本記事は、森 泰一郎の著書『ニューノーマル時代の経営学』(翔泳社)の中から一部を抜粋・編集しています

ニューノーマル時代の経営学1
(画像=PIXTA)

両利きの経営:誕生の背景

近年ブームとなっている両利きの経営だが、この理論のキーワードである「深化」と「探索」という概念が登場したのは1997年のマイケル・タッシュマン(※1)とチャールズ・オライリー(※2)の『競争優位のイノベーション』(ダイヤモンド社)に遡る(※3)。

彼らは、もともとイノベーションを生み出す組織とは何かについて研究を行っていた。

当時のイノベーション理論というと、クレイトン・クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』(翔泳社)を出版したタイミングでもあり、イノベーション論の中心的なテーマは、破壊的イノベーション論、つまり短期的には技術レベルも低く既存顧客には合わない製品だが、伸びゆく新しい市場において利用される製品を見つけ、伸ばすことができるのかにあった(イノベーションのジレンマのブームともいえる)。

クリステンセンは、イノベーションのジレンマを避けるためには組織を分け、プロセスも評価も別にするべきだと唱えたのだが、タッシュマンらは既存事業に必要な知識を獲得するプロセスを強化しすぎると、新しい分野の知識を獲得することがなおざりになり、結果的に新しい製品や市場を獲得することを軽視しがちになると考えた。

そこで提唱された考え方が「両利きの経営」である。既存事業でしっかりと稼ぎながらも、外に目を向けて新しい知識や経営資源を獲得し、それによって新規事業と既存事業とのバランスを図るのが「両利きの経営」の考え方である。

『両利きの経営』は1997年に出版され、アメリカのビジネス界において注目されていた一方、経営学の世界においては抽象的な概念という意味が強く、科学的な研究を重んじるアメリカの経営学の世界では、人気があったとはいえなかった。特に日本では近年までほとんどの方がご存じなかったであろう。

両利きの経営の流行

研究者の世界であまり流行らなかったため、タッシュマンとオライリーは、2008年に『Research in Organizational Behavior(28:185-206)』において‶Ambidexterity as a dynamic capability : Resolving the innovation’s dilemma"(ダイナミック・ケイパビリティとしての両利きの経営:イノベーションのジレンマを解決する)という論文を発表し、自身の両利きの経営をダイナミック・ケイパビリティの理論に位置づけて説明することで、流行していたダイナミック・ケイパビリティ論の人気にあやかるような研究も行っていた。

両利きの経営が学問の世界で本格的に研究されるようになったのは、クリスティーナ・ギブソン(※4)とジュリアン・バーキンショー(※5)が2004年に発表した統計的な論文以降である。

彼らが『Academy of Management Journal(47(2):209-226)』において、‶The Antecedents consequences, and mediating role of organizational ambidexterity(両利き組織における前提条件の結果と媒介的役割)"として発表した論文は、4400回以上の引用がなされている有名論文である。

まず、彼らは多国籍企業10社の経営陣に、彼らが行っている41の事業について、事業の特徴と経営資源への投資状況、資源配分についてインタビューし、同時にそれらの企業で働く4195名のスタッフ、ラインマネージャー、ミドルマネージャー、シニアマネージャーに対して、役職ごとにランダムに同様のインタビューを行った。

インタビューを行った後、そのインタビュー結果がデータで裏付けられるかについて、各社の事業部ごとのROA、ROE、株主収益率を分析し、両利きの経営を行っていることによってパフォーマンスが上がっているかどうかを財務データから解析した。

そして両利きの経営を行う組織(両利き組織)のほうが過去5年間の事業部ROA、ROE、株主収益率が高いかどうかを調査した。

その結果、両利き組織は目標達成を成し遂げるために経営資源の配分と適応力に優れていることから、経営資源のムダが少ない、他社が欲しがっている情報が適切に共有されている、フィードバックが適切に行われ知識の「深化」と「探索」の両面がバランスされている、といった状態が維持されている。このことから、結果的にROA、ROE、株主収益率が高いという傾向がわかった。すなわち、既存の事業を掘り下げて収益性を確保する一方で、新規事業を手掛けていくことで企業としての収益性とリスク低下の両方を実現していることになる

1997年に登場した両利き組織の概念は、当初抽象的な理論にとどまっていたが、2004年のギブソンとバーキンショーの論文によって、統計的に両利き組織のパフォーマンスが高いことが示された結果、経営学の世界でも両利き組織の研究が活発化してきた。

たとえば、2009年にバーキンショーがタシュマンらと『Organization Science(20(4):685-695)』に発表した論文‶Organizational Ambidexterity : Balancing Exploitation and Exploration for Sustained Performance(両利き組織:持続的なパフォーマンスに向けた深化と探索のバランス)"は、これまでに2360件以上の引用がされており、両利き組織に関する研究の重要性が向上しているといえよう。

(※1)マイケル・タッシュマン:ハーバード・ビジネス・スクール教授。コーネル大学で科学の修士号、MITで組織行動論の博士号を取得。
(※2)チャールズ・オライリー:スタンフォード・ビジネス・スクール教授。カリフォルニア大学バークレー校にてMBAと組織行動論の博士号を取得。
(※3)正確にいうと、この「深化」と「探索」という言葉を生み出したのは1991年に組織論の学者として著名なジェームズ・G・マーチが発表した「組織学習における深化と探索」という論文である。マーチはこの言葉以外にも組織におけるシミュレーション研究などを行っており、ノーベル経済学賞を受賞したハーバード・サイモンと同様に組織論の経営学者の中で著名な研究 者の一人である。
(※4)クリスティーナ・ギブソン:カリフォルニア大学アーウィン校教授。クレアモント大学にて博士号を取得。IBMやHP、 GMなどの世界的企業へのコンサルティングも実施。
(※5)ジュリアン・バーキンショー:ロンドン・ビジネス・スクール教授。経営戦略論の大家であり、インテルの研究で経済界においても世界的に著名。

ニューノーマル時代の経営学
森 泰一郎(もり・たいいちろう)
経営コンサルタント。株式会社森経営コンサルティング代表取締役。株式会社スマートシェアリング代表取締役。東京大学大学院経済学研究科経営専攻卒業。大学院にて経営戦略を研究。経営コンサルティングファームを経て、IT企業の経営企画マネージャーとして業界・DX変革のための経営戦略策定をリード。その後、IT企業の取締役COO/CSOとして経営戦略からDX新規事業の立ち上げ、人事・IT管轄を担当。現在、成長企業から大手企業向けの経営コンサルティング、新規事業開発、DX変革、M&Aアドバイザリー、Webマーケティング支援を手掛ける。Business Insider Japanなどの各種マスメディアで企業変革やコロナショック、「アフターコロナ」の経営など経営・経済動向の記事を多数執筆。著書に『アフターコロナの経営戦略』『アフターコロナのマーケティング』(以上、翔泳社)がある。

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