本記事は、佐藤耕紀氏の著書『今さらだけど、ちゃんと知っておきたい「経営学」』(同文舘出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
「会社の利益」と「自分の利益」、どっちが大事?
インセンティブと意思決定
人々の意思決定は、インセンティブ(1-3)によって変わります。
みなさんだったら次の質問に対して、どう答えるでしょうか。
「あなたは大企業の部長で、あるプロジェクトへ投資するかどうかの判断を迫られています。このプロジェクトを実行すれば、確率50%で、2億円の利益が出るか、1億円の損失が出るかのどちらかです。あなたなら、このプロジェクトを実行しますか?」
この質問は、経済学者のセイラーが、ある会社の部長たちに尋ねたものと実質的に同じです。2-7でもお話ししましたが、このような問題では「期待値」を計算して答えを出すのが合理的とされます。
期待値は「このプロジェクトを無限に繰り返すと、平均ではどれくらいの利益が得られるか」を表すものです。この場合は「2億円×0.5-1億円×0.5」という計算で、平均では5000万円の利益が得られることがわかります。期待値がプラスですから、(他にもっとよいプロジェクトがないかぎり)「このプロジェクトは実行すべきだ」ということになります。
インセンティブが行動を変える
ところが23人の部長のうち、これを実行すると答えたのは3人だけでした。
それはなぜでしょうか。セイラーは次のように書いています(※1)。
- 私は、投資をしないと答えていた部長の1人に理由を尋ねた。するとこんな答えが返ってきた。投資が成功すれば、称賛されて、3カ月分ぐらいのボーナスが出るだろう。しかし、もし投資が失敗すれば、解雇される可能性が高い。その部長は自分の仕事が好きで、3カ月分のボーナスを得るだけのために一か八かのギャンブルに出て仕事を失うようなことはしたくなかったのである。(p.268)
私はCEOに言った。「あなたは23件の投資プロジェクトを実行したいのに、3件しか実行されないわけです。あなたは何か判断ミスをしているにちがいありません。リスクをとりたがらない根性なしの管理職を雇ってしまったか、この種のリスクをとりにいっても報われないインセンティブ・システムをつくってしまったかのどちらかです。可能性が高いのは後者のほうですが」(pp.267-268)
文中にある「CEO」(chief executive officer、最高経営責任者)というのは、伝統的な日本の会社でいえば「社長」や「会長」にあたる役職です。
部下が組織の利益につながる行動をとるようにインセンティブ・システムを設計するのは、リーダーの仕事です。部長たちが会社の利益になる行動をとるとき、彼ら自身にとっては損になるインセンティブを与えていたことが問題になります。
本来は、「不確実性」(uncertainty)のもとで下した事前の判断が妥当なら、結果的に失敗したとしても、責任を問うべきではありません。経営の世界では、健全なチャレンジを奨励するには「失敗を許容する文化」が大切だとよく言われます。
- 後知恵バイアス
- 「後知恵バイアス」(hindsight bias)(※2)という心理現象があります。これは「結果がわかった後では、それが最初から予測できたように感じてしまう」ことで、いわば「結果論」です。プロジェクトが失敗に終わった後では「最初からわかっていただろう」「どうしてあんな愚かな判断を」などと、安易に批判することになりがちです。
- (※1)リチャード・セイラー著、遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』(早川書房、2016年)
- (※2)ノーベル経済学賞を授与されたカーネマン(Daniel Kahneman)は、『ファスト&スロー(上)』(村井章子訳、早川書房、2014年)の第19章で、後知恵バイアスについて詳しく書いています。
1968年生まれ、北海道旭川市出身。旭川東高校を卒業後、学部、大学院ともに北海道大学(経営学博士)。防衛大学校で20年以上にわたり教鞭をとる。経営学にあまり興味がない学生を相手に、なんとか話を聞いてもらう努力を重ね、とにかくわかりやすく伝える授業にこだわっている。就職、結婚、子育て、といった人生のイベントをひととおり終え、生活者としての経験をふまえて、仕事にも人生にも役立つ経営学を探求している。趣味はクラシック音楽と海外旅行。これまでに経営学の共著が6冊ある。※画像をクリックするとAmazonに飛びます