本記事は、尾原和啓氏、宮田裕章氏、山口周氏の著書『DX進化論 つながりがリブートされた世界の先』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。
「ネット上」に広がる新しいコミュニティのあり方
尾原 宮田先生の『共鳴する未来』という本では、コロナ禍においてデータを使い、いろいろなかたちで多くの人々が全域の中で共鳴しながらコロナを収束させようとする、その先にみているデータや人の結びつく未来について語られています。
一方で山口さんは、『ビジネスの未来』という衝撃的な本の中で、資本主義の良さを残しながら私たちは分散的に生きられるようになったと述べています。しかもコロナによって仮想空間シフトが進み、より中央という幻想にとらわれず分散して生きられるようになった、と。
そこで問題になるのが、これからどう資本主義をハックして持続する社会にもっていけるのか、ということになります。
先ほどの話に戻すと、メディアというものが宗教も含めて中央集権の権力化を加速するためにあったとして、ようやく私たちは体験そのものの中で分散してつながれるようになった。対話という、共鳴する原初体験をいい感じに味わえるClubhouseのような声の対話メディアがインフラになる中で、こういうものがどう世の中を変えていくのか、変わっていくのかという話になるわけです。
私は今シンガポールにいるんですが、それは日本という社会システムではなく、Facebook(フェイスブック)という社会システムの方が、私にとって生きやすいと思ったから。だから5年前に国を出る決断をしたんです。
私は金銭的な意味においての投資はものすごく下手で、「iモード」からスマートフォンといったITバブルを、プラットフォーム側にいながら金銭的利益を全く享受していません。
ただ、どんな資産を一番重視しているかというと、結局、仲間から「尾原とだったら一緒に冒険していいよ」という信用資産です。それが一番、複利で効くと信じているから。じゃあ、そのことが複利で効く社会システムというと、Facebookなんですね。
Facebookの中で、私が「おっ!」と思う人たちが、尾原とだったら冒険していいやと信用してくれるために何をすればいいのかというと、他の人が見ていない景色を提供していくこと。ないしは、ファクトとオピニオンをセットにして新しいファクトが出来上がっているときに、「こういう角度で見ると未来は面白くなるよ」ということを、ポストとして、Facebookに預けていくこと。それが自動的に、世の中をちょっと変えたいと思っている人にとっての信用に変換されます。
私はFacebookを、そういうシステムだと思ったから、「Facebook国」に移住したんです。
宮田 なるほど。シンガポールというより「Facebook国」というのが、尾原さんの感覚なんですね。面白いなあ。
尾原 なぜシンガポールかというと、「おっ!」と思える人たちの信用を得るためには、その人たちが見ていない新しい現実を見に行ける場所にいた方がいいからです。
シンガポールって、アジアならほぼ1時間でどこの国でも飛べますよね。「タイでこんなことが起こっています」「ハノイでこんなことが起こっています」とか、それこそアフターデジタルで「中国ではこんなことが起こっています」と言える。
だから、社会システムをマーケティングで考えるという山口さんのお話はとてもわかりやすくて、国がダメなものになっているというのは、ある種、金銭というものの再配分システムの過大評価だと思うんですよね。
金銭を配分することよりも、時間をどこに費やすかということの方が大事かもしれないし、私からすれば、着想をどこの社会システムに預けるかということの方が大事だと思っていて。
そういう意味では、着想という資産をどこに置くのが一番複利で回るのかというと、FacebookよりClubhouseなんですね。
宮田 尾原さんはClubhouseの住人でもありますよね。どうですか、「Clubhouse国」は。
尾原 Clubhouse国はいい意味で過疎なので、現実世界の中で居場所がない人たちが、結構、集ってくれることがいいと思っています。
現実社会に居心地が悪い人たちって、現実の世界の中では、彼らの見えているものが他の人と違いすぎるから居心地悪いんですよ。
だからこの空間にいくと、例えばバイオハッカーの松田干城(まつだたてき)さんたちがいて、「その世界の見方やばくないですか」みたいな体験ができる。
しかもお互いに世界の見方が違う人たちの交流ができるから、その見え方を交換すると、そこで次の新しいフィクションを塗り替える共同幻想が見えてくるかもしれない。私にはClubhouseがその生産装置に見えるんです。
宮田 オルタナティブな視点を得るための1つのメディアとして、多様性を吸収できるという意味においては素晴らしい、ということですね。
尾原 おっしゃる通りです。それにClubhouse創業者のポール(Paul Davison)の話を聞いていると、彼はプライバシーを守りながら裏側で、モデレーターとスピーカー同士のスコアリングをやろうとしているそうです。
つまり、誰と誰が掛け算したときにリスナーが増えたのか、さらに言うと、Clubhouseは招待制になっているから、誰がどういうインフルエンサーを呼んだのかなど、裏側に信用の重みがあるネットワークを持っているのです。
信用の重みがネットワークを持っている中で、例えば私と宮田先生と山口さんが話しているときに、やたらスコアの高い人がリスナーに来て、しかも維持率が高くて離脱率が非常に低いことがわかったら、「創発と着想が起きやすいモデレーターは誰か」「誰と誰の掛け算で創発と着想が起きやすいか」みたいなことまでスコアリングできる可能性もあるんです。
そういうことも含めて、宮田先生がおっしゃる契約のセットメニューをデザインできる時代になっているんだなと思いますよね。利用者とプラットフォームが何を提供するから何が得られるのか? という契約、今提供されるものと、今後提供されるポテンシャルやリスクコントロールの開示も含めた契約にワクワクしています。
宮田 なるほど。現時点でClubhouseの面白さもあり、たまっているデータによって作るアルゴリズムから新しいつながりが生まれたとき、もう一段、あるいはもう二段くらい、化けるかもしれないですね。
尾原 そうなんです。それがつながりのデザインだし、DiDiのように、コツコツ真面目に運転する人が得をするつながりのネットワークであり、契約なわけです。
それがすべてAIに置き換わる中で、着想だけが置き換わらないとしたとき、着想を産みやすくする、つながるためのデザインと社会契約のセットメニューみたいなものも起こってくるはずです。
結局、社会システムは機会と市場の提供じゃないですか。その裏側として、資源の再配分と社会保障があるという話で。
みんな資源の再配分と社会保障に目が行きがちだけど、社会システムがマーケティング的に魅力なのは、その社会システムがどんな機会とどんな市場を提供するのか、ということですよね。
宮田 まさにつながりですよね。
尾原 私の場合は着想のつながりを重視するし、DiDiはコツコツ真面目にやる人が浮かばれるつながりだし。そういう、いろいろなつながりのデザインがある。
宮田 そういう意味では、これからClubhouseが何でマネタイズするか、あるいはどういうモデレーターがそこに対するバリューの貢献をするか、また別軸として、ユーザー満足度という中でコミュニティそのものを豊かにできるかなど、いろいろ発展の可能性がありそうですね。
尾原 社会システムが、どういう多様性の受け皿になるのかという一方、仮想空間の中のつながりって、何を市場として、何を機会として提供するから、何のエッジを伸ばすのかという社会システムがたくさん出てくるはずで、そこの競争環境とか、そこの共鳴関係をどう設計していくのか、などと考えてしまいますね。
「これまでのつながり、コラボレーションは、複数の当事者が共通の目標と戦略を共有することに力点が置かれていましたが、これからは戦略それぞれが独自にとるようになる。そうすると学びの共有、あるいは学びのコラボレーション、共鳴が重要になる」という安西洋之さんがおっしゃっていたことがまさに、それを言い当てています。
宮田 面白い。いろいろな可能性がありますね。