととらえることができる。地域的な気候の危機が起きたとき、協力し合って解決策を見つけたことによって、人間はこの地球上ではじめて社会的認知のためのニッチを作り上げた。その後の数百万年をかけ、このニッチをより効果的に活用するための新たな能力を発達させていった。
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